元婚約者に冷たく捨てられた伯爵令嬢、努力が実って王太子の恋人に。今さら跪かれても遅いですわ!

sika

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第12話 優しい嘘、確かな心音

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翌朝の王都は、不穏な静けさを帯びていた。  
王城の警備は一層厳しくなり、門を通る者の身分はすべて確認されている。  
前夜の侵入未遂事件は未だ原因が解明されておらず、城に漂う空気はどこか張り詰めていた。  

クロエは早朝から報告用の記録書をまとめ、王妃陛下へ提出する準備をしていた。  
けれど、胸の奥のざわめきは消えない。  
“内部に協力者がいる”――ノエルの言葉が頭から離れなかった。  
もしかすると、それは自分の近くにいる人なのではないか。  
信頼していた誰かが裏切る可能性を、彼女は考えたくもなかった。  

廊下を歩きながら、クロエは前日の夜を思い出していた。  
“この国が平穏を取り戻したら、君にひとりの男として言いたいことを”  
――ノエルの声。  
あの言葉が心を温め、同時に苦しくもする。  
あの瞬間、彼の眼差しがまるで約束のように胸に刻まれた。  
恋に名を与えなくても、その想いは確かに存在している。  

寝不足のまま王妃の居室に入り、クロエは礼をした。  
セレーネ王妃はすでに装束を整え、朝の祈りを終えていた。  
「おはようございます、クロエ。昨夜から顔色が優れませんね。」  
「申し訳ございません。少し気になることがありまして……。」  
「そうでしょう。今の城内は不安が多いものね。けれど、あなたのような者が冷静でいれば、周りは安心できるのよ。」  
セレーネの穏やかな言葉に、クロエは小さく微笑を返した。  

報告を終え、部屋を出ようとしたその時、扉の外で騎士たちが小声で話しているのが耳に入った。  
「……侵入者の件、どうやら王太子殿下の侍女を狙っていたらしい。」  
「まさか、クロエ殿のことか? どうしてそんな……。」  
「はっきりした証拠はないが、殿下が関わっているとなれば話は別だ。」  

クロエの足が止まった。  
まるで心臓を掴まれたように息が詰まる。  
――狙われていたのは、私?  
冷たい波が背中を走る。  
だが次の瞬間、彼女の中に浮かんだのは恐怖ではなく、ノエルの顔だった。  
“もしもの時は、私が君を守る”  
彼の声が確かに聞こえた。  

クロエは何も言わず、その場を離れた。  
廊下を歩きながら、ここを出てノエルのもとへ行かなければという衝動に駆られる。  
だが歩みを速めたその瞬間、廊下の角からひとりの男が現れた。  
ルシアンだった。  

「……クロエ。」  
口にする彼の声は穏やかだったが、どこか張り詰めた響きがあった。  
「よかった、会えて。君に謝りたいことがまだあるんだ。」  
「もうその話は結構です。」  
クロエは冷静に言い放つ。だが彼は引き下がらない。  
「聞いてくれ。ただ謝りたいだけじゃない。……僕は、今度こそ君を守りたい。」  

その言葉にクロエの眉がぴくりと動いた。  
「貴方が私を守る? あれほど簡単に捨てた人間を?」  
「当時は……若かった。君があまりに完璧で、僕は自分が卑小に見えてしまったんだ。」  
「それで、私を否定した。私の努力ごと。」  
ルシアンは言葉に詰まる。  
「……後悔しているんだ。君を失ってからようやく気づいた。どんなに完璧であっても、君は温かい人だった。」  
クロエは静かにため息をつく。  
「その言葉を聞きたいと思った時も、かつてありました。でも今は違う。今の私は、誰かに愛されるために努力しているのではありません。自分で生きるために努力しているのです。」  
「クロエ……。」  
「どうか、もう私の中へ踏み込まないでください。」  

そう言って背を向けた瞬間、引き止めるようにルシアンが腕を掴んだ。  
だがその行為は彼にとって致命的だった。  
「離して。」  
冷たい声が響く。  
その瞬間――背後から鋭い声が上がった。  
「手を放せ、ルシアン・フェルナンド。」  

ノエルだった。  
彼は剣を帯び、冷ややかな怒りを瞳に宿していた。  
ルシアンの手が震える。  
「で、殿下……!」  
「貴公が何を抱え、どんな後悔をしていようと関係ない。二度と彼女に触れるな。これは王太子命令だ。」  
「……っ。」  
ルシアンは拳を震わせ、そのまま後ずさりして去っていった。  

静まり返った廊下に、クロエとノエルだけが残された。  
「殿下、申し訳ございません。私が軽率に……」  
「いいえ。」ノエルが首を振る。「何も悪くない。悪いのは彼の方だ。」  
彼は彼女の腕をそっと取った。掴まれていた場所にくっきりと赤い跡が残っている。  
「痛みますか?」  
「大丈夫です……少しだけ。」  
ノエルはその跡にそっと自分の指を滑らせた。触れられた場所から、心臓の鼓動が速くなる。  

「君が傷つく姿を見るのが一番苦しい。」  
「……殿下……。」  
「本当は、君を安全な場所に連れて行きたい。でもそれはできない。僕が君を護ることでしか、今は証明できないから。」  
クロエの瞳が潤む。  
「殿下、私はもう恐れていません。貴方がそばにいてくださる限り……。」  

ノエルは静かに息を吐き、優しく微笑んだ。  
「クロエ。君がここに来てくれたのが奇跡だと思っています。何があっても、僕は君を信じる。」  

その瞬間、廊下の窓から風が差し込み、書類の紙が舞った。  
頬をかすめて流れた風が、二人の肩をなぞるように通り抜けた。  
クロエは胸の奥で、その風と同じ温かさを感じていた。  

しかし、そんな穏やかな一瞬は長く続かなかった。  
遠くから甲高い警鐘の音が響いた。  
衛兵が慌ただしく駆け、誰かが叫ぶ。  
「南の塔だ! また侵入者が現れた!」  

ノエルの瞳が鋭く光る。  
「……クロエ、王妃陛下のそばへ行きなさい。私は現場へ向かう。」  
「ですが殿下!」  
「これは命令だ。」  
短く、だが強い声。  
クロエは歯を食いしばりながら頷いた。  
「どうか、無事で……。」  
「君も必ず。」  

ノエルが駆け出し、背の高い窓の向こうへ黒いマントが翻る。  
風が光を裂くように揺れ、胸の奥に重たい予感が残った。  

クロエは拳を握りしめ、王妃のもとへと走り出す。  
背後で鳴り続ける警鐘は不吉な鐘のように王城を包み、静かに運命の歯車を回していった。  

誰かの嘘が誰かを守り、  
誰かの真実が誰かを傷つける瞬間が近づいている――。  

続く
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