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第4話 静かな旅立ち、切り離された世界
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第4話 静かな旅立ち、切り離された世界
出立の朝は、驚くほど静かだった。
公爵家の屋敷に差し込む朝日が、磨かれた廊下を淡く照らしている。だが、その光はどこか冷たく、温もりを感じさせなかった。
エレナは簡素な旅装に身を包み、用意された鞄を足元に置いて立っていた。中身は最低限――着替え数着、薬草の手帳、古い日記帳。それだけだ。
かつて王太子妃として用意されていた宝石も、絹のドレスも、すべて必要ないと判断された。
「馬車の準備は整っております」
執事が事務的に告げる。
その声に、かつての労わりはなかった。
「……ありがとうございます」
礼を言うと、執事は一瞬だけ視線を泳がせ、すぐに背を向けた。
まるで、これ以上関わること自体が許されないかのように。
広間には、父も母もいない。
見送りは、ない。
――当然、か。
胸の奥で何かが疼くが、エレナは顔に出さない。
泣くには、もう遅すぎた。
屋敷の門をくぐると、一台の馬車が待っていた。
装飾のない、実用一点張りのもの。王都から辺境へ向かうための、ただの移動手段。
御者が黙って扉を開ける。
「……参ります」
エレナはそう告げ、自ら馬車に乗り込んだ。
扉が閉まり、ほどなくして馬車は走り出す。
車輪の音が規則正しく響き、王都の街並みが後方へと流れていく。
華やかな塔、賑やかな通り、懐かしい風景。
その一つ一つが、もう戻れない場所だと告げているようだった。
――私は、この国から追い出された。
事実を噛みしめるほどに、胸の奥がひりつく。
だが同時に、不思議なほど心は静かだった。
馬車の中で、エレナは小さな水筒を取り出し、喉を潤す。
その瞬間、舌にわずかな違和感が走った。
「……?」
ほんの一瞬。
だが、身体の奥が冷えるような感覚が広がる。
(まさか……)
癒しの魔法使いとして培った勘が、警鐘を鳴らす。
水筒に仕込まれた、微量の毒。致死性はないが、体力を奪い、衰弱させる類のものだ。
――アリア。
名を口にせずとも、誰の仕業かは分かる。
最後の一押し。辺境へ向かう途中で倒れれば、事故死として処理されるだろう。
エレナは目を閉じ、深く息を吸った。
(……舐めないで)
胸の奥に、あの冷たい力が応じる。
癒しの魔力を巡らせ、同時に、微細な異物を弾き出すよう意識する。
しばらくして、身体の違和感は消えた。
代わりに、胸の内に残ったのは、静かな怒りだった。
――やはり、私は消される存在なのだ。
だが、不思議と恐怖はなかった。
むしろ、覚悟が固まっていく。
馬車は王都を抜け、やがて人家の少ない道へと入る。
舗装は荒れ、揺れが激しくなる。
「この先で降りていただきます」
御者が振り返り、淡々と言った。
「ここから先は、馬車では入れませんので」
指定された場所は、森の入口だった。
道と呼ぶには心許ない、獣道のような小径が奥へと続いている。
「……ここで?」
「命令です」
それ以上の説明はない。
エレナは馬車を降り、足元の土を踏みしめた。
湿った森の匂い。風に揺れる葉の音。王都とは別世界だ。
馬車はすぐに引き返していく。
振り返ることもなく。
一人、取り残された。
エレナは鞄を持ち直し、森を見つめた。
怖くないわけではない。だが、後悔もなかった。
「……さようなら、王都」
小さく呟き、彼女は歩き出す。
一歩、また一歩。
舗装された道から離れ、貴族としての身分からも離れ、ただの一人の人間として。
背後で、何かが確かに切れた気がした。
それは、過去の自分と世界を繋いでいた糸。
――ここからは、自分で進む。
森の奥へと足を踏み入れた瞬間、胸の奥の二つの力が、静かに共鳴した。
癒しと、呪い。
相反するはずのそれらが、今は確かにエレナの中で共に息づいている。
この旅路が、再生への道なのか、それとも復讐への道なのか。
まだ分からない。
だが一つだけ、確かなことがあった。
彼女はもう、誰かに選ばれるだけの存在ではない。
自ら選び、掴み取るために――静かな旅は、始まったばかりだった。
出立の朝は、驚くほど静かだった。
公爵家の屋敷に差し込む朝日が、磨かれた廊下を淡く照らしている。だが、その光はどこか冷たく、温もりを感じさせなかった。
エレナは簡素な旅装に身を包み、用意された鞄を足元に置いて立っていた。中身は最低限――着替え数着、薬草の手帳、古い日記帳。それだけだ。
かつて王太子妃として用意されていた宝石も、絹のドレスも、すべて必要ないと判断された。
「馬車の準備は整っております」
執事が事務的に告げる。
その声に、かつての労わりはなかった。
「……ありがとうございます」
礼を言うと、執事は一瞬だけ視線を泳がせ、すぐに背を向けた。
まるで、これ以上関わること自体が許されないかのように。
広間には、父も母もいない。
見送りは、ない。
――当然、か。
胸の奥で何かが疼くが、エレナは顔に出さない。
泣くには、もう遅すぎた。
屋敷の門をくぐると、一台の馬車が待っていた。
装飾のない、実用一点張りのもの。王都から辺境へ向かうための、ただの移動手段。
御者が黙って扉を開ける。
「……参ります」
エレナはそう告げ、自ら馬車に乗り込んだ。
扉が閉まり、ほどなくして馬車は走り出す。
車輪の音が規則正しく響き、王都の街並みが後方へと流れていく。
華やかな塔、賑やかな通り、懐かしい風景。
その一つ一つが、もう戻れない場所だと告げているようだった。
――私は、この国から追い出された。
事実を噛みしめるほどに、胸の奥がひりつく。
だが同時に、不思議なほど心は静かだった。
馬車の中で、エレナは小さな水筒を取り出し、喉を潤す。
その瞬間、舌にわずかな違和感が走った。
「……?」
ほんの一瞬。
だが、身体の奥が冷えるような感覚が広がる。
(まさか……)
癒しの魔法使いとして培った勘が、警鐘を鳴らす。
水筒に仕込まれた、微量の毒。致死性はないが、体力を奪い、衰弱させる類のものだ。
――アリア。
名を口にせずとも、誰の仕業かは分かる。
最後の一押し。辺境へ向かう途中で倒れれば、事故死として処理されるだろう。
エレナは目を閉じ、深く息を吸った。
(……舐めないで)
胸の奥に、あの冷たい力が応じる。
癒しの魔力を巡らせ、同時に、微細な異物を弾き出すよう意識する。
しばらくして、身体の違和感は消えた。
代わりに、胸の内に残ったのは、静かな怒りだった。
――やはり、私は消される存在なのだ。
だが、不思議と恐怖はなかった。
むしろ、覚悟が固まっていく。
馬車は王都を抜け、やがて人家の少ない道へと入る。
舗装は荒れ、揺れが激しくなる。
「この先で降りていただきます」
御者が振り返り、淡々と言った。
「ここから先は、馬車では入れませんので」
指定された場所は、森の入口だった。
道と呼ぶには心許ない、獣道のような小径が奥へと続いている。
「……ここで?」
「命令です」
それ以上の説明はない。
エレナは馬車を降り、足元の土を踏みしめた。
湿った森の匂い。風に揺れる葉の音。王都とは別世界だ。
馬車はすぐに引き返していく。
振り返ることもなく。
一人、取り残された。
エレナは鞄を持ち直し、森を見つめた。
怖くないわけではない。だが、後悔もなかった。
「……さようなら、王都」
小さく呟き、彼女は歩き出す。
一歩、また一歩。
舗装された道から離れ、貴族としての身分からも離れ、ただの一人の人間として。
背後で、何かが確かに切れた気がした。
それは、過去の自分と世界を繋いでいた糸。
――ここからは、自分で進む。
森の奥へと足を踏み入れた瞬間、胸の奥の二つの力が、静かに共鳴した。
癒しと、呪い。
相反するはずのそれらが、今は確かにエレナの中で共に息づいている。
この旅路が、再生への道なのか、それとも復讐への道なのか。
まだ分からない。
だが一つだけ、確かなことがあった。
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