白い結婚のはずでしたが、いつの間にか選ぶ側になっていました

ふわふわ

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第16話 初めての外出――市場での自然な振る舞い

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第16話 初めての外出――市場での自然な振る舞い

 外出の許可を求める必要がない、という事実に、リオネッタ・ラーヴェンシュタインは、いまだに小さな驚きを覚えていた。

 予定表はない。
 同行者の指定もない。
 事前の報告義務もない。

(……本当に、自由ですわね)

 それでも、完全な一人歩きではない。
 最低限の護衛として、城の騎士が距離を保って同行する。
 それは制限ではなく、安全確保として自然なものだった。

「本日は、市場へ向かわれると伺いましたが」

 マリアが、やや緊張した様子で声をかけてくる。

「ええ。城内の物だけで判断するのは、少し偏りますから」

「お嬢様……いえ、奥方様は、
 本当に“確認”がお好きですね……」

 リオネッタは、くすりと笑った。

「数字も書類も大切ですが、
 実際に見ることには、代えられませんわ」

 馬車は、城下町へと向かう。

 石畳の道。
 並ぶ店先。
 行き交う人々の声。

 王都の市場は、常に張り詰めた空気があった。
 身分を見極め、距離を測り、失礼のないよう神経を張る場所。

 だが、ここは違う。

 人々は忙しそうだが、穏やかだ。
 客と店主の会話に、余計な緊張がない。

(……生活が、地に足についていますわね)

 馬車を降りると、数人の視線がリオネッタに向けられた。

 上質だが、過度ではないドレス。
 装飾は控えめ。
 それでも、育ちの良さは隠しきれない。

「あの方……」

「城から来たのか?」

 ひそひそとした声が聞こえる。

 だが、敵意はない。
 過剰な好奇心もない。

 ――ただの関心。

 それが、彼女にとっては心地よかった。

 最初に立ち寄ったのは、布地を扱う店だった。

「こちらは、新しく入った品でして」

 店主が、丁寧に布を広げる。

 リオネッタは、指先で質感を確かめながら、静かに尋ねた。

「この染めは、どちらの工房ですか?」

「南の工房です。
 ですが、湿気に弱く……」

「やはり。
 でしたら、城内での使用には向きませんわね」

 店主が、驚いたように目を瞬かせる。

「お詳しいですね……」

「少し、勉強しましたの」

 それ以上、誇ることはしない。

 次に、食料品の店。

 保存食。
 乾物。
 香辛料。

「この価格は、最近上がりました?」

「はい。運搬路の補修で……」

「なるほど。
 では、こちらは安定しているのですね」

 店主は、思わず苦笑した。

「まるで、商人のようなお方だ」

 その言葉に、周囲がくすりと笑う。

 リオネッタは、柔らかく微笑んだ。

(……こういう空気)

 王都では、決して味わえなかった。

 身分を誇示しない貴族。
 過剰に媚びない商人。

 その均衡が、自然に保たれている。

 市場を歩くうち、リオネッタは気づく。

 人々が、彼女を“公爵夫人”としてではなく、
 “落ち着いた客”として見ていることに。

(……これでいいのですわ)

 役割を演じる必要はない。
 自然体でいれば、それで通じる。

 昼過ぎ。

 小さな茶店に立ち寄る。

 簡素な椅子と机。
 香りの良い茶。

「ここは、城の方もよく?」

「ええ。
 ただし、静かに飲まれます」

 その答えに、納得する。

(……アレスト様らしいですわね)

 茶を口に含みながら、ふと思う。

 もし、王太子妃だったなら――
 市場に出るには事前準備が必要で、
 周囲は警戒と緊張に包まれ、
 “正しい振る舞い”が求められていた。

 今は違う。

 ここでは、
 “不自然でないこと”こそが、最上の礼儀だ。

 帰り道。

 護衛の騎士が、控えめに言った。

「……失礼ながら。
 奥方様は、城の中より、こちらの方が……」

「自然ですか?」

「はい」

 リオネッタは、少し考えてから答えた。

「私も、そう感じます」

 城に戻ると、女執事長が迎えた。

「いかがでしたか?」

「とても、勉強になりました」

 それは、社交辞令ではない。

 その日の夕方。

 アレスト・グラーフのもとに、報告が届く。

 ――奥方様が、市場を視察されたこと。
 ――商人とのやり取りが、非常に円滑だったこと。
 ――不要な混乱は、一切なかったこと。

 アレストは、短く目を閉じた。

(……やはり)

 彼女は、外でも“同じ”だ。

 城内と変わらない。
 無理をしない。
 だが、周囲に自然に受け入れられる。

(……放っておくつもりだったのに)

 また、その思考がよぎる。

 夜。

 リオネッタは、部屋で今日の出来事を整理していた。

(市場の価格変動……物流……)

 メモは増えていく。

 だが、疲労は少ない。

 むしろ――心地よい。

「……良い一日でしたわ」

 そう呟き、灯りを落とす。

 初めての外出。

 それは、
 彼女がこの土地で“役割”ではなく、
 一人の人間として受け入れられ始めた証だった。


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