婚約破棄された公爵令嬢ですが、王太子を破滅させたあと静かに幸せになります

ふわふわ

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第16話 静かな旅路、忍び寄る影

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第16話 静かな旅路、忍び寄る影

 森を離れてから、三日が経った。
 エレナとカイルは、街道を避け、獣道と古い巡礼路をつなぎながら南へと進んでいた。昼は木陰で休み、夜明け前と夕暮れ時を中心に移動する。目立たず、足取りは慎重だ。

 それでも、旅は決して過酷ではなかった。

 朝露に濡れた草の匂い。
 遠くで鳴く鳥の声。
 森の深奥とは違う、開けた土地の空気。

(……不思議)

 追放され、すべてを失ったはずなのに。
 今の方が、ずっと呼吸がしやすい。

「……足、痛めていないか」

 前を歩いていたカイルが、立ち止まって振り返る。

「大丈夫です」

 エレナは即答した。

「……無理はしていません」

 それは、嘘ではない。
 以前のように“頑張り続ける”のではなく、自分の限界を意識できている。

 カイルは、少しだけ表情を緩めた。

「なら、少し休む」

 指さしたのは、低い丘の影。
 見晴らしがよく、背後も守りやすい場所だ。

 二人は腰を下ろし、簡素な干し肉と水で食事を取る。
 沈黙は自然だった。

 その最中、エレナは、胸の奥の感覚に意識を向ける。

(……落ち着いている)

 癒しの魔力も、呪いの魔力も。
 どちらかが突出することなく、静かに共存している。

 昨夜、軽い頭痛があったが、それ以上の異変はない。

「……カイル」

 エレナは、水筒を置きながら口を開いた。

「この先……人の多い場所を通りますか」

「避けられない」

 彼は即答した。

「南へ行けば、交易の要所がある。情報も、金も、そこに集まる」

 エレナは、頷く。

「……私、治療師として名乗るべきでしょうか」

 問いは、慎重だった。

 カイルは、少し考える。

「状況次第だ」

「……やはり、噂になりますよね」

「ああ」

 否定はない。

「だが、隠し続けるのも限界がある」

 エレナは、指先をぎゅっと握る。

(……選ぶ時、か)

 誰に力を使うのか。
 どこまで関わるのか。

「……もし」

 エレナは、言葉を選びながら続けた。

「私が治療を引き受けるなら……条件を、はっきりさせます」

「どんな」

「支配も、拘束も、強制も受けない」

 カイルは、わずかに口角を上げた。

「いい条件だ」

「……笑わないでください」

「笑っていない」

 その声音は、どこか柔らかかった。

 ――――――――

 その日の夕方、二人は小さな集落の外れに辿り着いた。
 交易路から少し外れた場所にある、宿場未満の村。

 人の気配はあるが、活気は乏しい。

(……嫌な予感)

 エレナは、無意識に歩みを緩めた。

「……何か、変です」

「ああ」

 カイルも同意する。

「視線が多い」

 家々の影。
 道の曲がり角。

 露骨ではないが、確かに、こちらを窺う気配がある。

「……噂、ですね」

「だろうな」

 宿屋に入る前、カイルは低く囁いた。

「今夜は、外套を脱ぐな。俺から離れるな」

「分かりました」

 宿屋の中は、薄暗かった。
 酒の匂いと、湿った木の匂い。

「部屋を一つ」

 カイルが短く告げる。

 宿の主人は、二人を見比べ、わずかに目を細めた。

「……一部屋で?」

「問題あるか」

「いや……」

 だが、その視線は、明らかにエレナに向けられていた。

(……値踏み)

 胸の奥で、呪いの魔力が、わずかに揺れる。

(……落ち着いて)

 エレナは、深呼吸した。

 部屋に入ると、カイルが即座に窓と扉を確認する。

「……三人以上、いる」

「……宿の外、ですか」

「ああ。聞き耳も立てている」

 エレナは、静かに椅子に腰を下ろした。

「……来ますね」

「来る」

 カイルは、短く答えた。

「だが、まだだ」

 その予測は、当たった。

 夜半過ぎ。
 扉の外で、低い声がした。

「……話がある」

 複数人。
 男の声。

 カイルは、エレナを見る。

 エレナは、静かに頷いた。

「……私が出ます」

「条件を忘れるな」

「はい」

 扉を開けると、三人の男が立っていた。
 装備は軽いが、視線は鋭い。

「……あんたが、癒せる女か」

 エレナは、一歩も引かずに答える。

「……誰が、そう言いましたか」

「噂だ」

 男は、にやりと笑う。

「俺たちは、悪いことをしに来たわけじゃない」

 その言葉を聞いた瞬間、エレナは理解した。

(……同じ)

 森で会った傭兵と、根は同じだ。

「……話を聞きましょう」

 エレナは、静かに告げた。

「ですが、条件があります」

「条件?」

「私の力は、売り物ではありません」

 男たちの笑みが、薄れる。

「支配も、拘束も、強制も受けません。治療は、必要と判断した相手にだけ行います」

 数秒の沈黙。

「……女、立場が分かっているのか」

 一人が、低く言う。

 エレナは、視線を逸らさない。

「ええ。だから、選びます」

 その瞬間、空気が張り詰めた。

 ――だが。

 次の瞬間、宿の階下で悲鳴が上がった。

「……助けて……!」

 女の声。
 切迫している。

 男たちが、ぎょっとして顔を見合わせる。

「……なんだ?」

 カイルが、エレナの横に並んだ。

「……行くか」

 エレナは、一瞬、迷い――そして、決めた。

「……はい」

 階下に駆け下りると、血を流した若い女性が床に倒れていた。
 腹部を押さえ、顔色は悪い。

(……内出血)

 エレナは、即座に状況を把握する。

 男たちが、息を呑む。

「……本当に、癒せるのか」

 エレナは、答えなかった。

 膝をつき、手をかざす。

 癒しの魔力を、必要な分だけ。
 呪いの力は、静かに奥へ。

 淡い光。
 女性の呼吸が、徐々に落ち着く。

「……助かった……」

 その声を聞いた瞬間、男たちの表情が変わった。

 驚き。
 欲。
 そして――恐れ。

 エレナは、立ち上がり、彼らを見る。

「……今、見ましたね」

 静かな声。

「私の力は、人を救います。でも――選ばなければ、使いません」

 男たちは、言葉を失った。

 カイルが、低く告げる。

「……分かったなら、帰れ」

 数秒後、彼らは無言で背を向けた。

 部屋に戻った後、エレナは大きく息を吐いた。

「……疲れました」

「ああ」

 カイルは、短く笑う。

「だが……よく選んだ」

 エレナは、微笑んだ。

(……私は、もう流されない)

 この旅は、試され続けるだろう。
 力も、意志も。

 それでも――。

 選び続ける限り、私は私でいられる。

 静かな宿の夜。
 忍び寄る影の中で、エレナは確かに、自分の足で立っていた。
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