聖女と呼ばれたくなかった公爵令嬢は、静かにざまぁを選ぶ

ふわふわ

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第三十九話 名を返すということ

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第三十九話 名を返すということ

 王都に、久しぶりに大きな集会が開かれた。

 教会主導ではない。
 貴族院でもない。
 各地の自治代表、商人、職人、そして一般市民が集まる、極めて実務的な会合だった。

 議題は一つ。
 ――これからの教会との関係について。

 ヘレン・バートンは、その場に招かれていたが、主役として扱われることはなかった。演壇に立つこともなく、名前が呼ばれることもない。ただ、必要な時に意見を求められる立場として、静かに席に着いている。

(それでいいのですわ)

 前に出るつもりはなかった。
 もう、象徴になる気もない。

 会合では、これまで教会が独占していた「救済」の役割を、どう分担していくかが話し合われた。孤児院は自治管理へ。施療所は医師と薬師の組合へ。教会は、信仰と儀礼に専念する。

 かつてなら、反発が起きただろう。
 だが、今は違う。

「奇跡がなくても、回っている」
「むしろ、その方が安心だ」

 そんな声が、自然に上がる。

 その流れの中で、一人の年配の司祭が立ち上がった。

「……一つ、提案があります」

 会場が静まる。

「かつて、伝説の聖女ヘレンヘレンの名を、
 我々は軽々しく利用しました。
 それを、正式に撤回したい」

 ざわめきが起こる。
 視線が、無意識のうちにヘレンへ集まる。

 彼女は、動じなかった。

 司祭は続ける。

「ヘレンヘレンは、奇跡の象徴ではなく、
 責任を引き受けた一人の人間だった。
 それを、今さらながら認めたいのです」

 沈黙の後、誰かが小さく頷いた。
 やがて、それが連なっていく。

 ヘレンは、静かに目を伏せる。

(……名を返す、ですか)

 それは、称えられることでも、裁かれることでもない。
 ただ、あるべき場所に戻す行為だ。

 会合の終盤、形式的に意見を求められ、ヘレンは立ち上がった。

「異論はありませんわ」

 それだけを告げる。

「名前は、重いものです。
 使うなら、責任を伴う。
 それを、今後忘れないのなら」

 拍手は起きなかった。
 だが、誰も反対もしなかった。

 夕方、屋敷へ戻る馬車の中で、ヘレンは窓の外を眺めていた。
 通りを歩く人々は、もう彼女を特別な目で見ない。

 それが、少しだけ心地よかった。

 夜、書斎で一人、古い記録を取り出す。
 そこには、前世――ヘレンヘレンとして残した言葉があった。

 救えなかった人。
 間に合わなかった願い。
 それでも、やり直したかった日々。

 ページを閉じ、ランプを消す。

「……ようやく、返せましたわね」

 名も、役割も、期待も。

 残ったのは、
 今の自分の名前と、
 今の人生。

 それで、十分だった。

 静かな夜が、屋敷を包む。

 物語は、もう終わりに近い。
 だが、ヘレン・バートンの人生は、これからも続く。

 誰かの象徴ではなく、
 誰かの代わりでもなく。

 一人の人間として。
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