16 / 17
4-4 聖女の退場と春風の誓い
しおりを挟む
第4章 訪問者と揺らぐ日常
4-4 聖女の退場と春風の誓い
その朝、ルーヴァンの空は、驚くほど澄み渡っていた。
春風が新緑を揺らし、花々が太陽の光に微笑む。
屋敷の前には、王都へ戻るための馬車が停まっていた。
リオナは純白のマントを羽織り、
取り巻きの侍従たちと共に玄関に立っていた。
その顔はいつも通りの“聖女の微笑み”を浮かべていたが、
その瞳にはどこか影が差している。
カチュアはその様子を、優雅に微笑みながら見つめていた。
「短い間でしたが、お世話になりましたわ、カチュア様」
リオナはそう言って、表面上の礼を尽くした。
「こちらこそ、辺境までお越しいただき光栄でしたわ。
神の御心に導かれてのお越しでしたもの」
「ええ……導かれて、でしたわね」
わずかに目を伏せたリオナの声には、疲れが滲んでいた。
昨日、彼女が“改訂版報告書”を確認したあと、
顔を真っ青にして一夜を過ごしたことを、
カチュアはよく知っている。
だが、最後まで彼女を責めるつもりはなかった。
(わたくしは復讐ではなく、清算を選びましたの)
カチュアは胸の奥で、静かにそう呟いた。
「辺境というのは……想像以上に、不思議な場所ですわね」
リオナがぽつりと漏らした。
「どうしてかしら?」
「寒いのに、どこか温かい。
人々は粗野なのに、瞳が穏やか。
そして――ここにいると、自分が何者かを問われる気がしますの」
「まあ、それは良いことですわ。
“神に仕える前に、自分に仕えよ”――それがこの地の教えですのよ」
リオナの瞳が揺れた。
ほんの一瞬、彼女は唇を噛み、
やがてふっと微笑んだ。
「……あなたは、怖い方ですわね」
「まぁ、褒め言葉として受け取りますわ」
そのとき、ライナルトが屋敷から姿を現した。
陽光を浴びたその姿は堂々としており、
“辺境の領主”というより、“この地の守護者”のようだった。
「聖女殿。道中の安全は確保してある。
王都までは三日、どうか無事にお戻りを」
「ありがとうございます。
辺境伯様――あなたのような方が、なぜ王都に仕えぬのか不思議ですわ」
「私は、ここを選んだからだ。
この土地も、この人も」
その言葉に、リオナはわずかに目を伏せ、
ゆっくりと頷いた。
「……きっと、それが“神の答え”なのですね」
馬車が出発の準備を始めた。
カチュアはリオナの前に一歩進み出て、
淡いピンク色のクローバーを手渡した。
「これは?」
「この地で最初に咲いた春の花ですの。
“赦し”と“再生”の意味がありますわ」
リオナは驚いたように目を瞬かせ、
そして小さく笑った。
「……わたくし、罰を受けに来たつもりでしたのに。
赦されてしまうなんて、皮肉なものですわね」
「人は罰ではなく、変化のために来るのですわ」
「……あなた、本当に聖女になれる方でしたのね」
「いいえ。
わたくしはただ――紅茶の香りで心を癒すだけの凡人ですの」
リオナはそっとクローバーを胸に当て、
「またお会いできる日が来ますように」と言い残した。
その言葉には、もう敵意も皮肉もなかった。
馬車がゆっくりと動き出す。
春の風がマントをはためかせ、
花びらが舞い散る中、カチュアは静かに見送った。
やがてリオナの姿が遠ざかる。
その背中を見つめながら、ライナルトが口を開いた。
「……終わったな」
「ええ、これでようやく春が来ましたわ」
「君は……本当に強い」
「強くありませんわ。
ただ、わたくしの大切な日常を守りたかっただけですの」
ライナルトはその言葉を聞き、
そっと彼女の手を取った。
「では――これからは、私がその日常を守ろう」
「まぁ、また干渉なさるおつもり?」
「それが、夫の務めだ」
「……でしたら、歓迎いたしますわ」
カチュアは小さく笑い、
春風の中で目を細めた。
その日の午後。
屋敷の庭には紅茶の香りが漂っていた。
カチュアとライナルトは、いつものように並んでティータイムを楽しむ。
「旦那様、今日は特別な紅茶を用意しましたの」
「特別?」
「はい。リオナ様が残していった“王都の茶葉”を少し。
けれど、辺境の湧き水で淹れましたわ」
「……王都と辺境の調和か」
「ええ。どちらかを否定せず、どちらも受け入れる。
それが、わたくしの答えですの」
ライナルトは湯気の立つカップを手に取り、
「……確かに、柔らかくて優しい味だ」と微笑んだ。
「わたくし達も、こんな風に溶け合えたら素敵ですわね」
「もう、なっているさ」
穏やかな沈黙が流れる。
春風が二人の髪を揺らし、
クローバーの花が小さく揺れた。
その光景は、かつて“婚約破棄令嬢”と呼ばれた彼女にとって、
何よりの幸福の証だった。
もう誰に見下されることもない。
もう誰に奪われることもない。
この日常こそが、彼女の勝利だった。
「旦那様」
「なんだ?」
「今度、温室にラベンダーを植えたいのです。
香りを嗅ぐと、心が穏やかになりますの」
「いい考えだ。手伝おう」
「まぁ、意外ですわね。土いじりなんて」
「君が楽しそうにしているなら、いくらでも」
「……それも干渉ですのよ?」
「なら、一生干渉し続ける」
「ふふっ……困った旦那様」
カチュアは笑いながら、彼の肩にもたれた。
そのとき、窓の外からミリーの声がした。
「お嬢様~! 領民の子どもたちが花冠を作ったそうです!」
「まぁ、素敵。すぐ行きますわ!」
立ち上がるカチュアの背を見て、
ライナルトは静かに微笑んだ。
“婚約破棄”という呪いのような言葉は、
今や彼女にとって“再生”の始まりだった。
春の風が再び吹く。
空には柔らかな光が満ち、
庭には笑い声と紅茶の香りが満ちていった。
――それが、彼女のざまぁの果てに咲いた、
最も幸福な春の物語。
---
4-4 聖女の退場と春風の誓い
その朝、ルーヴァンの空は、驚くほど澄み渡っていた。
春風が新緑を揺らし、花々が太陽の光に微笑む。
屋敷の前には、王都へ戻るための馬車が停まっていた。
リオナは純白のマントを羽織り、
取り巻きの侍従たちと共に玄関に立っていた。
その顔はいつも通りの“聖女の微笑み”を浮かべていたが、
その瞳にはどこか影が差している。
カチュアはその様子を、優雅に微笑みながら見つめていた。
「短い間でしたが、お世話になりましたわ、カチュア様」
リオナはそう言って、表面上の礼を尽くした。
「こちらこそ、辺境までお越しいただき光栄でしたわ。
神の御心に導かれてのお越しでしたもの」
「ええ……導かれて、でしたわね」
わずかに目を伏せたリオナの声には、疲れが滲んでいた。
昨日、彼女が“改訂版報告書”を確認したあと、
顔を真っ青にして一夜を過ごしたことを、
カチュアはよく知っている。
だが、最後まで彼女を責めるつもりはなかった。
(わたくしは復讐ではなく、清算を選びましたの)
カチュアは胸の奥で、静かにそう呟いた。
「辺境というのは……想像以上に、不思議な場所ですわね」
リオナがぽつりと漏らした。
「どうしてかしら?」
「寒いのに、どこか温かい。
人々は粗野なのに、瞳が穏やか。
そして――ここにいると、自分が何者かを問われる気がしますの」
「まあ、それは良いことですわ。
“神に仕える前に、自分に仕えよ”――それがこの地の教えですのよ」
リオナの瞳が揺れた。
ほんの一瞬、彼女は唇を噛み、
やがてふっと微笑んだ。
「……あなたは、怖い方ですわね」
「まぁ、褒め言葉として受け取りますわ」
そのとき、ライナルトが屋敷から姿を現した。
陽光を浴びたその姿は堂々としており、
“辺境の領主”というより、“この地の守護者”のようだった。
「聖女殿。道中の安全は確保してある。
王都までは三日、どうか無事にお戻りを」
「ありがとうございます。
辺境伯様――あなたのような方が、なぜ王都に仕えぬのか不思議ですわ」
「私は、ここを選んだからだ。
この土地も、この人も」
その言葉に、リオナはわずかに目を伏せ、
ゆっくりと頷いた。
「……きっと、それが“神の答え”なのですね」
馬車が出発の準備を始めた。
カチュアはリオナの前に一歩進み出て、
淡いピンク色のクローバーを手渡した。
「これは?」
「この地で最初に咲いた春の花ですの。
“赦し”と“再生”の意味がありますわ」
リオナは驚いたように目を瞬かせ、
そして小さく笑った。
「……わたくし、罰を受けに来たつもりでしたのに。
赦されてしまうなんて、皮肉なものですわね」
「人は罰ではなく、変化のために来るのですわ」
「……あなた、本当に聖女になれる方でしたのね」
「いいえ。
わたくしはただ――紅茶の香りで心を癒すだけの凡人ですの」
リオナはそっとクローバーを胸に当て、
「またお会いできる日が来ますように」と言い残した。
その言葉には、もう敵意も皮肉もなかった。
馬車がゆっくりと動き出す。
春の風がマントをはためかせ、
花びらが舞い散る中、カチュアは静かに見送った。
やがてリオナの姿が遠ざかる。
その背中を見つめながら、ライナルトが口を開いた。
「……終わったな」
「ええ、これでようやく春が来ましたわ」
「君は……本当に強い」
「強くありませんわ。
ただ、わたくしの大切な日常を守りたかっただけですの」
ライナルトはその言葉を聞き、
そっと彼女の手を取った。
「では――これからは、私がその日常を守ろう」
「まぁ、また干渉なさるおつもり?」
「それが、夫の務めだ」
「……でしたら、歓迎いたしますわ」
カチュアは小さく笑い、
春風の中で目を細めた。
その日の午後。
屋敷の庭には紅茶の香りが漂っていた。
カチュアとライナルトは、いつものように並んでティータイムを楽しむ。
「旦那様、今日は特別な紅茶を用意しましたの」
「特別?」
「はい。リオナ様が残していった“王都の茶葉”を少し。
けれど、辺境の湧き水で淹れましたわ」
「……王都と辺境の調和か」
「ええ。どちらかを否定せず、どちらも受け入れる。
それが、わたくしの答えですの」
ライナルトは湯気の立つカップを手に取り、
「……確かに、柔らかくて優しい味だ」と微笑んだ。
「わたくし達も、こんな風に溶け合えたら素敵ですわね」
「もう、なっているさ」
穏やかな沈黙が流れる。
春風が二人の髪を揺らし、
クローバーの花が小さく揺れた。
その光景は、かつて“婚約破棄令嬢”と呼ばれた彼女にとって、
何よりの幸福の証だった。
もう誰に見下されることもない。
もう誰に奪われることもない。
この日常こそが、彼女の勝利だった。
「旦那様」
「なんだ?」
「今度、温室にラベンダーを植えたいのです。
香りを嗅ぐと、心が穏やかになりますの」
「いい考えだ。手伝おう」
「まぁ、意外ですわね。土いじりなんて」
「君が楽しそうにしているなら、いくらでも」
「……それも干渉ですのよ?」
「なら、一生干渉し続ける」
「ふふっ……困った旦那様」
カチュアは笑いながら、彼の肩にもたれた。
そのとき、窓の外からミリーの声がした。
「お嬢様~! 領民の子どもたちが花冠を作ったそうです!」
「まぁ、素敵。すぐ行きますわ!」
立ち上がるカチュアの背を見て、
ライナルトは静かに微笑んだ。
“婚約破棄”という呪いのような言葉は、
今や彼女にとって“再生”の始まりだった。
春の風が再び吹く。
空には柔らかな光が満ち、
庭には笑い声と紅茶の香りが満ちていった。
――それが、彼女のざまぁの果てに咲いた、
最も幸福な春の物語。
---
2
あなたにおすすめの小説
実家を没落させられ恋人も奪われたので呪っていたのですが、記憶喪失になって呪わなくなった途端、相手が自滅していきました
麻宮デコ@SS短編
恋愛
「どうぞ、あの人たちに罰を与えてください。この身はどうなっても構いません」
ラルド侯爵家のドリィに自分の婚約者フィンセントを奪われ、実家すらも没落においやられてしまった伯爵家令嬢のシャナ。
毎日のように呪っていたところ、ラルド家の馬車が起こした事故に巻き込まれて記憶を失ってしまった。
しかし恨んでいる事実を忘れてしまったため、抵抗なく相手の懐に入りこむことができてしまい、そして別に恨みを晴らそうと思っているわけでもないのに、なぜか呪っていた相手たちは勝手に自滅していってしまうことになっていった。
全6話
貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました
ゆっこ
恋愛
――あの日、私は確かに笑われた。
「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」
王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。
その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。
――婚約破棄。
【完結】結婚前から愛人を囲う男の種などいりません!
つくも茄子
ファンタジー
伯爵令嬢のフアナは、結婚式の一ヶ月前に婚約者の恋人から「私達愛し合っているから婚約を破棄しろ」と怒鳴り込まれた。この赤毛の女性は誰?え?婚約者のジョアンの恋人?初耳です。ジョアンとは従兄妹同士の幼馴染。ジョアンの父親である侯爵はフアナの伯父でもあった。怒り心頭の伯父。されどフアナは夫に愛人がいても一向に構わない。というよりも、結婚一ヶ月前に破棄など常識に考えて無理である。無事に結婚は済ませたものの、夫は新妻を蔑ろにする。何か勘違いしているようですが、伯爵家の世継ぎは私から生まれた子供がなるんですよ?父親?別に書類上の夫である必要はありません。そんな、フアナに最高の「種」がやってきた。
他サイトにも公開中。
義母と義妹に虐げられていましたが、陰からじっくり復讐させていただきます〜おしとやか令嬢の裏の顔〜
有賀冬馬
ファンタジー
貴族の令嬢リディアは、父の再婚によりやってきた継母と義妹から、日々いじめと侮蔑を受けていた。
「あら、またそのみすぼらしいドレス? まるで使用人ね」
本当の母は早くに亡くなり、父も病死。残されたのは、冷たい屋敷と陰湿な支配。
けれど、リディアは泣き寝入りする女じゃなかった――。
おしとやかで無力な令嬢を演じながら、彼女はじわじわと仕返しを始める。
貴族社会の裏の裏。人の噂。人間関係。
「ふふ、気づいた時には遅いのよ」
優しげな仮面の下に、冷たい微笑みを宿すリディアの復讐劇が今、始まる。
ざまぁ×恋愛×ファンタジーの三拍子で贈る、スカッと復讐劇!
勧善懲悪が好きな方、読後感すっきりしたい方にオススメです!
婚約破棄された令嬢は、“神の寵愛”で皇帝に溺愛される 〜私を笑った全員、ひざまずけ〜
夜桜
恋愛
「お前のような女と結婚するくらいなら、平民の娘を選ぶ!」
婚約者である第一王子・レオンに公衆の面前で婚約破棄を宣言された侯爵令嬢セレナ。
彼女は涙を見せず、静かに笑った。
──なぜなら、彼女の中には“神の声”が響いていたから。
「そなたに、我が祝福を授けよう」
神より授かった“聖なる加護”によって、セレナは瞬く間に癒しと浄化の力を得る。
だがその力を恐れた王国は、彼女を「魔女」と呼び追放した。
──そして半年後。
隣国の皇帝・ユリウスが病に倒れ、どんな祈りも届かぬ中、
ただ一人セレナの手だけが彼の命を繋ぎ止めた。
「……この命、お前に捧げよう」
「私を嘲った者たちが、どうなるか見ていなさい」
かつて彼女を追放した王国が、今や彼女に跪く。
──これは、“神に選ばれた令嬢”の華麗なるざまぁと、
“氷の皇帝”の甘すぎる寵愛の物語。
転生令嬢は捨てられた元婚約者に微笑む~悪役にされたけど、今さら愛されてももう遅い~
exdonuts
恋愛
前世で酷く裏切られ、婚約破棄された伯爵令嬢リリアーナ。涙の最期を迎えたはずが、気づけば婚約破棄より三年前の自分に転生していた。
今度こそもう誰にも傷つけられない——そう誓ったリリアーナは、静かに運命を書き換えていく。かつて彼女を見下し利用した人々が、ひとり、またひとりと破滅していく中……。
「リリアーナ、君だけを愛している」
元婚約者が涙ながらに悔やんでも、彼女の心はもう戻らない。
傷ついた令嬢が笑顔で世界を制す、ざまぁ&溺愛の王道転生ロマンス!
すべてを失って捨てられましたが、聖絵師として輝きます!~どうぞ私のことは忘れてくださいね~
水川サキ
恋愛
家族にも婚約者にも捨てられた。
心のよりどころは絵だけ。
それなのに、利き手を壊され描けなくなった。
すべてを失った私は――
※他サイトに掲載
断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る
黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」
パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。
(ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる