記憶をなくした子守歌

胡花宝 愛芽

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第2章「籠の中の子供達」

二十五話「琉詩の『お仕事』(会員・戸倉)①」

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 琉詩と早瀬を乗せたエレベーターは、一階まで降りた。
 早瀬は琉詩と手を繋いで、外へ通ずる扉の前まで歩いて行く。自動的にロックが解除される音が鳴り、早瀬が扉を開ける。
 扉の外には、すぐそばに送迎車が横付けしてあり、ヒロシが後部座席のドアを開けて待機していた。

「琉詩君。この人はね、『ヒロシ君』」

 琉詩と手を繋いだまま外へ出ると、すかさず早瀬はヒロシを紹介する。儀式の日を終えるまで、琉詩には会わせていなかった。

「…こんにちはぁ」

 不安を抱えて笑顔にはなれない琉詩だったが、ヒロシを見上げて挨拶する。物心が付いた時から「きちんと、ご挨拶しましょう」と教えられ、母親が声を出せない分、代わりに自分が挨拶やお礼を言うことが身に染み付いていた。

「はいはい、こんちは」

 ヒロシは傷んだ金髪頭を「ボリボリ」と掻きながら、やる気無く挨拶を返す。

「さ、乗ろう」

 琉詩を車内へ促し、一緒に早瀬も乗り込む。ヒロシが後部座席のドアを閉めてから運転席に座り、送迎車は発進した。

「ヒロシ君はね、僕みたいに制服は着てないけど、此処で働いてる人だよ。これから時々…僕が休みの日に食事を届けたり、琉詩君達が外出する時に迎えに来たりして、四階に出入ではいりするからね」

 早瀬はこれ以上、琉詩に余計な不安を与えないよう、優しい口調で説明する。

 光沢のある黒生地のスカジャンと、ダメージジーンズ。スカジャンの両胸元に白いスカルの刺繍。背中には大きなスカルが、薔薇と蕀の刺繍に覆われている。
 琉詩は間近で見たことが無い、ツンツンに立てた金髪や左耳の上部から耳朶まで八個も連なるリングピアスを、後ろから見つめる。

「耳…、いたくないの?」

 琉詩が運転席に向かって聞く。ヒロシは気付いてないのか後部座席に目もくれず、「クチャクチャ」とガムを噛む音だけを出している。

「ヒロシ君」

 早瀬が声を掛ける。

「あ?」
「耳にしてるピアス、琉詩君が『痛くないの?』って…」
「あぁ?これか?」

 ヒロシが左手を上げて、リングピアスを触る。

「うん」

 琉詩が返事して、頷く。
 ヒロシはバックミラー越しに琉詩を見て、意地悪い笑みを浮かべる。

「…これなぁ、ふっとい針でブッ刺すんだぜぇ。血ィ、ダラッダラ出ちまってなぁ、すんげぇいってぇの。何だ?そんなキョーミあんだったら、お前の耳にも俺とおんなじ穴、空けてやろうかあー?」
「…ううんっ」

 琉詩が慌てて自分の両耳を抑え、「ブンブンブンブンッ」と首を大きく左右に振る。

「ヒロシ君っ。あんまり、琉詩君を怖がらせるようなことは言わないで下さい」 

 早瀬が厳しめの口調で、ヒロシを嗜める。

「へぇへぇ。あ~、めんどくせぇ」
「琉詩君。今のは、冗談だから。冗談。耳のピアスは時間が立てば痛くなくなるし、血もほんの一寸しか出ないよ。ヒロシ君もそんなこと、琉詩君に絶対しないから。安心して、…ね?」

 琉詩の肩を擦りながら、早瀬が優しく語りかける。

「…うん」 

 琉詩は両手を耳から外した。
 
「…トオルくん。しゃしん、見たい」
「あ、うん。…はい」

 早瀬は一旦、ベストの胸ポケットにしまった写真を再び、琉詩に手渡す。
 トビウサギのおかげで琉詩の表情が幾分、和らいだ。


 送迎車は立入禁止区域を抜けて、保養施設区域内を走行し、客室建物が並ぶ道に入ると、スピードを落として更に進んで行く。
 会員達がプライベートな環境を保てるように、客室建物は一軒一軒が離れており、その道筋は迷路のように入り組む。

 幾度か道を曲がり、やがて目的の一軒に辿り着いた。
 石積いしつみを土台とした竹垣が、建物を四方から囲み、その一ヶ所に瓦葺かわらぶきの門扉が構える。
 すでに小型犬の鳴き声が聞こえていたので、もう琉詩の体は窓に張り付いている。
 
 停車すると板張りの門扉が片側だけ開き、中から早瀬と同じ制服を着た男性社員が出て来た。
 後部座席のドアロックは、運転席からでないと操作できない。ヒロシがロックを解除し、男性社員が琉詩側のドアを開ける。チワワの鳴き声に釣られて、琉詩は飛び出すように車を降り、早瀬もその後に続いた。
 門扉の中へ、迷うことなく琉詩が踏み込む。
 足元は石畳になっており、その先は客室の玄関に繋がる。建物の屋根も瓦葺き。部屋の周囲が外廊下で囲まれた、まるで武家屋敷のような平屋の建物だ。

 琉詩が左を見ると、芝生が広がっている。  
 そこには着物姿の男性と、二匹のロングコートチワワが、琉詩を出迎えていた。
 その男性はチョコレートの毛色をした一匹を左腕に抱き、右手に持ったリードに繋がれたクリーム色のもう一匹が、「チョコン」と地面に大人しくお座りしている。先程から聞こえていた鳴き声は、どうやらチョコレート色の方だ。まだ子犬のようで、こちらに向かって高い声で鳴いている。

 琉詩は、二匹のチワワに釘付けだ。

「戸倉様、お待たせ致しました」

 着物姿の男性に、早瀬がお辞儀する。

 年齢は三十代前半。黄身がかった肌。緩いパーマの掛かった束ね髪。デニム生地で仕立てられた藍色の着物に、ベルトの形状をした帯。そして本革の草履。
 世界的に有名な日本画家の息子で、本人はデザインの仕事をしながら、和風のカフェや雑貨店を経営する青年実業家だ。

「こんにちはぁ」

 琉詩が戸倉に挨拶する。

 戸倉は軽く微笑み、腰を下ろす。

「さぁ、豆千代。琉詩君に、ご挨拶しなさい」

 そう言って、抱いていたチョコレート色のチワワを地面に離す。

「アンッ、アンッ、アンッ」

 しゃがんで両手を広げた琉詩のところへ、「パタパタパタッ」と子犬が尻尾を振りながら、まっしぐらに飛び込んで来た。

「わぁっ!…あははっ」

 地面に尻餅を突いた琉詩は、「ペロペロ」と顔を舐められ、子犬から熱い歓迎を受ける。

「あはっ、くすぐったいよぉ」  

 琉詩は子犬を両手で抱き上げて、顔を見る。

「かわい~っ」

 琉詩は満面の笑顔だ。そして、子犬を胸に抱き寄せる。

「『豆千代』、だよ」
「まめちよ?」

 そばに来た戸倉を、琉詩は見上げる。

「そう。それでね、この子が『小梅』。豆千代のお母さんだよ」

 言いながら戸倉は腰を下ろして、クリーム色のチワワの頭を撫でる。琉詩の手を舐めて戯れる子犬とは対照的に、母犬は尻尾を振ってはいるが、戸倉のそばで落ち着いた様子だ。

「そうなんだぁ。こうめちゃん、こんにちはぁ」

 琉詩は手を伸ばして、母犬の頭を優しく撫でる。すると母犬は気持ち良さそうに、目を細めた。

「こうめちゃんも、かわい~ねっ」
「小梅、琉詩君に撫でてもらって良かったね。見て、琉詩君。小梅も喜んでるよ。豆千代も、琉詩君に会えて嬉しいって」
「あははっ。ぼくも、うれしいっ」 

 琉詩が戸倉に笑いかける。久し振りに動物と触れ合って、不安な気持ちは吹き飛んでしまったようだ。




(続)
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