聖女と呼ばれたくなかった公爵令嬢は、静かにざまぁを選ぶ

ふわふわ

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第三十七話 それでも選ぶ日常

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第三十七話 それでも選ぶ日常

 秋の色が、王都のあちこちに滲み始めていた。

 朝の空気は澄み、吐く息にわずかな白さが混じる。市場には収穫を終えた農作物が並び、商人たちの声にも、どこか余裕がある。季節が巡るという当たり前の事実が、人々の暮らしを静かに支えていた。

 ヘレン・バートンは、窓辺でその様子を眺めてから、ゆっくりと執務室へ戻った。

 机の上には、今日処理すべき書類が整然と並んでいる。急ぎのものはないが、後回しにしていいものもない。領地の管理とは、そういう仕事だ。

(……派手さはありませんけれど)

 その代わり、確実だ。

 前世では、一瞬の奇跡が称えられた。
 今世では、積み重ねた結果が残る。

 どちらが楽かと言われれば、答えは明白だった。

 午前中、屋敷に訪れたのは、近隣の町から来た代表者だった。内容は、冬を前にした街道整備の協力依頼。特別な問題ではないが、放置すれば確実に困る案件だ。

「予算的に厳しい部分もありまして……」

「承知していますわ」

 ヘレンは、書類に目を通しながら頷いた。

「全額ではありませんが、こちらで一部を負担しましょう。
 ただし、来年以降は町と領地で共同管理を」

 一方的に与えるのではなく、共に支える形を選ぶ。
 それは、奇跡を与えるよりも、時間がかかる方法だ。

 だが、長く続く。

 話を終え、代表者が深く頭を下げて帰っていく。その背中を見送りながら、ヘレンは静かに息を吐いた。

(私は、こういう選択がしたかったのね)

 誰かの上に立つためでも、
 称賛されるためでもない。

 ただ、現実に手を伸ばし、
 必要なところに力を使う。

 午後、庭を歩いていると、落ち葉を集める使用人の姿が目に入った。掃いても掃いても、また落ちる。終わりのない作業だが、放置すれば庭はすぐに荒れる。

 それを見て、前世の自分を思い出す。

 祈りは、尽きることがなかった。
 願いも、期待も、終わらなかった。

 だが、今は違う。

 やるべきことは限られている。
 だからこそ、終わりがあり、区切りがある。

 夕方、書斎で紅茶を淹れながら、ヘレンは自分に問いかける。

 ――もし、もう一度選べるとしたら?

 答えは、迷いなく出た。

 同じ日常を、
 同じ選択を、
 もう一度選ぶ。

 奇跡に戻ることはない。
 聖女として崇められる道も、選ばない。

 夜、灯りを落とし、窓の外を眺める。
 王都の明かりは、今日も変わらず瞬いている。

 誰かが救われた音はしない。
 誰かが裁かれた気配もない。

 それでも、人は眠り、
 明日を迎える。

 ヘレンは、静かに目を閉じた。

 特別でない日常を、
 それでも選び続ける。

 それは、妥協ではなく、
 諦めでもなく、
 彼女自身がたどり着いた、
 確かな答えだった。
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