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第五話 王都を去る日
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第五話 王都を去る日
王都を包む朝の空気は、ひどく静かだった。
いつもなら人の往来で満ちる通りも、どこか遠慮がちに息を潜めているように見える。
ネフェリアは、最低限の荷だけを整え、馬車の前に立っていた。
豪奢な装飾も、見送りの列もない。
公爵家の令嬢であり、つい昨日まで王太子妃候補だった女性の旅立ちとしては、あまりに簡素だった。
「本当に……よろしいのですか?」
控えめな声でそう尋ねたのは、長年彼女に仕えてきた侍女だった。
不安と名残惜しさが、隠しきれず滲んでいる。
「ええ。問題ありません」
ネフェリアは、穏やかに微笑む。
「荷物も、これで十分です。
必要なものは、すでに揃っていますから」
――本当に必要なものは、形ある物ではない。
そう言わんばかりの声音だった。
王城の正門は、彼女の出立を告げる鐘も鳴らさない。
公式な追放でもなければ、祝福された門出でもない。
ただ、静かに一人の人間が去るだけ。
それが、ネフェリアの選んだ別れ方だった。
馬車に乗り込む直前、彼女は一度だけ振り返る。
高くそびえる城壁。
その向こうで、これまでの日常が続いているはずの場所。
――長い間、支えてきた。
そう思っても、胸に込み上げるものはない。
むしろ、不思議なほどの軽さがあった。
王太子も、高官も、誰一人として姿を見せなかった。
それが、すべてを物語っている。
必要とされていたのは、「役割」だけ。
その役割が終われば、人は見送られもしない。
ネフェリアは、それを冷静に受け止めていた。
「出立いたします」
御者の声に、彼女は頷く。
馬車が動き出し、王都の石畳をゆっくりと離れていく。
その振動すら、どこか遠くの出来事のように感じられた。
通り沿いには、彼女に気づいた数人の貴族や使用人の姿があった。
視線が一瞬交わり、すぐに逸らされる。
声をかける者はいない。
理由は、誰もが理解していた。
――今の彼女に、何を言えばいいのか分からないのだ。
王都の門が見えてくる。
その向こうは、王国の外。
ネフェリアは、膝の上で手を重ね、ゆっくりと目を閉じた。
これで終わりだ。
王太子妃候補としての日々も、王城の政務も。
それは、喪失ではなかった。
役割を降りただけ。
門を抜けた瞬間、空気がわずかに変わる。
王都特有の重さが、ふっと背後に遠ざかるのを感じた。
「……自由、というほど甘くはありませんね」
小さく呟いた言葉は、馬車の揺れに紛れて消えた。
これから先、何が待っているのかは分からない。
だが一つだけ、はっきりしていることがある。
――もう、誰かの代わりに判断を下す必要はない。
自分の人生を、自分で選ぶ。
それが、ネフェリアにとっての新しい始まりだった。
一方、王都では。
その日の政務会議が、いつもより長引いていた。
決まらない議題、整理されていない資料、噛み合わない意見。
「……なぜ、こんなにも進まない?」
王太子の苛立った声が、会議室に響く。
誰も答えられなかった。
ネフェリアが去ったことと、
この違和感が繋がる者は、まだいない。
ただ、確実に一つの歯車が抜け落ちたことだけが、
王国の内部で、静かに音を立て始めていた。
その音が、やがて大きな崩れへと繋がることを、
今はまだ、誰も知らない。
王都を包む朝の空気は、ひどく静かだった。
いつもなら人の往来で満ちる通りも、どこか遠慮がちに息を潜めているように見える。
ネフェリアは、最低限の荷だけを整え、馬車の前に立っていた。
豪奢な装飾も、見送りの列もない。
公爵家の令嬢であり、つい昨日まで王太子妃候補だった女性の旅立ちとしては、あまりに簡素だった。
「本当に……よろしいのですか?」
控えめな声でそう尋ねたのは、長年彼女に仕えてきた侍女だった。
不安と名残惜しさが、隠しきれず滲んでいる。
「ええ。問題ありません」
ネフェリアは、穏やかに微笑む。
「荷物も、これで十分です。
必要なものは、すでに揃っていますから」
――本当に必要なものは、形ある物ではない。
そう言わんばかりの声音だった。
王城の正門は、彼女の出立を告げる鐘も鳴らさない。
公式な追放でもなければ、祝福された門出でもない。
ただ、静かに一人の人間が去るだけ。
それが、ネフェリアの選んだ別れ方だった。
馬車に乗り込む直前、彼女は一度だけ振り返る。
高くそびえる城壁。
その向こうで、これまでの日常が続いているはずの場所。
――長い間、支えてきた。
そう思っても、胸に込み上げるものはない。
むしろ、不思議なほどの軽さがあった。
王太子も、高官も、誰一人として姿を見せなかった。
それが、すべてを物語っている。
必要とされていたのは、「役割」だけ。
その役割が終われば、人は見送られもしない。
ネフェリアは、それを冷静に受け止めていた。
「出立いたします」
御者の声に、彼女は頷く。
馬車が動き出し、王都の石畳をゆっくりと離れていく。
その振動すら、どこか遠くの出来事のように感じられた。
通り沿いには、彼女に気づいた数人の貴族や使用人の姿があった。
視線が一瞬交わり、すぐに逸らされる。
声をかける者はいない。
理由は、誰もが理解していた。
――今の彼女に、何を言えばいいのか分からないのだ。
王都の門が見えてくる。
その向こうは、王国の外。
ネフェリアは、膝の上で手を重ね、ゆっくりと目を閉じた。
これで終わりだ。
王太子妃候補としての日々も、王城の政務も。
それは、喪失ではなかった。
役割を降りただけ。
門を抜けた瞬間、空気がわずかに変わる。
王都特有の重さが、ふっと背後に遠ざかるのを感じた。
「……自由、というほど甘くはありませんね」
小さく呟いた言葉は、馬車の揺れに紛れて消えた。
これから先、何が待っているのかは分からない。
だが一つだけ、はっきりしていることがある。
――もう、誰かの代わりに判断を下す必要はない。
自分の人生を、自分で選ぶ。
それが、ネフェリアにとっての新しい始まりだった。
一方、王都では。
その日の政務会議が、いつもより長引いていた。
決まらない議題、整理されていない資料、噛み合わない意見。
「……なぜ、こんなにも進まない?」
王太子の苛立った声が、会議室に響く。
誰も答えられなかった。
ネフェリアが去ったことと、
この違和感が繋がる者は、まだいない。
ただ、確実に一つの歯車が抜け落ちたことだけが、
王国の内部で、静かに音を立て始めていた。
その音が、やがて大きな崩れへと繋がることを、
今はまだ、誰も知らない。
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