婚約破棄された公爵令嬢ですが、王太子を破滅させたあと静かに幸せになります

ふわふわ

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第17話 試される信頼、踏み込まれる一線

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第17話 試される信頼、踏み込まれる一線

 夜明け前、宿場の村は妙にざわついていた。
 鶏が鳴くよりも早く、人の声が聞こえ、戸の開閉する音が続く。エレナは浅い眠りから覚め、天井を見つめたまま耳を澄ませていた。

(……静かじゃ、ない)

 隣で、カイルがすでに起き上がっている気配がした。
 衣擦れの音。剣を腰に差す、短い金属音。

「……来てるな」

 低く、短い声。

「……昨夜の人たち、でしょうか」

「半分は、違う」

 カイルは、窓の隙間から外を覗く。

「……数が増えている」

 エレナは、胸の奥で静かに息を吸った。

(……試されている)

 昨夜、目の前で治療を見せた。
 力を隠さなかった。それは、選択だった。

 だが――見せた以上、次は踏み込まれる。

「……条件を、守ってくれる人たちだといいのですが」

「期待はするな」

 カイルは淡々と言った。

「だが、切る線ははっきりさせろ」

 ――線。

 エレナは、ゆっくりと頷いた。

 やがて、扉が叩かれる。
 昨日よりも遠慮がない音。

「……話がある」

 複数の声。
 年齢も、立場も、ばらばらだ。

 エレナは、静かに立ち上がった。

「……私が出ます」

「俺もだ」

 二人は並び、扉を開けた。

 廊下には、五人の男女が立っていた。
 傭兵風の男。旅商人の女。村の若者。見慣れぬ老人。

 共通しているのは――視線だ。

 値踏み。
 期待。
 そして、欲。

「……昨日の治療、見た」

 最初に口を開いたのは、商人風の女だった。

「本物だね。あれほどの癒しは、久しく見ていない」

 エレナは、表情を変えない。

「……それで?」

「話は簡単だ」

 傭兵が、一歩前に出る。

「金は出す。護衛もつける。ここに留まって、俺たちの仲間を治せ」

 昨夜と、ほとんど同じ言葉。
 だが、人数と圧が違う。

 エレナは、静かに首を振った。

「……お断りします」

 一瞬、空気が凍る。

「は?」

「条件を、忘れたわけではありませんよね」

 エレナは、穏やかだが、はっきりと告げる。

「私の力は、支配も拘束も、強制も受けません」

「……誰が、拘束するなんて言った」

 男が、低く笑う。

「ここに留まるだけだ。悪い話じゃない」

 エレナは、一歩も引かなかった。

「それは……“自由を差し出せ”と言っているのと同じです」

 商人の女が、眉をひそめる。

「……随分と、強気だね」

「いいえ」

 エレナは、静かに答える。

「ただ、自分の線を示しているだけです」

 沈黙。
 だが、それは長く続かなかった。

「……なら」

 老人が、しわがれた声で言った。

「せめて、重症者だけでも診てくれ。子供だ」

 エレナの胸が、わずかに揺れる。

(……子供)

 だが、すぐに、カイルの言葉が蘇る。

 ――切る線は、はっきりさせろ。

「……どこですか」

 エレナは、即答しなかったが、拒絶もしなかった。

「村の外れだ」

「……私が、行くかどうかは、現場を見て決めます」

 その言葉に、男たちがざわつく。

「選ぶのは、俺たちじゃない」

 エレナは、はっきりと言った。

「……私です」

 数秒の沈黙の後、老人が頷いた。

「……分かった」

 ――――――――

 案内されたのは、宿場から少し離れた粗末な小屋だった。
 中には、幼い子供が横たわっている。呼吸は浅く、顔色も悪い。

(……急性の熱症)

 エレナは、すぐに膝をついた。

「……この子の親は?」

「……旅の途中で、亡くなった」

 老人の声には、嘘がなかった。

 エレナは、深く息を吸う。

(……条件は、満たしている)

 支配も、拘束も、強制もない。
 目の前にいるのは、助けを必要としている命。

 癒しの魔力を、慎重に流す。
 必要な分だけ。深追いはしない。

 淡い光が、小屋を満たす。

 しばらくして、子供の呼吸が安定した。

「……助かった……?」

 周囲の空気が、変わる。

 安堵。
 感謝。
 そして――再び、欲。

 エレナは、立ち上がり、振り返った。

「……ここまでです」

「それだけか?」

 傭兵が、不満そうに言う。

「この先も、診てもらいたい者はいる」

 エレナは、静かに首を振った。

「今は、ここまで」

 その瞬間、男の一人が、苛立ちを隠さず前に出た。

「……調子に乗るなよ」

 空気が、ぴり、と張り詰める。

 エレナの胸の奥で、冷たい力が反応する。

(……違う)

 怒りに、混ぜない。

「……下がってください」

 静かな声。

「これ以上、踏み込むなら――拒みます」

 見えない壁が、男の足を止めた。

「……っ」

 驚愕の声。

 カイルが、一歩前に出る。

「ここまでだ」

 その低い声には、迷いがなかった。

 数秒後、男たちは、無言で後退した。

 ――――――――

 宿へ戻る道すがら、エレナは、深く息を吐いた。

「……怖かったです」

「だろうな」

 カイルは、否定しない。

「だが、越えた」

 エレナは、歩きながら空を見上げる。

(……信頼)

 それは、簡単に与えていいものではない。
 だが、拒絶だけでも、進めない。

 線を引き、選び、越えさせない。

 その繰り返しが――自分を守る。

「……次は」

 エレナは、静かに言った。

「もっと大きな“踏み込み”が、来ますね」

「ああ」

 カイルは、短く頷いた。

「だが、もう分かっただろう」

「……はい」

 エレナは、微笑んだ。

「選ぶのは……私です」

 試される信頼。
 踏み込まれる一線。

 それを越えさせなかったという事実が、エレナの背筋を、確かに支えていた。

 王都へ続く道は、まだ遠い。
 だが、彼女はもう、誰かの都合で揺らがない。

 選び続ける限り――前へ、進める。
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