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第5話 森に沈む夜、失われた名と生きる決意
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第5話 森に沈む夜、失われた名と生きる決意
森の中は、想像以上に深かった。
踏みしめるたびに湿った土が音を立て、絡みつく蔦や低木が、進む者を拒むかのように行く手を塞ぐ。陽はすでに傾き、木々の隙間から差し込む光も、刻一刻と弱まっていった。
(……思ったより、厳しいわね)
エレナは足を止め、肩で息をしながら周囲を見回した。
王都育ちの自分が、こんな場所を一人で歩く日が来るとは、数日前まで想像もしなかった。
けれど、立ち止まるわけにはいかない。
ここで野宿するには、準備が足りなさすぎる。
――せめて、雨風をしのげる場所を。
癒しの魔法で体力を底上げしながら、慎重に歩みを進める。
やがて、苔むした岩陰に、小さな洞のような空間を見つけた。
「……ここなら」
鞄を下ろし、周囲に魔物の気配がないことを確認する。
簡易的ではあるが、身を寄せるには十分だ。
エレナは腰を下ろし、深く息を吐いた。
静寂が、耳鳴りのように広がる。
――本当に、独りになった。
その事実が、ようやく実感として胸に落ちてくる。
王太子の婚約者でもない。
公爵家の令嬢でもない。
今の自分は、ただの「エレナ」だ。
名前以外、何も持たない存在。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
けれど、不思議と涙は出なかった。
(泣いても……何も戻らない)
その代わり、静かな怒りと、決意が湧き上がる。
エレナは鞄から薬草の手帳を取り出し、火起こしの準備を始めた。
火打石を打ち、乾いた葉に火花を散らす。
ぱち、という小さな音と共に、炎が生まれる。
その揺らめきを見つめながら、エレナは無意識のうちに、自分の内側へと意識を向けていた。
癒しの魔力。
いつもと変わらず、温かく、穏やかに流れている。
そして――その奥。
(……やっぱり、いる)
冷たく、静かで、しかし確かな存在感。
抑え込もうとしても、否応なく感じ取ってしまう力。
――呪い。
それは、誰かに教わったものではない。
知識として学んだこともない。
だが、感覚だけは、はっきりと理解していた。
(……もし、あの人たちが、さらに私を害そうとしたら)
思考が、自然とそこへ向かう。
以前なら、決して考えなかった方向だ。
エレナは小さく首を振った。
「……今は、生きることが先ね」
復讐は、まだ先でいい。
まずは、生き延びなければならない。
火にかけた簡易鍋で、乾燥肉と薬草を煮る。
質素な食事。それでも、温かさが身体に染み渡る。
食事を終えた頃には、森はすっかり夜の顔になっていた。
遠くで獣の鳴き声が響き、枝が揺れる音がする。
エレナは洞の奥へ身を寄せ、外套を羽織った。
(……怖くない、と言えば嘘になる)
だが、それ以上に強い感情がある。
(ここで終わるわけには、いかない)
王都で、踏みにじられた尊厳。
奪われた立場。
切り捨てられた存在。
それらすべてを、ただ受け入れて消えるつもりはない。
エレナは目を閉じ、静かに魔力を巡らせた。
癒しの力で身体を守り、呪いの気配を抑え込みながら、均衡を探る。
二つの力は、反発しながらも、確かに共存していた。
(……使いこなせれば)
それは、希望なのか、危険なのか。
まだ分からない。
だが、可能性だけは、確かにあった。
そのとき――。
がさり、と、洞の外で音がした。
エレナは瞬時に身を強張らせ、火を手で覆う。
魔物か、それとも……。
息を潜め、耳を澄ます。
再び、足音。
人のものだ。
(……誰?)
この森に、人がいるとは聞いていない。
胸の奥の呪いの力が、わずかにざわめく。
同時に、癒しの魔力が警告する。
――危険かもしれない。
エレナは立ち上がり、洞の奥で身構えた。
追放された令嬢の、最初の夜。
それは、孤独と決意だけで終わらない。
この出会いが、彼女の運命を大きく動かすことになるなど――
まだ、この時のエレナは知る由もなかった。
森の中は、想像以上に深かった。
踏みしめるたびに湿った土が音を立て、絡みつく蔦や低木が、進む者を拒むかのように行く手を塞ぐ。陽はすでに傾き、木々の隙間から差し込む光も、刻一刻と弱まっていった。
(……思ったより、厳しいわね)
エレナは足を止め、肩で息をしながら周囲を見回した。
王都育ちの自分が、こんな場所を一人で歩く日が来るとは、数日前まで想像もしなかった。
けれど、立ち止まるわけにはいかない。
ここで野宿するには、準備が足りなさすぎる。
――せめて、雨風をしのげる場所を。
癒しの魔法で体力を底上げしながら、慎重に歩みを進める。
やがて、苔むした岩陰に、小さな洞のような空間を見つけた。
「……ここなら」
鞄を下ろし、周囲に魔物の気配がないことを確認する。
簡易的ではあるが、身を寄せるには十分だ。
エレナは腰を下ろし、深く息を吐いた。
静寂が、耳鳴りのように広がる。
――本当に、独りになった。
その事実が、ようやく実感として胸に落ちてくる。
王太子の婚約者でもない。
公爵家の令嬢でもない。
今の自分は、ただの「エレナ」だ。
名前以外、何も持たない存在。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
けれど、不思議と涙は出なかった。
(泣いても……何も戻らない)
その代わり、静かな怒りと、決意が湧き上がる。
エレナは鞄から薬草の手帳を取り出し、火起こしの準備を始めた。
火打石を打ち、乾いた葉に火花を散らす。
ぱち、という小さな音と共に、炎が生まれる。
その揺らめきを見つめながら、エレナは無意識のうちに、自分の内側へと意識を向けていた。
癒しの魔力。
いつもと変わらず、温かく、穏やかに流れている。
そして――その奥。
(……やっぱり、いる)
冷たく、静かで、しかし確かな存在感。
抑え込もうとしても、否応なく感じ取ってしまう力。
――呪い。
それは、誰かに教わったものではない。
知識として学んだこともない。
だが、感覚だけは、はっきりと理解していた。
(……もし、あの人たちが、さらに私を害そうとしたら)
思考が、自然とそこへ向かう。
以前なら、決して考えなかった方向だ。
エレナは小さく首を振った。
「……今は、生きることが先ね」
復讐は、まだ先でいい。
まずは、生き延びなければならない。
火にかけた簡易鍋で、乾燥肉と薬草を煮る。
質素な食事。それでも、温かさが身体に染み渡る。
食事を終えた頃には、森はすっかり夜の顔になっていた。
遠くで獣の鳴き声が響き、枝が揺れる音がする。
エレナは洞の奥へ身を寄せ、外套を羽織った。
(……怖くない、と言えば嘘になる)
だが、それ以上に強い感情がある。
(ここで終わるわけには、いかない)
王都で、踏みにじられた尊厳。
奪われた立場。
切り捨てられた存在。
それらすべてを、ただ受け入れて消えるつもりはない。
エレナは目を閉じ、静かに魔力を巡らせた。
癒しの力で身体を守り、呪いの気配を抑え込みながら、均衡を探る。
二つの力は、反発しながらも、確かに共存していた。
(……使いこなせれば)
それは、希望なのか、危険なのか。
まだ分からない。
だが、可能性だけは、確かにあった。
そのとき――。
がさり、と、洞の外で音がした。
エレナは瞬時に身を強張らせ、火を手で覆う。
魔物か、それとも……。
息を潜め、耳を澄ます。
再び、足音。
人のものだ。
(……誰?)
この森に、人がいるとは聞いていない。
胸の奥の呪いの力が、わずかにざわめく。
同時に、癒しの魔力が警告する。
――危険かもしれない。
エレナは立ち上がり、洞の奥で身構えた。
追放された令嬢の、最初の夜。
それは、孤独と決意だけで終わらない。
この出会いが、彼女の運命を大きく動かすことになるなど――
まだ、この時のエレナは知る由もなかった。
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