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第6話 踏み込ませない距離
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第6話 踏み込ませない距離
王都の朝は、いつもと変わらぬ音に満ちていた。
馬車の車輪が石畳を叩き、商人の呼び声が重なり、人々はそれぞれの役割をこなしている。だが、その喧騒の中で、コルネリア・フォン・ヴァルデンの周囲だけは、不思議なほど静かだった。
婚約破棄から数日が経ち、彼女はすでに通常の生活へと戻っている。
読書、帳簿の確認、家の者との最低限の会話。どれも、これまでと変わらないはずの行為だ。
――変わったのは、関わる相手だ。
「お嬢様、本日の来客ですが……」
執事が控えめに声をかける。
「お断りします」
理由を聞く前に、即座に返答した。
執事は一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに一礼する。
「かしこまりました」
それだけで済む。
以前の彼女なら、相手を気遣い、理由を探し、角が立たない断り方を考えただろう。だが今は違う。
説明しない。
納得させようとしない。
踏み込ませない距離を、自分で決めたからだ。
その日の昼前、予想していた人物が現れた。
バルタザール・フォン・クロイツ。
ヴァルデン伯爵邸の門前で、彼は堂々と名乗り、面会を求めたという。
使用人が困惑した表情で報告に来たとき、コルネリアは一瞬も迷わなかった。
「お帰りいただいてください」
「ですが……」
「事前の約束はありません」
それが、すべてだった。
使いの者が去った後、静寂が戻る。
胸の奥が、ほんのわずかにざわめいたが、それもすぐに収まった。
――予想通りだ。
彼は、必ず来る。
そして、こちらが応じる前提で話を進める。
それが、これまでのやり方だった。
その頃、屋敷の外では、思わぬ形で足止めを食らったバルタザールが、苛立ちを隠せずにいた。
「通してくれ。急ぎの用件だ」
「申し訳ありません。お嬢様はご面会なさらないと」
門番の言葉は、丁寧だが揺るがない。
「……円満に別れたはずだろう」
思わず、口に出た。
門番は困ったように視線を泳がせる。
「そのように伺ってはおりますが……お嬢様のご意思ですので」
ご意思。
その言葉が、バルタザールの神経を逆なでした。
これまで、彼女の意思は、彼の判断と並列に扱われてきたはずだ。
いや、正確に言えば――彼の判断の中に、自然と組み込まれていた。
それが、今は通じない。
「……分かった」
歯切れ悪くそう告げ、彼は踵を返した。
背後で門が閉じる音が、やけに大きく響く。
――拒絶された。
はっきりと。
だが、その事実を、彼はまだ正しく受け止められていなかった。
屋敷の書斎で、コルネリアは静かに窓の外を眺めていた。
遠ざかっていく馬車の音を、彼女は確かに聞いていた。
胸が痛まないわけではない。
だが、その痛みは、後悔ではなく確認に近い。
――私は、正しい距離を保てている。
午後、彼女は母から声をかけられた。
「随分と、はっきり断ったそうね」
責める口調ではない。
むしろ、様子を探るような声音だった。
「はい」
コルネリアは、それ以上付け加えない。
母はしばらく娘を見つめ、やがて静かに頷いた。
「それでいいわ。終わった関係に、義理はないもの」
その言葉に、胸の奥がわずかに温かくなる。
理解されることを、彼女は求めていなかった。
だが、理解が与えられることを、拒みはしなかった。
一方、バルタザールはその日、何度も苛立ちを募らせていた。
門前で追い返された出来事は、彼の中で予想以上に大きく膨らんでいる。
「なぜ、話すことすら拒む……」
自室で呟き、グラスを傾ける。
だが、酒の味はしない。
彼女は、怒っているわけではない。
泣いて縋ってくるわけでもない。
ただ、距離を置いている。
それが、何よりも理解しがたい。
夜が更け、屋敷の灯が一つ、また一つと消えていく中で、コルネリアは机に向かい、簡潔な覚書を書き留めていた。
――今後、私的な接触には応じない。
――必要な連絡は、家同士を通す。
それは冷たい決意ではない。
自分を守るための、明確な境界線だ。
彼女はペンを置き、深く息を吐いた。
踏み込ませない距離。
それは、拒絶であり、同時に自立の証でもある。
そしてその距離が、
これから先、誰の心を追い詰めていくのかを――
コルネリア・フォン・ヴァルデンは、まだ知らなかった。
王都の朝は、いつもと変わらぬ音に満ちていた。
馬車の車輪が石畳を叩き、商人の呼び声が重なり、人々はそれぞれの役割をこなしている。だが、その喧騒の中で、コルネリア・フォン・ヴァルデンの周囲だけは、不思議なほど静かだった。
婚約破棄から数日が経ち、彼女はすでに通常の生活へと戻っている。
読書、帳簿の確認、家の者との最低限の会話。どれも、これまでと変わらないはずの行為だ。
――変わったのは、関わる相手だ。
「お嬢様、本日の来客ですが……」
執事が控えめに声をかける。
「お断りします」
理由を聞く前に、即座に返答した。
執事は一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに一礼する。
「かしこまりました」
それだけで済む。
以前の彼女なら、相手を気遣い、理由を探し、角が立たない断り方を考えただろう。だが今は違う。
説明しない。
納得させようとしない。
踏み込ませない距離を、自分で決めたからだ。
その日の昼前、予想していた人物が現れた。
バルタザール・フォン・クロイツ。
ヴァルデン伯爵邸の門前で、彼は堂々と名乗り、面会を求めたという。
使用人が困惑した表情で報告に来たとき、コルネリアは一瞬も迷わなかった。
「お帰りいただいてください」
「ですが……」
「事前の約束はありません」
それが、すべてだった。
使いの者が去った後、静寂が戻る。
胸の奥が、ほんのわずかにざわめいたが、それもすぐに収まった。
――予想通りだ。
彼は、必ず来る。
そして、こちらが応じる前提で話を進める。
それが、これまでのやり方だった。
その頃、屋敷の外では、思わぬ形で足止めを食らったバルタザールが、苛立ちを隠せずにいた。
「通してくれ。急ぎの用件だ」
「申し訳ありません。お嬢様はご面会なさらないと」
門番の言葉は、丁寧だが揺るがない。
「……円満に別れたはずだろう」
思わず、口に出た。
門番は困ったように視線を泳がせる。
「そのように伺ってはおりますが……お嬢様のご意思ですので」
ご意思。
その言葉が、バルタザールの神経を逆なでした。
これまで、彼女の意思は、彼の判断と並列に扱われてきたはずだ。
いや、正確に言えば――彼の判断の中に、自然と組み込まれていた。
それが、今は通じない。
「……分かった」
歯切れ悪くそう告げ、彼は踵を返した。
背後で門が閉じる音が、やけに大きく響く。
――拒絶された。
はっきりと。
だが、その事実を、彼はまだ正しく受け止められていなかった。
屋敷の書斎で、コルネリアは静かに窓の外を眺めていた。
遠ざかっていく馬車の音を、彼女は確かに聞いていた。
胸が痛まないわけではない。
だが、その痛みは、後悔ではなく確認に近い。
――私は、正しい距離を保てている。
午後、彼女は母から声をかけられた。
「随分と、はっきり断ったそうね」
責める口調ではない。
むしろ、様子を探るような声音だった。
「はい」
コルネリアは、それ以上付け加えない。
母はしばらく娘を見つめ、やがて静かに頷いた。
「それでいいわ。終わった関係に、義理はないもの」
その言葉に、胸の奥がわずかに温かくなる。
理解されることを、彼女は求めていなかった。
だが、理解が与えられることを、拒みはしなかった。
一方、バルタザールはその日、何度も苛立ちを募らせていた。
門前で追い返された出来事は、彼の中で予想以上に大きく膨らんでいる。
「なぜ、話すことすら拒む……」
自室で呟き、グラスを傾ける。
だが、酒の味はしない。
彼女は、怒っているわけではない。
泣いて縋ってくるわけでもない。
ただ、距離を置いている。
それが、何よりも理解しがたい。
夜が更け、屋敷の灯が一つ、また一つと消えていく中で、コルネリアは机に向かい、簡潔な覚書を書き留めていた。
――今後、私的な接触には応じない。
――必要な連絡は、家同士を通す。
それは冷たい決意ではない。
自分を守るための、明確な境界線だ。
彼女はペンを置き、深く息を吐いた。
踏み込ませない距離。
それは、拒絶であり、同時に自立の証でもある。
そしてその距離が、
これから先、誰の心を追い詰めていくのかを――
コルネリア・フォン・ヴァルデンは、まだ知らなかった。
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