婚約破棄された公爵令嬢ですが、王太子を破滅させたあと静かに幸せになります

ふわふわ

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第26話 強行という選択、夜に鳴る足音

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第26話 強行という選択、夜に鳴る足音

 深夜、王都の空気はひどく乾いていた。
 窓の外で、甲冑の擦れる音が、規則正しく近づいてくる。あからさまではない。だが、隠す気もない――そんな足音だった。

(……来た)

 エレナは、寝台から身を起こし、静かに外套を羽織る。
 恐怖はない。あるのは、予定通りという感覚だけだ。

「……始まったな」

 部屋の隅で、カイルが低く言った。
 剣には、すでに手がかかっている。

「想定より、少し早いですね」

「包囲網が効いた。……焦っている証拠だ」

 外から、門を叩く音が響いた。
 礼儀正しいノック――だが、拒否を想定していない強さ。

 ほどなく、使用人が駆け足で廊下を通る気配。
 屋敷全体が、ざわりと揺れる。

 やがて、扉が開いた。

「……エレナ」

 公爵夫人だった。
 顔色は悪いが、背筋は伸びている。

「兵が……王太子の命だそうよ」

「ええ」

 エレナは、落ち着いて頷いた。

「“事情聴取”ですね」

 母は、唇を噛む。

「……本当に、行かないつもり?」

「行きません」

 迷いのない声。

「ですが、抵抗もしません」

「……どういうこと?」

 エレナは、静かに答えた。

「こちらから、場を指定します」

 ――――――――

 大広間に、兵たちが踏み込んできた。
 数は多い。だが、隊列は乱れている。

(……急造)

 エレナは、一目で理解した。

 先頭に立つのは、王城付きの近衛兵長。
 昨夜まで、彼はここに来る予定ではなかったはずだ。

「エレナ・フォン・ローレンツ」

 形式的な声。

「王太子殿下の命により、王城へ同行していただく」

「……拒否します」

 エレナは、はっきりと言った。

 空気が、ぴたりと止まる。

「ですが」

 彼女は、続ける。

「対話の場を拒むわけではありません」

 兵長が、眉をひそめた。

「……何を言っている」

「この屋敷で」

 エレナは、静かに告げた。

「王太子殿下本人が来られるなら、お話しします」

 ざわめきが走る。

「……殿下を、ここへ?」

 兵長は、思わず聞き返した。

「はい」

 エレナは、微笑む。

「“事情聴取”なのですよね。なら、逃げる必要はありません」

 理屈としては、通っている。
 だが、それは――命令を出した側の想定には、ない選択肢だった。

「……勝手な条件だ」

 兵長が、苛立ちを滲ませる。

「そうでしょうか」

 エレナは、落ち着いて言う。

「私は、容疑者ではありません」

 正論だった。

 兵長は、舌打ちしそうになるのを堪え、背後を一瞥する。
 指示を仰ぐ者はいない。

(……想定外だ)

「……少し、待て」

 兵長は、そう言い残し、外へ出た。

 ――――――――

 その間、屋敷の空気は張り詰めていた。
 使用人たちは息を潜め、兵たちは警戒を解かない。

「……大胆だな」

 カイルが、小声で言う。

「ええ」

 エレナは、静かに答えた。

「でも、王城へ連れて行かれれば……向こうの舞台です」

「ここなら?」

「こちらの舞台です」

 エレナは、視線を上げる。

「逃げ場がないのは、殿下の方になります」

 ――――――――

 しばらくして、再び足音が響いた。
 今度は――重い。

 扉が開き、現れたのは、王太子ルイスだった。

 怒りを抑えきれない表情。
 だが、その背後には、数名の貴族と――記録官の姿がある。

(……来た)

 エレナは、心の中で息を整えた。

「……随分と、勝手な真似をしてくれるな」

 ルイスは、吐き捨てるように言った。

「殿下が、直々に来てくださるとは」

 エレナは、丁寧に一礼する。

「光栄です」

「ふざけるな」

 ルイスは、一歩前に出た。

「命令を拒み、条件を突きつけるとは……まだ、自分の立場が分からないのか」

「分かっています」

 エレナは、静かに答えた。

「だからこそ、ここでお話ししたいのです」

「何を」

「なぜ、今夜、強行されたのか」

 その問いに、ルイスの表情が一瞬、揺れた。

「……必要だからだ」

「必要?」

 エレナは、穏やかに首を傾げる。

「それは、王国のためですか」

 沈黙。

「それとも――」

 エレナは、はっきりと言った。

「ご自身の立場を、守るためですか」

 ざわめきが、背後の貴族たちから漏れる。

「……黙れ」

 ルイスの声が、低く震えた。

「私は、王太子だ」

「ええ」

 エレナは、頷く。

「ですが、王太子であることと――正しい判断ができることは、別です」

 その言葉は、鋭かった。

「今夜の行動は、記録に残ります」

 エレナは、記録官へ一瞥を送る。

「“話し合い”ではなく、“強行”を選んだと」

 ルイスは、初めてはっきりと動揺した。

「……脅すつもりか」

「いいえ」

 エレナは、静かに否定する。

「選択肢を、示しているだけです」

 彼女は、一歩前へ出た。

「今、ここで話し合うか。
 それとも、この強行を――公にするか」

 重い沈黙が落ちる。

 王太子は、屋敷を見回した。
 視線の先には、怯える使用人。
 冷静な貴族。
 そして――一歩も引かない、エレナ。

(……詰められている)

 ルイスは、ようやく理解した。

 追い詰められて、牙を剥いたつもりが――
 その瞬間こそ、最も無防備だったのだと。

「……話をしよう」

 絞り出すような声。

 エレナは、深く息を吐いた。

(……第一段階、完了)

 強行という選択は、王太子自身の首を絞める。
 夜に鳴った足音は――彼の立場が、確実に軋む音だった。

 だが、これは終わりではない。
 本当の対峙は――これからだ。
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