婚約破棄された公爵令嬢は厨二病でした。私は最後までモブでいたい』

第25話 否定できない奇跡

第25話　否定できない奇跡

大聖堂を満たしていた空気は、
もはや儀式のそれではなかった。

誰もが、息を潜め、
誰もが、言葉を失い、
誰もが、何かが「起きる」ことを直感していた。

（……嫌な……沈黙……）

ダイナスティは、苛立ちを隠せずに壇上に立っていた。

（……なぜ……
　誰も……
　動かない……）

（……俺が……
　王太子だぞ……？）

王子の視線は、客席をなぞる。
だが、探しているはずの「名もなき存在」は、
相変わらず立ち上がらない。

（……逃げている……？）

（……いや……
　逃げられる……
　立場では……
　ない……）

「――アルテッツァ」

苛立ちを噛み殺すように、ダイナスティは言った。

「――先ほどの発言は
　撤回しろ」

ざわ、と空気が揺れる。

「――この場は
　王家の儀式だ」

「――個人の感情で
　口を挟む場ではない」

アルテッツァは、静かに彼を見つめた。

「……殿下……」

その声には、怒りも、恐れもなかった。
ただ――深い疲労だけがあった。

「……感情で……
　話している……
　のは……」

「……どちら……
　でしょうか……」

王子の眉が、ぴくりと動く。

「……何が言いたい……」

「……聖女とは……」

アルテッツァは、ゆっくりと視線を巡らせる。

「……誰かを……
　引きずり出す……
　存在では……
　ありません……」

「……誰かを……
　縛る……
　肩書でも……
　ありません……」

（……やめろ……）

ダイナスティの胸に、
理解できない不快感が広がる。

「……聖女とは……」

「……救いが……
　必要な場所に……
　自然と……
　届く……
　もの……」

その瞬間だった。

――大聖堂の空気が、変わった。


---

最初に異変に気づいたのは、
聖職者だった。

「……？
　この……
　魔力の……
　流れ……？」

次いで、貴族たちがざわつく。

「……暖かい……？」

「……空気が……
　柔らかい……」

誰かが、息を呑む。

「……見て……」

高壇の中央、
聖具として置かれていた
「祝福の水晶」が――

淡く、
だが確かに、
光り始めていた。

（……え……？）

ダイナスティは、目を見開く。

（……なぜ……
　今……？）

祝福の水晶は、
本来、聖女が触れた時にのみ
反応するもの。

しかも、
認定前に光ることはない。

「……これは……」

教師Aが、思わず声を漏らした。

「……正式な……
　顕現……？」

会場が、一気にざわめく。

「……誰が……？」

「……アルテッツァ様は……
　まだ……
　触れて……
　いない……」

その瞬間。

水晶の光が、
ゆっくりと――
客席の一角へ向かって伸びた。

一本の、
柔らかな光の筋。

（……やめて……）

令嬢Cは、内心で呻いた。

（……今……
　じゃ……
　ない……）

（……私は……
　名乗らない……）

だが。

力は、
彼女の意思を、
待ってはくれなかった。

光は、
彼女の足元で止まり、
まるで「そこにいる」と
示すように、静かに揺れる。

「……あ……」

誰かが、小さく声を上げた。

「……客席……？」

「……あそこに……
　誰か……
　いた……？」

（……詰み……）

令嬢Cは、
ゆっくりと目を閉じる。

（……でも……）

（……これは……
　私が……
　望んだ……
　奇跡……
　では……
　ない……）

（……ただ……
　世界が……
　勝手に……
　応えただけ……）


---

ダイナスティは、
完全に固まっていた。

（……なぜ……）

（……誰だ……
　あそこに……
　いる……）

視線の先。
柱の影。
人の流れに紛れた場所。

「……おい……」

声が、震えた。

「……あそこに……
　いるのは……
　誰だ……」

返事は、ない。

代わりに――
祝福の水晶が、
さらに強く光った。

否定の余地など、
なかった。

（……聖女……）

（……本物……）

その言葉が、
誰の口からともなく、
会場を満たしていく。


---

アルテッツァは、
その光を見て、
はっきりと理解した。

（……やはり……）

（……私……
　では……
　ない……）

だが、不思議と、
胸は静かだった。

（……なら……）

（……私は……
　ここで……
　終わり……
　でも……
　いい……）

彼女は、
一歩下がった。

それは、
逃げではなかった。

譲位だった。


---

ダイナスティは、
ようやく気づき始めていた。

（……これは……）

（……俺が……
　用意した……
　舞台……
　では……
　ない……）

（……俺は……）

（……呼ばれて……
　いない……）

その事実が、
彼の誇りを、
音もなく削り取っていく。

祝福の光は、
誰の許可も求めず、
ただ「真実」を示していた。


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令嬢Cは、
立ち上がらない。

名も告げない。

ただ――
光の中に、
静かに存在している。

（……私は……）

（……モブ……
　で……
　いたい……）

だが。

世界はもう、
それを許さない段階に
入りつつあった。

こうして。

真の聖女の力は顕現し

王子の筋書きは完全に崩れ

アルテッツァは理解し

令嬢Cは逃げ場を失い始める