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3-3 すれ違いの夜と、小さな告白
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第3章 嫉妬と誤解と、優しすぎる干渉
3-3 すれ違いの夜と、小さな告白
春の風が、屋敷の廊下を通り抜けていった。
遠くで夜鳥が鳴く声が、静かな夜に溶けていく。
ライナルトと過ごす日々は、少しずつ温度を帯びていた。
朝は同じテーブルで食事をし、昼は短い会話を交わし、
夕暮れには一緒に紅茶を淹れる。
――それが、今のカチュアの日常だった。
(まるで夢のようですわね)
暖炉の前でカップを手にしながら、カチュアは微笑む。
だが、心のどこかで、
“この幸せが永遠に続くのだろうか”という不安も芽生えていた。
その夜。
ライナルトは珍しく遅くまで執務室に籠もっていた。
王都から再び届いた報告書――それには、王家と辺境の税制見直しの件が記されている。
彼の眉間に、深い皺が刻まれていた。
「……君は、王都に戻るよう勧められている」
書類の最後に、そう書かれた一文を見て、
ライナルトの胸に鈍い痛みが走る。
“君”――それは、カチュアのことだった。
王太子が“かつての婚約者を王都へ招待したい”と申し出たのだ。
名目は“王妃教育の補佐”。
だが、その裏にある意図は誰の目にも明らかだった。
(再び、彼女を王都へ――)
ライナルトは目を閉じた。
彼女が戻れば、華やかな世界が待っている。
ドレス、社交界、称賛。
――そして、かつての婚約者。
それに比べ、自分はただの辺境の男だ。
粗野で、不器用で、無骨な領主。
(彼女が望むなら、止める権利はない)
そう思いながらも、
胸の奥に生まれた黒いものを振り払うことができなかった。
夜更け。
カチュアは彼を迎えに執務室を訪れた。
「旦那様、そろそろお休みになりませんか? 目が赤くなっていますわ」
ライナルトは顔を上げたが、
どこか遠くを見るような目をしていた。
「……君に、伝えておくべきことがある」
「はい?」
「王都から招待状が来た。王妃教育の補佐として、君を呼び戻したいと」
カチュアは瞬きをした。
「王都へ……? 今さら、どうして?」
「“元婚約者”の件で、王家の印象を取り戻したいのだろう」
「まぁ……そんな都合の良い理由で、わたくしを?」
「断ってもいい」
「当然ですわ。行く理由などございませんもの」
ライナルトは小さく息を吐いた。
「そう言いながらも、迷っているのではないか?」
「迷ってなどいませんわ」
「王都での生活を懐かしんでいるように見えた」
「それは……」
言葉に詰まる。
ほんの少しだけ、王都の書店や劇場を懐かしく思ったのは事実だった。
けれど、それを“帰りたい”とは言わない。
「旦那様、まさか、わたくしが王都に戻りたいと思っていると?」
「そう見えた」
「……それこそ、干渉ですわ」
ぴしゃりと、カップを置く音が響いた。
「わたくしは、今の生活が好きですの。
お菓子を焼いて、紅茶を飲んで、
旦那様と話して――それが幸せなんですの」
「……すまない。私が余計なことを言った」
「ええ、まったく余計ですわ」
けれど、彼の声音にいつもの穏やかさがなかった。
その違和感に気づいたカチュアは、胸の奥が締めつけられる。
(どうして……そんな顔をなさるの)
ライナルトは視線を逸らしたまま、
「休め」とだけ言い残して部屋を出ていった。
残されたカチュアは、
熱い紅茶を見つめながら呟く。
「……どうしてあんなに冷たくするんですの」
その夜――。
寝室で眠れずにいたカチュアは、
窓の外の雪をぼんやり眺めていた。
やがて、扉が小さくノックされる。
「……まだ起きているか?」
ライナルトの声だった。
「どうぞ」
扉の隙間から入ってきた彼の顔には、
わずかな疲れと、決意のようなものが浮かんでいた。
「さっきのこと……すまなかった」
「え?」
「君がここにいるのを、当たり前だと思っていた。
だから、もし王都に戻ると言われたら――
……どうしていいか分からなくなった」
その言葉を聞いた瞬間、
カチュアの胸が温かくなった。
「旦那様……それは、わたくしを引き止めようと?」
「違う。
君の自由を奪うつもりはない。
ただ、いなくなるのが――怖かった」
その一言で、すべての誤解がほどけた。
カチュアはそっと立ち上がり、
彼の手を両手で包み込む。
「わたくし、どこにも行きませんわ。
だって――“寄り添い”を見つけた場所を、
離れる理由がありませんもの」
「……寄り添い、か」
「はい。
旦那様がわたくしの紅茶を飲んでくださる限り、
わたくしはこの屋敷におりますわ」
ライナルトの瞳が、静かに揺れた。
そして、いつになく柔らかな声で言った。
「君がいてくれて、よかった」
その瞬間、カチュアの頬を涙が伝った。
自分でも驚くほど自然に、あたたかな涙がこぼれ落ちる。
「……泣いているのか?」
「違いますわ、紅茶の湯気が目に沁みただけです」
「夜に紅茶は飲んでいないだろう」
「……今から飲もうと思っていましたの!」
くすくすと笑うカチュアを見て、
ライナルトもわずかに口元を緩めた。
その笑顔は、どんな宝石よりも眩しかった。
「明日は、君の好きな花を買ってこよう」
「まぁ、また干渉ですわね」
「助言の延長だ」
「……ふふ、相変わらずですわね」
夜が更けていく。
窓の外では春の雪が静かに舞っていた。
手のぬくもりが離れぬまま、
二人の距離はもう、
“形式上の夫婦”という枠を越えようとしていた。
それはまだ小さな一歩。
けれど確かに――
“干渉しない”から始まった二人の関係が、
“心を交わす愛”へと変わり始めた夜だった。
---
3-3 すれ違いの夜と、小さな告白
春の風が、屋敷の廊下を通り抜けていった。
遠くで夜鳥が鳴く声が、静かな夜に溶けていく。
ライナルトと過ごす日々は、少しずつ温度を帯びていた。
朝は同じテーブルで食事をし、昼は短い会話を交わし、
夕暮れには一緒に紅茶を淹れる。
――それが、今のカチュアの日常だった。
(まるで夢のようですわね)
暖炉の前でカップを手にしながら、カチュアは微笑む。
だが、心のどこかで、
“この幸せが永遠に続くのだろうか”という不安も芽生えていた。
その夜。
ライナルトは珍しく遅くまで執務室に籠もっていた。
王都から再び届いた報告書――それには、王家と辺境の税制見直しの件が記されている。
彼の眉間に、深い皺が刻まれていた。
「……君は、王都に戻るよう勧められている」
書類の最後に、そう書かれた一文を見て、
ライナルトの胸に鈍い痛みが走る。
“君”――それは、カチュアのことだった。
王太子が“かつての婚約者を王都へ招待したい”と申し出たのだ。
名目は“王妃教育の補佐”。
だが、その裏にある意図は誰の目にも明らかだった。
(再び、彼女を王都へ――)
ライナルトは目を閉じた。
彼女が戻れば、華やかな世界が待っている。
ドレス、社交界、称賛。
――そして、かつての婚約者。
それに比べ、自分はただの辺境の男だ。
粗野で、不器用で、無骨な領主。
(彼女が望むなら、止める権利はない)
そう思いながらも、
胸の奥に生まれた黒いものを振り払うことができなかった。
夜更け。
カチュアは彼を迎えに執務室を訪れた。
「旦那様、そろそろお休みになりませんか? 目が赤くなっていますわ」
ライナルトは顔を上げたが、
どこか遠くを見るような目をしていた。
「……君に、伝えておくべきことがある」
「はい?」
「王都から招待状が来た。王妃教育の補佐として、君を呼び戻したいと」
カチュアは瞬きをした。
「王都へ……? 今さら、どうして?」
「“元婚約者”の件で、王家の印象を取り戻したいのだろう」
「まぁ……そんな都合の良い理由で、わたくしを?」
「断ってもいい」
「当然ですわ。行く理由などございませんもの」
ライナルトは小さく息を吐いた。
「そう言いながらも、迷っているのではないか?」
「迷ってなどいませんわ」
「王都での生活を懐かしんでいるように見えた」
「それは……」
言葉に詰まる。
ほんの少しだけ、王都の書店や劇場を懐かしく思ったのは事実だった。
けれど、それを“帰りたい”とは言わない。
「旦那様、まさか、わたくしが王都に戻りたいと思っていると?」
「そう見えた」
「……それこそ、干渉ですわ」
ぴしゃりと、カップを置く音が響いた。
「わたくしは、今の生活が好きですの。
お菓子を焼いて、紅茶を飲んで、
旦那様と話して――それが幸せなんですの」
「……すまない。私が余計なことを言った」
「ええ、まったく余計ですわ」
けれど、彼の声音にいつもの穏やかさがなかった。
その違和感に気づいたカチュアは、胸の奥が締めつけられる。
(どうして……そんな顔をなさるの)
ライナルトは視線を逸らしたまま、
「休め」とだけ言い残して部屋を出ていった。
残されたカチュアは、
熱い紅茶を見つめながら呟く。
「……どうしてあんなに冷たくするんですの」
その夜――。
寝室で眠れずにいたカチュアは、
窓の外の雪をぼんやり眺めていた。
やがて、扉が小さくノックされる。
「……まだ起きているか?」
ライナルトの声だった。
「どうぞ」
扉の隙間から入ってきた彼の顔には、
わずかな疲れと、決意のようなものが浮かんでいた。
「さっきのこと……すまなかった」
「え?」
「君がここにいるのを、当たり前だと思っていた。
だから、もし王都に戻ると言われたら――
……どうしていいか分からなくなった」
その言葉を聞いた瞬間、
カチュアの胸が温かくなった。
「旦那様……それは、わたくしを引き止めようと?」
「違う。
君の自由を奪うつもりはない。
ただ、いなくなるのが――怖かった」
その一言で、すべての誤解がほどけた。
カチュアはそっと立ち上がり、
彼の手を両手で包み込む。
「わたくし、どこにも行きませんわ。
だって――“寄り添い”を見つけた場所を、
離れる理由がありませんもの」
「……寄り添い、か」
「はい。
旦那様がわたくしの紅茶を飲んでくださる限り、
わたくしはこの屋敷におりますわ」
ライナルトの瞳が、静かに揺れた。
そして、いつになく柔らかな声で言った。
「君がいてくれて、よかった」
その瞬間、カチュアの頬を涙が伝った。
自分でも驚くほど自然に、あたたかな涙がこぼれ落ちる。
「……泣いているのか?」
「違いますわ、紅茶の湯気が目に沁みただけです」
「夜に紅茶は飲んでいないだろう」
「……今から飲もうと思っていましたの!」
くすくすと笑うカチュアを見て、
ライナルトもわずかに口元を緩めた。
その笑顔は、どんな宝石よりも眩しかった。
「明日は、君の好きな花を買ってこよう」
「まぁ、また干渉ですわね」
「助言の延長だ」
「……ふふ、相変わらずですわね」
夜が更けていく。
窓の外では春の雪が静かに舞っていた。
手のぬくもりが離れぬまま、
二人の距離はもう、
“形式上の夫婦”という枠を越えようとしていた。
それはまだ小さな一歩。
けれど確かに――
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“心を交わす愛”へと変わり始めた夜だった。
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