婚約破棄されたけど、白い結婚のおかげで人生最高ですわ!

ふわふわ

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1-2 追放と自由な朝

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第1章 婚約破棄バンザイ!

1-2 追放と自由な朝

 

 婚約破棄の夜から一夜明け――
 伯爵家の屋敷では、いつになく重苦しい空気が漂っていた。

 「カチュア! なんという醜態をさらしたのだ!」

 怒鳴り声と共に、机を叩く音が響く。
 父・エルメロー伯爵は真っ赤な顔で娘を睨みつけていた。
 その隣では母も青ざめ、両手で額を押さえている。

 「王太子殿下からの婚約破棄など……この家の恥だ!」  「貴族の娘として、どれほどの恥をかかせたと思っているの!」

 ――彼らの言葉を、カチュアはうんざりした顔で聞き流していた。

 

 「お父様、お母様。恥をかかせたつもりはございませんわ。むしろ光栄なことですの。
  だって、“婚約破棄された令嬢”は、社交界で大人気ですのよ」

 「な、なんだと?」

 「話題にされますもの。“可哀想な令嬢”として。
  実際には、まったく可哀想ではありませんけれど」

 

 父は顔を真っ赤にして震え、ついに叫んだ。

 「お前など、もうこの家の娘ではない! 荷物をまとめて出て行け!」

 「まぁ、そう仰ると思っておりましたわ」

 カチュアはすでに小さなトランクを用意していた。
 宝石も高価なドレスも置いていく。必要なのは紅茶の茶葉とお気に入りのカップ、そしてレシピ帳だけ。

 

 玄関を出ると、曇り空の中に風が吹いた。
 使用人たちが心配そうに見送る中、彼女は明るく笑う。

 「皆さま、ごきげんよう! お菓子が焼けたらお裾分けにまいりますわ!」

 呆気に取られる使用人たちを背に、馬車に乗り込む。
 目的地は、亡き祖母から相続した片田舎の別邸――「エルメロー離れ屋敷」。

 

 馬車の中で、彼女はひとり笑いを漏らした。

 「これで、早起きしなくて済みますわ……!」

 窓の外を眺めながら、ため息ではなく喜びの息をつく。
 婚約破棄? 追放? そんな言葉は、彼女にとって“自由”の同義語にすぎなかった。

 

 * * *

 

 翌朝――

 「お嬢様、朝でございます!」

 屋敷に残っていた唯一の忠実な侍女、ミリーがドアをノックする。

 「……やめてくださいまし、ミリー。今、寝たばかりなのです……」

 「寝たばかりって、もうお昼前です! お父上に知られたら――」

 「もう娘ではないので、知る筋合いはございませんわ」

 「……言い返す余裕だけはおありのようで」

 

 布団から顔を出したカチュアは、至福の笑みを浮かべた。
 柔らかな日差しがカーテン越しに差し込み、鳥のさえずりが聞こえる。

 (なんて穏やかな朝……いいえ、お昼ですわね)

 ミリーは呆れ顔でベッド脇に立ち、そっとトレイを置いた。
 紅茶と焼き立てのスコーン。
 それを見てカチュアの目が輝く。

 「まぁ……! ミリー、あなた神に仕える使いではありませんの!?」

 「食べる元気があるなら起きてください!」

 「……はいはい。では“起きる”とは、紅茶を飲む姿勢になることですわね?」

 「違います!」

 

 半分だけ上体を起こし、ティーカップを手に取る。
 香り立つアールグレイの匂いが、彼女の気分を最高潮に高めた。

 「……自由の味、ですわ」

 「婚約破棄された令嬢の言葉とは思えませんね」

 「だって、私の人生で一番良い紅茶ですもの」

 

 食後、カチュアは庭に出て軽く伸びをする。
 田舎の空気は清々しく、鳥の声と風の音だけが響く。
 王都の喧騒とはまるで別世界だった。

 「ミリー、これからは毎日こうして過ごしますわ」

 「……つまり、毎日寝坊とお菓子作りですか?」

 「もちろんです。あとは本を読んで、紅茶を飲んで、またお菓子を食べるのです」

 「お嬢様、それを世間では“ぐうたら”と呼びます」

 「違います。“自由貴族のスローライフ”と呼びなさい」

 

 そう言って笑うカチュアの表情は、昨日までの“冷たい令嬢”のものではなかった。
 肩の力が抜け、頬には柔らかな笑みが浮かぶ。
 生まれて初めて、“自分のためだけに生きる時間”を手に入れたのだ。

 

 その日の午後、彼女は久々に台所に立った。
 粉をふるい、卵を割り、砂糖を計る。
 屋敷中にバターの香りが漂い、ミリーが台所を覗き込む。

 「……お嬢様、本当にお菓子を焼くつもりで?」

 「当然ですわ。貴族のたしなみですもの」

 「貴族は普通、焼かれたお菓子を召し上がります」

 「時代はDIYですわ」

 「その意味、分かってます?」

 

 カチュアは笑いながらケーキをオーブンに入れ、タイマーを回す。
 (婚約破棄されたからこそ、こんな時間ができたのですわね)

 紅茶を入れ直し、焼き上がる甘い香りを楽しみながら、彼女はひとり呟いた。

 「これこそ、幸福というものですわ……」

 

 ところがその翌日――

 ミリーが新聞を持って駆け込んできた。

 「お嬢様、大変です! 王都で殿下が“新しい聖女と婚約”なさったとか!」

 「まぁ、それはおめでたいことですわね」

 「お嬢様っ!?」

 「真実の愛が長持ちするといいですわ。……きっと、三日くらいは」

 

 ミリーは呆れながらも、心の底では安心していた。
 彼女が泣くどころか笑っていることが、何よりの救いだった。

 

 その日の午後、カチュアは書斎で読書をしていた。
 膝の上には猫のように丸まった小さなクッション。
 紅茶の湯気が、彼女の表情を柔らかく包む。

 「――もう二度と、誰かに支配されるのはごめんですわ」

 静かにそうつぶやき、カップを傾けた。

 けれど運命は、そんな穏やかな日常を長くは放っておかなかった。
 このあと届く一通の手紙が、再び彼女を新たな“婚約話”へと巻き込むことになるなど――
 まだ、このときのカチュアは夢にも思っていなかった。


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