記憶をなくした子守歌

胡花宝 愛芽

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第2章「籠の中の子供達」

二十七話「琉詩の『お仕事』(会員・戸倉)③」

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 暫くして、琉詩がトイレから出て来た。キッチンに行くと、早瀬は洗い物をしている。

「ぼくも、お手つだいする」

 後ろから声を掛けられ、早瀬が振り返る。

「あ、大丈夫だよ。後は拭くだけだから」

 早瀬は水道の蛇口を閉め、布巾を取って濡れた手を拭く。

「琉詩君。お熱…測ろうね」

 早瀬は胸ポケットから細長いケースを取り、蓋を開けて体温計を抜き出す。それから屈んで、琉詩の着ているTシャツの襟ぐりから、体温計を入れた。

「ちょっとの間、脇閉じててね」 
「うん」
 
 言われた通りに、琉詩は左脇に体温計を挟んで「ジッ」としている。その間、琉詩の額に右手の平を当て、早瀬は無意識に小さな溜め息を吐く。

 「ピピッ」と通知音が鳴り、琉詩が自分で体温計を抜いて、早瀬に渡した。

「どうかな…?」

 早瀬が体温を確認する。

「……うん。熱は…無いね」

 優しい声音に、落胆の色が入り混じる。 

「…琉詩君。緑茶ばかりだと飽きるでしょ?ジュース用意してあるから、お部屋で待ってて」
「はぁい」

 琉詩は和室に戻る。が、戸倉も居ない。だが早瀬が言ったように乳黄色にゅうおうしょくのジュースが三人分、座卓に用意されていた。
 和室の窓から縁側と庭を覗いて、戸倉が居るか確認する。そこにも存在は無い。
 ローソファの自分の席に座り、琉詩はグラスに挿してあるストローを吸ってみる。

「あっ、やっぱり!バナナだぁ」

 琉詩が嬉しそうな顔で、もう一度ストローを吸う。
 
「おいし~いっ」

 そこへ戸倉が、右腕に小梅を抱いて戻って来た。 

「あっ、コウメちゃん。おじさん、マメチヨはぁ?」
「豆千代はケージの中で、グッスリ眠ってる」

 戸倉も自分の席に戻ると両膝を突いて、左手に持っていたスマートフォンを座卓に置いた。

「小梅、琉詩君に抱っこしてもらいなさい」
 
 そう言って小梅を、琉詩に差し出す。

「あはっ。コウメちゃん、おいで~」

 琉詩は両手で受け取ると、膝に乗せて小梅の頭や背中を撫でる。

「おじさん」
「何?琉詩君」
「これ、うんと…かしてもらってもぉ、いいですか?」

 ずっと座卓に置いたままのトビウサギの写真を、琉詩が指差す。

「良いよ。琉詩君にあげる」
「ほんとう?」
「うん。何だったら、小梅と豆千代や…他のペット達も、写真にしてあげようか?」
「いいの?」
「それくらい構わないよ。後で早瀬君に渡しておくから」 
「やったあ。おじさん、ありがとう!」

 琉詩が笑顔で戸倉を見上げ、それから下を向いて小梅にも笑いかける。小梅は「ペロペロ」と琉詩の顔を舐めている。

「あははっ。コウメちゃ~ん、いい子だね~」
「ふふっ。すっかり、琉詩君に懐いちゃったね。こう見えて小梅は結構、人間の好き嫌いが激しいんだよ」
「えっ、そうなの?」
「うん、そうだよ。特に嫌いな人間には絶対、近付かないんだ」

 落ち着いた口調で話しながら、戸倉は立て膝を交互に動かして、琉詩のそばへにじり寄る。

「へぇ~。ぜんぜん、そんなふうに見えないよぅ。ね~、コウメちゃん」

 それから着物の衿下えりしたを広げ、腰を下ろして胡座あぐらを掻く。

「それはきっとね…」

 戸倉は右手を伸ばし、小梅の頭を撫でる。

「琉詩君が優しい子だって、判ってるからだよ」

 その右手は上がって、今度は琉詩の頭を撫でる。

「お熱が出て、大変だったんだってね…」

 それから右手は後ろへ下がって、琉詩の背中に置かれる。

「もう、大丈夫なの?」
「うん」

 琉詩は小梅を見ながら答える。
 小梅は「ウトウト」と眠そうに目を細め、大きく口を開けて欠伸する。それに釣られて「ふあぁ~」と、琉詩も欠伸した。横になった小梅のお腹を撫で続ける琉詩。自分の膝の上でリラックスしている小梅に、琉詩は夢中だ。

「そっか…」

 戸倉は小声で言う。そして胡座のまま腰を上げると、琉詩の両脇に手を入れて抱え、小梅ごと自分の足の上に引き寄せた。

「心配したんだよ…。とてもね…」

 背後から、琉詩を抱き締める。
 琉詩が動かされたことで、小梅も瞼を開いて体を起こしかけたが、琉詩越しに伸びた飼い主の大きな左手で頭を撫でられ、安心したように目を閉じて眠り始めた。
 前へ回り込んだ右手は、琉詩のTシャツを裾から捲り上げ、中へと滑り込む。

「可哀想に…」

 戸倉が背後から囁く。

「酷い目に遭ったんだね…」

 大きな手の平が「ぴたり」と、琉詩の素肌に密着する。それは体の状態を分析するかのように、ゆっくり肌を左右に擦りながら、お腹から胸へと上がって行く。
 
「………」

 琉詩は、忘れていた。でも、たった今、思い出した。
 これは、「お仕事」だとーーー。

「僕はちゃんと、優しくするからね…」
「!?」

 「ねっとり」とうなじを舌でねぶられ、「ビクッ」と琉詩の両肩が小さく揺れる。
 本来ならば拒絶反応を起こして、瞬間的に逃げ出していただろう。小梅が膝に乗っていたとしても。
 けれど、琉詩の上半身は「ガッシリ」と、戸倉の両腕に拘束されて動けない。

 戸倉は項から舌を離し、小梅の頭を撫でていた左手を上げて琉詩のおでこに当てる。そして俯く琉詩の顔を上げさせた。

「あぁ…良かった。お熱、下がって…。やっと…仕事が一段落して折角、予約できたのに…中止だなんて、そんなのは…あんまりだ。…琉詩君だって、遠足の当日に雨だったら…ガッカリでしょ?」 

 そう言いながら、琉詩の頭を左に傾けさせる。
 頭頂部から下ろした前髪は、ふんわりと長めだが、サイドは短く刈り込んであるため、耳は完全にあらわだ。
 戸倉は口を近付け、琉詩の右耳を甘噛みする。

「んっ」

 また琉詩の両肩が「ビクッ」と、小さく揺れる。
 それから戸倉が舌先で、耳の形をなぞってゆく。

「う…」

 その舌先は耳穴にまで侵入し、琉詩は顔をしかめる。
 小梅の背中を撫でていた小さな両手は、いつの間にか止まって固まっている。
 
「や…やだ…」

 琉詩は声を絞り出す。
 戸倉の舌は耳穴から離れる。が、また耳輪じりんを甘噛みされる。 

『トオルくん…』

 琉詩は視線を動かして、座卓を見る。
 早瀬が座っていた席には、バナナジュースのグラスがある。早瀬はキッチンに居る。

『トオルくん、トオルくん、トオルくん…』

 心の中で、琉詩は呼び続ける。
 和室の襖は開いたままだ。
 そこから早瀬が現れれば、その席に座れば、『おじさんは、やめてくれる。だって、三人でいっしょに、バナナジュースをのむんだからーーー』

 大きな右手の平は、暫く琉詩の胸に張り付いていたが、徐々に下へと移動する。そして琉詩が穿いた、サルエルパンツのウエストゴムを押し上げて、下腹部から更に下へと侵入してゆく。

「トオルくんっ」

 小梅が目を覚まし、体を起こして琉詩の膝から降りる。

「トオルくんっ、トオルくんっ!」

 目に涙を浮かべ、琉詩は声を出して叫ぶ。
 小梅は「キュ~ン、キュ~ン」と鳴きながら、琉詩と戸倉の周りを「ウロウロ」と歩き回る。
 戸倉は左手を座卓に伸ばして、スマートフォンを取って操作し始めた。

「失礼致します」

 早瀬が現れた。

「トオルくん、たすけてっ」

 和室に足を踏み入れた早瀬は、琉詩に目を合わせず正座する。

「…お呼びでしょうか、戸倉様」
「……」

 早瀬の言葉に、琉詩は声を失う。

「餌の時間だ。小梅を連れて行ってくれ」
「…畏まりました」

 早瀬は会釈してから立ち上がる。琉詩を拘束したままの戸倉に近付いて片膝を突くと、そばで鳴く小梅を抱き上げた。  
 
「琉詩君」

 琉詩と目を合わせるが、それは一瞬。早瀬は目線を下に向ける。

「お時間になったら、お迎えに上がります。その間、戸倉様のお相手をどうか、宜しくお願い致します」


 授業で先生に指されて、国語の教科書を一度も、つっかえないで音読する同級生。


 ーーーそんな、喋り方に、琉詩には聞こえた。




(続)
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