婚約破棄された公爵令嬢ですが、王太子を破滅させたあと静かに幸せになります

ふわふわ

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第8話 揺らぐ魔力、目覚めるもう一つの自分

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第8話 揺らぐ魔力、目覚めるもう一つの自分

 小屋の外は、朝から穏やかな空気に包まれていた。
 木々の葉を揺らす風はやさしく、鳥のさえずりが途切れることなく続いている。王都で感じていた喧騒や視線の重さは、ここには存在しなかった。

 それでも――エレナの胸中は、決して穏やかではない。

(……やはり、昨日より強くなっている)

 小屋の裏手、人気のない場所で、エレナは一人、静かに立っていた。
 目を閉じ、意識を内側へ向ける。

 癒しの魔力は、いつもと同じように温かく、身体の隅々まで巡っている。
 だがその奥――。

 冷たい流れが、確かに存在していた。

 それは、はっきりと「意思」を持っているかのように、ゆっくりと、しかし確実に広がろうとしている。

(……呪いの魔力)

 そう認識した瞬間、背筋にひやりとした感覚が走った。
 癒しの魔法とは、あまりにも性質が違う。誰かを助けるための力ではなく、奪い、縛り、蝕む力。

 ――本来なら、忌避されるべきもの。

 エレナは唇を噛みしめる。

(どうして、私に……)

 問いかけても、答えは返らない。
 ただ一つ分かるのは、この力が突然現れたわけではない、ということだった。

 王都で、婚約破棄を宣告されたあの瞬間。
 嘲笑と侮辱にさらされ、切り捨てられた時。
 胸の奥で、確かに“何か”が目を覚ました。

 ――許せない。

 その感情と、今感じている力は、切り離せない。

「……落ち着いて」

 エレナは小さく呟き、深呼吸を繰り返した。
 感情に引きずられれば、この力は暴走する。そんな予感があった。

 ゆっくりと、癒しの魔力を前面に押し出す。
 呪いの流れを包み込むように、覆い隠すように。

 一瞬、二つの力が反発し、胸の奥で鈍い痛みが走った。

「……っ」

 思わず膝をつく。
 額に、じわりと汗が滲む。

(……簡単じゃ、ない)

 それでも、止めるわけにはいかなかった。

 この力を制御できなければ、いずれ誰かを傷つける。
 それだけは、絶対に避けなければならない。

 ――カイルを。

 その名が浮かんだ瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。

「……エレナ?」

 背後から声がして、エレナははっと顔を上げた。

 振り返ると、そこにはカイルが立っていた。
 いつの間に来たのか、気配に気づかなかった。

「……大丈夫か?」

 彼の視線は鋭く、エレナの様子を見逃していない。

「……少し、ふらついただけです」

 そう答えようとして、言葉が喉に詰まる。
 これ以上、隠し通せるだろうか。

「嘘だな」

 カイルは短く言った。

「顔色が悪い。魔力の使いすぎか?」

 その問いに、エレナはしばらく黙り込んだ。
 正直に話すべきか。
 それとも、まだ伏せておくべきか。

(……信じたい)

 そう思えた自分に、エレナは驚く。
 だが、同時に、ここで誤魔化し続ける方が危険だとも感じていた。

「……癒しの魔法、だけじゃないんです」

 小さな声で、そう切り出す。

 カイルは何も言わず、ただ耳を傾けている。

「私の中に……もう一つ、別の魔力がある」

 一拍置き、エレナは続けた。

「それは……呪いの魔法です」

 口に出した瞬間、胸が締めつけられた。
 拒絶される覚悟は、できているつもりだった。

 だが、カイルは眉をひそめただけで、すぐに怒ったり、距離を取ったりはしなかった。

「……なるほど」

 低く呟き、考え込むような表情を浮かべる。

「だから、あの時……」

「?」

「いや、何でもない」

 カイルは首を振った。

「呪いの魔法を持つ者が、必ず悪だとは限らない」

 その言葉に、エレナは思わず顔を上げる。

「……そう、思いますか?」

「ああ」

 即答だった。

「力は使い方次第だ。少なくとも、俺は君がそれを無差別に振るう人間だとは思わない」

 その断言に、胸の奥がじんと熱くなる。

「……ありがとうございます」

 声が震えた。

「でも、まだ制御できていません。癒しの魔力と、反発し合って……」

「なら、無理に抑え込むな」

 カイルはそう言い、地面にしゃがみ込む。

「二つの力を、敵同士として扱うから衝突する」

「……?」

「共存させろ。片方を否定すれば、もう片方が暴れる」

 意外な言葉だった。

「そんなこと……可能なんですか」

「分からない」

 カイルは正直に言った。

「だが、少なくとも、感情を切り離すことはできる。怒りや憎しみに任せて魔力を動かすな」

 エレナは、はっと息を呑む。

(……見抜かれている)

 自分が、この力を恐れていると同時に、どこかで「使いたい」と思っていることを。

「……私は」

 言葉を探しながら、エレナは続けた。

「誰かを苦しめたいわけじゃない。ただ……二度と、踏みにじられたくないだけなんです」

 カイルは静かに頷いた。

「それでいい」

 その一言が、救いだった。

「君が力を制御したいと思っている限り、暴走はしない。少なくとも、今はな」

 エレナは、ゆっくりと深呼吸をする。
 胸の奥でざわめいていた冷たい流れが、わずかに静まった気がした。

(……共存)

 簡単な道ではない。
 だが、完全に否定するより、ずっと現実的だ。

「……少しずつ、試してみます」

「ああ。焦るな」

 カイルは立ち上がり、森の方を見た。

「ここでしばらく休め。回復するまで、俺も動かない」

「……ご迷惑を」

「今さらだ」

 ぶっきらぼうにそう言って、彼は小屋へ戻っていく。

 その背中を見送りながら、エレナは胸に手を当てた。

 癒しと、呪い。
 二つの力は、まだ完全に調和していない。

 けれど、確かに分かったことがある。

 ――私は、この力から逃げない。

 そして、決して、感情のままに振るわない。

 森の中で迎えたこの時間は、エレナにとって、単なる休息ではなかった。
 それは、自分自身と向き合うための、避けて通れない一歩だった。

 再生の道は、まだ始まったばかりだ。

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