『働いたら負けだと思ったので、何もしなかったら勝手に勝ちました』

ふわふわ

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第14話 瑕疵という言葉

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第14話 瑕疵という言葉


---

 翌朝、王宮に一通の文書が回覧された。

 差出人は、法務局。
 内容は、短く、簡潔だった。

> 「期限内に返答がなかったため、
当該婚約破棄には手続き上の瑕疵が認められる」



 “瑕疵”――
 その二文字が、静かに、しかし確実に空気を変えた。

「……瑕疵、だと?」

 会議室にいた貴族の一人が、信じられないという顔で呟く。

「破棄そのものが、無効になる可能性がある、ということか」 「少なくとも、“正当な手続きだった”とは言えないな」

 誰も声を荒らげない。
 その必要が、もうないからだ。

 事実は、すでに紙の上にある。


---

 宰相は、静かに文書を畳んだ。

「この件は、感情論では処理できなくなった」

 淡々と告げる。

「婚約破棄が無効か、有効か。
 それを判断するのは、王太子個人ではない」

 法と慣例。
 そして、記録。

 ――最も苦手としてきた土俵に、
 いつの間にか追い込まれていた。


---

 王太子レオンハルトは、その報告を聞き、深く椅子にもたれた。

「……彼女は」

 無意識に、名前を口にしかけて――止める。

「彼女は、何もしていない」

 それが、何よりも厄介だった。

 怒鳴ってくれれば、反発できた。
 抗議してくれれば、対処できた。
 だが――

「何もしないまま、
 ここまで来るとは……」

 それは敗北感ではない。
 理解の遅れに対する、鈍い痛みだった。


---

 一方、シグナス公爵家。

 ファワーリスは、温室で花の世話をしていた。
 柔らかな光の中、土を整え、水を与える。

「お嬢様」

 マリエが、少し興奮を抑えきれない様子で駆け寄る。

「王宮で……“瑕疵”という言葉が使われ始めたそうです」

「そう」

 手を止めずに答える。

「では、ようやく“事実”が扱われ始めたのですね」

「……それだけ、ですか?」

 マリエは思わず聞き返す。

 ファワーリスは、花を一輪、丁寧に支えながら言った。

「言葉は、事実を指すためにあります。
 感情を守るためではありません」

 その声は、驚くほど穏やかだった。

「瑕疵があるなら、ある。
 ないなら、ない。
 それだけですわ」


---

 王宮では、その日から、
 “取り消し”“再手続き”“説明責任”といった言葉が、
 会話に混じり始めた。

 誰も、ざまぁという言葉を使わない。
 だが、皆が理解している。

 もう、元には戻らないと。


---

 夕暮れ。

 ファワーリスは、窓辺で空を眺めていた。

(瑕疵、ですか)

 それは、誰かを裁くための言葉ではない。
 ただ、
 正しくなかったことを、正しく指す言葉。

(……私は、何もしていませんわ)

 静かに、そう思う。

 けれど、何もしなかったからこそ、
 世界はようやく、
 正しい名前を口にし始めたのだ。

 それが、
 “何もしない”という選択の、
 最初の結果だった。
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