婚約破棄された公爵令嬢は厨二病でした。私は最後までモブでいたい』

ふわふわ

文字の大きさ
1 / 29

第1話 公開の婚約破棄

しおりを挟む
第1話 公開の婚約破棄

王立聖女学園の大講堂は、朝から異様な緊張感に包まれていた。

普段は式典や来賓対応に使われるこの場所に、全学年の生徒と教職員が集められること自体、極めて異例だ。
ざわめきは抑えきれず、ひそひそとした声が天井の高い空間に反響している。

「何があるのかしら……」
「王太子殿下が来られるそうよ」
「聖女候補の発表だとか……」

令嬢たちの視線は、自然と最前列へ集まっていく。

そこに、背筋を伸ばして立つ一人の少女がいた。

公爵令嬢エスカレード・ヴァルフォーレ。

銀糸のような淡い髪を一つにまとめ、凛とした立ち姿で前を見据えている。
その表情には、不安も期待も見えなかった。

――それが、後にすべての始まりだったと語られることになる。

やがて、重々しい扉が開く。

王太子ダイナスティが、護衛とともに姿を現した。
隣には、白い法衣を纏った少女――アルテッツァが控えている。

場内は、一瞬で静まり返った。

ダイナスティは、壇上に立つと、周囲を見回すこともなく口を開いた。

「これより、王国聖女に関する正式な発表を行う」

淡々とした声。
感情は、どこにも感じられない。

「まず――」

その視線が、エスカレードに向けられる。

「公爵令嬢エスカレード・ヴァルフォーレ」

名を呼ばれても、彼女は微動だにしない。
ただ、まっすぐに王太子を見返していた。

「貴殿との婚約を、ここに破棄する」

――一瞬、理解が追いつかなかった。

ざわめきが爆発するように広がる。

「こん……約破棄……?」
「まさか……!」
「公衆の面前で……?」

誰もが、エスカレードの反応を待った。
泣き崩れるのか、抗議するのか、それとも取り乱すのか。

だが。

エスカレードは、静かだった。

「理由は明白だ」

ダイナスティは続ける。

「貴殿は、真の聖女ではない」

その言葉に、数名の令嬢が小さく息を呑む。
中には、無意識に肩を震わせる者もいた。

「真の聖女は――こちらだ」

王太子は、隣に立つアルテッツァの肩に手を置く。

「アルテッツァ・ルミナール。
彼女こそが、神に選ばれた存在だ」

アルテッツァは、一瞬だけ困ったように目を伏せたが、否定することはなかった。

それが“正しい振る舞い”だと、教えられてきたから。

「以上をもって、エスカレード・ヴァルフォーレは聖女候補の資格を剥奪する」

講堂が、静まり返る。

誰もが、次に起こるはずの光景を待っていた。

――涙。
――嘆き。
――崩れ落ちる姿。

だが。

「……そうですか」

エスカレードは、静かにそう言った。

声は震えていない。
唇も、歪んでいない。

「ご決定、承知いたしました」

一礼。

それだけだった。

ざわめきが、再び広がる。

「……え?」
「それだけ……?」
「泣かないの……?」

ダイナスティは、眉をひそめた。

(……は?)

想定していた反応ではない。

屈辱に震え、縋りついてくる。
あるいは、感情的に反論する。

どちらかだと思っていた。

「……以上だ」

不快感を隠すように、王太子は話を切り上げる。

退場の合図とともに、場は解散となった。

生徒たちはざわつきながら、講堂を後にする。

その中で。

エスカレードは、ただ静かに歩いていた。

(……終わりましたわね)

心の中で、そう呟く。

驚きがなかったわけではない。
だが、絶望もなかった。

むしろ――

(……肩の荷が、下りましたわ)

聖女候補。
王太子の婚約者。

その役割に、どこか息苦しさを感じていたのも事実だった。

その日の昼。

学園の中庭で、エスカレードは数人の令嬢たちと談笑していた。

「大丈夫でしたの?」
「本当に、気にしていらっしゃらないの……?」

彼女は、柔らかく微笑む。

「ええ。
むしろ、これからが楽しみですわ」

その言葉に、令嬢たちは目を丸くした。

その輪の少し後ろ。
目立たない位置で、少女が静かに様子を見ていた。

――令嬢C。

名乗らない。
目立たない。
会話の中心に立たない。

ただ、空気に溶けるようにそこにいる。

(……始まりましたわね)

彼女は、内心でそう判断していた。

(今回も……
 私は、モブでやり過ごします)

そう決めたまま、静かに視線を落とす。

この時は、まだ誰も知らなかった。

この婚約破棄が、
王国の価値観を、
一人の王子の人生を、
そして――名もなきモブの選択を、

大きく揺るがす始まりになることを。

――物語は、ここから動き出す。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜

山田空
恋愛
王国有数の名家に生まれたエルナは、 幼い頃から“家の役目”を果たすためだけに生きてきた。 父に褒められたことは一度もなく、 婚約者には「君に愛情などない」と言われ、 社交界では「冷たい令嬢」と噂され続けた。 ——ある夜。 唯一の味方だった侍女が「あなたのせいで」と呟いて去っていく。 心が折れかけていたその時、 父の側近であり冷徹で有名な青年・レオンが 淡々と告げた。 「エルナ様、家を出ましょう。  あなたはもう、これ以上傷つく必要がない」 突然の“駆け落ち”に見える提案。 だがその実態は—— 『他家からの縁談に対抗するための“偽装夫婦契約”。 期間は一年、互いに干渉しないこと』 はずだった。 しかし共に暮らし始めてすぐ、 レオンの態度は“契約の冷たさ”とは程遠くなる。 「……触れていいですか」 「無理をしないで。泣きたいなら泣きなさい」 「あなたを愛さないなど、できるはずがない」 彼の優しさは偽りか、それとも——。 一年後、契約の終わりが迫る頃、 エルナの前に姿を見せたのは かつて彼女を切り捨てた婚約者だった。 「戻ってきてくれ。  本当に愛していたのは……君だ」 愛を知らずに生きてきた令嬢が人生で初めて“選ぶ”物語。

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい

高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。 だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。 クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。 ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。 【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】

優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

【完結】裏切られたあなたにもう二度と恋はしない

たろ
恋愛
優しい王子様。あなたに恋をした。 あなたに相応しくあろうと努力をした。 あなたの婚約者に選ばれてわたしは幸せでした。 なのにあなたは美しい聖女様に恋をした。 そして聖女様はわたしを嵌めた。 わたしは地下牢に入れられて殿下の命令で騎士達に犯されて死んでしまう。 大好きだったお父様にも見捨てられ、愛する殿下にも嫌われ酷い仕打ちを受けて身と心もボロボロになり死んでいった。 その時の記憶を忘れてわたしは生まれ変わった。 知らずにわたしはまた王子様に恋をする。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

【完結】恋は、終わったのです

楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。 今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。 『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』 身長を追い越してしまった時からだろうか。  それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。 あるいは――あの子に出会った時からだろうか。 ――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。

処理中です...