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第三十五話 静かな肯定
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第三十五話 静かな肯定
夏の盛りを越えた頃、王都の空気は少しだけ柔らいだ。
強すぎた陽射しは和らぎ、夕方になると風が通る。人々は季節の移ろいを当然のように受け入れ、特別な感慨を抱くこともなく日々を過ごしている。その当たり前さが、今のヘレン・バートンには心地よかった。
朝、執務室で帳簿を整理しながら、彼女はふと手を止めた。
(……私は、満足しているのね)
不意に浮かんだその感覚に、驚きはなかった。大きな達成感も、劇的な喜びもない。ただ、足元が安定しているという確信。それが、胸の奥に静かに広がっている。
かつては、満足という感情に罪悪感が伴っていた。
誰かが困っているかもしれない。
どこかで祈りが届いていないかもしれない。
聖女ヘレンヘレンとして生きていた前世では、安らぎは怠慢に近かった。常に動き続け、応え続けることが、正しさだと信じていたからだ。
だが今は違う。
何もしない時間も、
判断を急がない日も、
自分の選択として肯定できる。
午前中、屋敷に若い使用人が相談に来た。進路について迷っているらしい。商会に入るか、実家に戻るか、それとも別の道を探すか。答えは、本人にも分かっていない。
「……お嬢様なら、どうなさいますか」
ヘレンは、すぐには答えなかった。
少し考え、穏やかに口を開く。
「どれを選んでも、
間違いではありませんわ」
使用人は、戸惑った表情を浮かべる。
「ただし、選ばなかった道を、
あとで“間違いだった”と呼ばないことです」
それは助言というより、
彼女自身が辿ってきた道の言葉だった。
使用人は深く頷き、少し軽くなった足取りで部屋を出ていく。
午後、庭に出ると、木陰で休む使用人たちの笑い声が聞こえた。誰かが特別に守っているわけではない。だが、仕事が回り、生活が成り立っている。
それを見て、ヘレンは小さく息を吐く。
(これで、十分ですわね)
前世では、世界を支えているつもりでいた。
今は、世界の一部として、
自分の役割を果たしているだけだ。
夕方、紅茶を淹れながら、ヘレンは自分に問いかける。
――後悔は、ないか。
答えは、すぐに出た。
後悔はない。
反省はある。
だが、それは次に進むためのものだ。
夜、書斎で本を閉じ、灯りを落とす。
窓の外には、星が瞬いている。
誰かに呼ばれることも、
期待されることもない。
それでも、
自分の存在を、
自分で肯定できる。
それが、
どれほど大きな変化か。
ヘレンは、静かに微笑んだ。
この静けさは、
逃げではない。
諦めでもない。
自分で選び、
自分で立っているという、
確かな証だ。
――静かな肯定。
それは、
派手な結末よりも、
彼女にとって、
何より価値のある答えだった。
夏の盛りを越えた頃、王都の空気は少しだけ柔らいだ。
強すぎた陽射しは和らぎ、夕方になると風が通る。人々は季節の移ろいを当然のように受け入れ、特別な感慨を抱くこともなく日々を過ごしている。その当たり前さが、今のヘレン・バートンには心地よかった。
朝、執務室で帳簿を整理しながら、彼女はふと手を止めた。
(……私は、満足しているのね)
不意に浮かんだその感覚に、驚きはなかった。大きな達成感も、劇的な喜びもない。ただ、足元が安定しているという確信。それが、胸の奥に静かに広がっている。
かつては、満足という感情に罪悪感が伴っていた。
誰かが困っているかもしれない。
どこかで祈りが届いていないかもしれない。
聖女ヘレンヘレンとして生きていた前世では、安らぎは怠慢に近かった。常に動き続け、応え続けることが、正しさだと信じていたからだ。
だが今は違う。
何もしない時間も、
判断を急がない日も、
自分の選択として肯定できる。
午前中、屋敷に若い使用人が相談に来た。進路について迷っているらしい。商会に入るか、実家に戻るか、それとも別の道を探すか。答えは、本人にも分かっていない。
「……お嬢様なら、どうなさいますか」
ヘレンは、すぐには答えなかった。
少し考え、穏やかに口を開く。
「どれを選んでも、
間違いではありませんわ」
使用人は、戸惑った表情を浮かべる。
「ただし、選ばなかった道を、
あとで“間違いだった”と呼ばないことです」
それは助言というより、
彼女自身が辿ってきた道の言葉だった。
使用人は深く頷き、少し軽くなった足取りで部屋を出ていく。
午後、庭に出ると、木陰で休む使用人たちの笑い声が聞こえた。誰かが特別に守っているわけではない。だが、仕事が回り、生活が成り立っている。
それを見て、ヘレンは小さく息を吐く。
(これで、十分ですわね)
前世では、世界を支えているつもりでいた。
今は、世界の一部として、
自分の役割を果たしているだけだ。
夕方、紅茶を淹れながら、ヘレンは自分に問いかける。
――後悔は、ないか。
答えは、すぐに出た。
後悔はない。
反省はある。
だが、それは次に進むためのものだ。
夜、書斎で本を閉じ、灯りを落とす。
窓の外には、星が瞬いている。
誰かに呼ばれることも、
期待されることもない。
それでも、
自分の存在を、
自分で肯定できる。
それが、
どれほど大きな変化か。
ヘレンは、静かに微笑んだ。
この静けさは、
逃げではない。
諦めでもない。
自分で選び、
自分で立っているという、
確かな証だ。
――静かな肯定。
それは、
派手な結末よりも、
彼女にとって、
何より価値のある答えだった。
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