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第9章:……やっぱもうちょい大人しくしてくんねえかなあ(変節)

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 一瞬、「俺はいつの間にマリー・セレスト号に迷いこんだんだっけ?」とか考えてしまった。信じがたい光景が目の前に広がっているという点においては、怪奇譚かいきたんと大差ない事態である。

「さ、時間ないからはやく食べちゃったね! ミルクあっためたけど、コーヒーとどっちにする?」

「じゃあせっかくだから、今日はミルクを……って、待てやコラ!」

 さも当然のように問いかけてくる光琉アホの子に、思わずノリツッコミでかえす。というか、一応"時間がない"という認識はあるんだな……ありつつ朝食の支度したくを済ませてしまったのなら、そっちの方が問題な気もするが。

「なに気合い入れて朝飯の準備しちゃってるの!? TPOをわきまえろ、あと時計をみろ! この時間からのんびりミルクをすすってたら、間違いなく遅刻しちゃうだろッ!!」

 すでに朝食をスルーしても間違いなく遅刻する段階である、という事実は、この際黙殺しておく。

「大丈夫、わかってるって。にいちゃん、朝からそんなツッコミ全開だとつかれちゃうよ? まずは落ち着こーよ」

 光琉ひかるは不敵な笑みを浮かべながら、湯気をあげる鍋をキッチンから手に持ってくると、俺の前のカップに、中のホットミルクを直接そそぎ入れた。

 今の状況であわてる素振りさえ見せない妹に、俺はめんくらった。なんだ、この無断で◯京院の魂をかけてしまいそうなほど、余裕に満ちた態度は?

 あるいは、「遅刻したって別にいいや」と開き直っているのだろうか。

 俺のクラスにもしょっちゅう遅れて登校してくる常習犯のような生徒がひとりふたりいて、そいつらは教師にしかられようが風紀委員に小言をあびせられようが、どこ吹く風といった顔をして一向に反省する気配もない。そのタフさは見習うべきところもあると思わないでもないが、保護者代理としては、妹がそこまでやさぐれてしまうのを黙って見過ごすわけにはいかんぞ?

「よーするに、始業チャイムに間に合わなくても、ホームルームまでに教室に入っちゃえばいいわけでしょ?」

「その認識もどうかと思うが……第一、今は教師陣が校門前に張りついているんだから、チャイムに遅れたらごまかしはきかんぞ。それは中等部も同じだろ」

 ”遅刻予防強化月間”は高等部に限らず、学園全体でおこなわれているキャンペーンなのだ。

「ふっふっふ……にいちゃん、このあたしを誰だとおもってるわけ?」

 光琉は腰に手を当て、上体をらし、三次元的存在感のうすい胸を突き出してきた。どうやらつもりのようである。

「……猿女?」

「今度こそ両眼ともつぶされたいの!? あと"猿"を引っ張りすぎ!!」

 そこは作者の語彙ごいが貧困なせいなので、勘弁してもらおう。

「あたしは聖女でしょ、せ・い・じょ! エウレネ様と同じ光魔法を使える唯一の人間、光の聖女様とはあたしのことよ! 前世のメルティアはあっちの世界でと~~~~~っても貴重な存在だったんだから、にいちゃんだってもう少しあたしをテーチョーにあつかうべきじゃない? 何ならおがんでくれてもいいわよ、エッヘン!」

 俺の知ってる光の聖女はそんなこと言わない! 「エッヘン」とか、メルティアは死んでも言わない!……いや、死んで生まれ変わったから、こんな性格になってしまったのか?

 それにしても、ついさっき意気消沈していたのが嘘のように、すっかりいつも通りのやかましい妹にもどっている。結構なことなのだが……こうなると、しおらしくいかにも"聖女"然としていた光琉の姿が、はやくも懐かしく思えてくる。俺はわがままだろうか?

「そしてあ・た・しが使える(強調)光魔法の中には、瞬間移動の魔法もあるんだよ! にいちゃんも知ってるでしょ?」

 言われると、心当たりがあった。前世の記憶を手繰たぐってみる。

 光魔法"瞬燐しゅんりん"。

 術者と術者に触れた数名を光の粒子に変え、瞬時に目的地へとはこぶ転移魔法。前世でも魔王討伐の旅やメルティアと2人での逃避行の間、幾度となく世話になった魔法だ。

「あの魔法で、この家から学校の中まで飛んでしまおうってことか?」

 たしかに瞬燐を使えば、一瞬で、しかも校門に陣取る教師たちに気づかれることなく、学園の敷地内へ行けるだろう。

 ……というか、さっきの"慈光じこう"といい、前世の記憶がもどったばかりでもう光魔法を自在にあつかえるのか、こいつ? 一方で俺は、今朝以来特に筋力や瞬発力が増した実感はないし、魔法に関してはそもそも前世のサリスからして使えなかった。変化といえば魔覚を取り戻して、幽霊が見えるようになったくらいである(まったくうれしくない!)。チート能力がよみがえった妹と比べると、どうしても不公平を感じてしまうなあ。

「そ、だからあたしは、全然遅刻を心配する必要なんてないの。あたしは、ね?」

 パジャマ姿で椅子に座りながら、腕を組んでふんぞりかえってやがる。ウゼえ。

「……まさか、自分は転移魔法でさっさと行ってしまって、俺だけあるいて登校しろってのか?」

「だってえ、唯で送ってあげたんじゃあ、あたしにがないじゃないですかあ~?」

 ちゃんと「メリット」の意味わかって使ってんだろうな。シャンプーじゃねえぞ?

「にいちゃんも一緒に転送して欲しいなら、こっちの条件をのんでもらわないとね!」

「条件?」

 光琉はますます首を反りかえらせて、唇を片方だけゆがめながら、俺を見くだそうとしてくる。本人は不敵さを演出しているつもりだろうが、お前の身長じゃ俺を見おろすの、どうやってもむずかしいからね? 現にすでにふんぞり返りすぎて、そろそろ椅子ごと後ろにたおれそうになっている。あと疲れてきたのか、首のあたりがぷるぷる震えてんじゃねえか!

「そ、条件。さっきはできなかったけど、今度こそあたしとキスをしてもら」

「よし、腹をくくった。いさぎよく遅刻して折檻せっかんをうけるか」

「いさぎよすぎじゃないっ!?」

 光琉がふんぞり返っていた状態から一転、のような勢いで俺の方に身を乗り出してきた。うん、交渉事にまるで向いてないわ、こいつ。

「なんでそんな簡単にあきらめちゃうの!? もう少しねばって、寝過ごしメイドしてよ!!」

「"ネゴシエイト"な。メイドさんが寝過ごしてどうする」

「キスなんて唇と唇をくっつけるだけだよ、それで遅刻をしなくて済むなら安いものじゃない!!」

「だからそういう考え方はやめろ! お前はもう少し貞操観念てーそーかんねんを持て!!」

 こいつ、将来彼氏とかできたら、簡単に一線越えを許しそうでこわいなあ。

 ……光琉の彼氏か……想像しただけでムカつくな、なんか。まあ俺の目の黒いうちは、他所よその男が妹に不埒ふらちな真似をするなんぞ断じて許さんけどな。兄の責務として!!

「……にいちゃん、顔こわい。どうしたの?」

「何でもない、前世の古傷ふるきずうずいただけだ」

「前世の古傷、今生こんじょうに残ってないと思うけど……」

 ですよねー。言い訳に使ってすまん、サリス。

「とにかく、その条件はのめん! 俺を置いていくなり何なり、勝手にしろ」

 光琉のためにも、そこをゆずるわけにはいかない。こっちは鋼鉄の意志で己を律しているのだ、グラつかせにくるんじゃあない。

「もう、頑固なんだから……わかったわよ、ジョーホしてあげる」

 あくまで上から目線で交渉を継続しようとする妹様は、右手の人差し指を一本立てると、こちらへ向けて突き出してきた。

「デート1回! 今日学校が終わったら、近くでいいから一緒に遊びに行こうよ。それならいいでしょ?」

 今度は俺は即答しなかった。光琉の提案に、一考の余地を感じたからである。

「デート」と呼んでしまうと引っかかりをおぼえるが、たしかに妹と出かけるなんてことは普段からやっていることである。いや、近頃は友人や家族と一緒に遊ぶことも軽い気持ちで「デート」と呼ぶ風習もあるようだし、そんなに固く考える必要もないか? もちろん遅刻して折檻を受けるなんて事態は、極力避けるに越したことはないわけだし。

 ……念のために言っておくけど、別に「光琉とデートをする」ということ自体に魅力を感じているわけじゃないからな? 決して!

「……わかったよ、その条件ならのもう。今日の放課後、お前と遊びに行ってやるよ」

「やた!」

 俺がこたえ終わるよりもはやく、光琉が奇声を発して飛び上がった。パジャマ姿のまま、2度3度とぴょんぴょん跳ねる。ウサギか、おのれは。

「にいちゃんとデートだ! 初デートだ! きゃほぅ!!」

「デートって言うな、単に一緒に出かけるだけなんだから。大体そんなの、今までも腐るほどやってきただろ。特に深い意味は」

「デート、デート、初デート!2人のメモリアル記念日(意味重複)よ、日記につけておこっと」

「つけんでいい、んなもん!!」

 俺がいくら言ってももはや聞く耳を持たず、はしゃぎ続けている。というか、日記なんかつけてたのか? 普段超がつくほどズボラなくせに。

「さ、そうと決まったら早く朝ご飯食べちゃおうよ! 始業チャイムにはもう間に合わないとして、ホームルームまでだってそんなに時間があるわけじゃないんだからね」

 フリーダムすぎる元聖女は突然飛び跳ねるのをやめると、席についてさっさと食事をはじめやがった。誰のせいで無駄な時間を消費したと思ってんだ! とツッコむ間も惜しい。たしかに時間は差し迫っているのだ。

 俺は自らも椅子に腰を落ち着かせ、ぬるくなりかけたカップ内のミルクをすすった。こうなったらもう光琉の"瞬燐"だけが頼りなのだ、こちらもペースを合わせるしかない。

 それに、やはり朝食は、なるべくなら摂っておいた方がいいだろう。成長期の身体をかかえる身としては、空腹のまま学校へ行き昼まで耐えるなどというのは、想像するだにゾッとしない話だった。
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