『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』

ふわふわ

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第12話 終わった場所には戻れない

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第12話 終わった場所には戻れない

 その朝、コルネリア・フォン・ヴァルデンは、いつもより少し早く目を覚ました。
 窓の外では、柔らかな朝日が庭を照らし、鳥のさえずりが穏やかに響いている。心を乱す要素は、何ひとつない。

 ――ようやく、静かになった。

 それが、彼女の率直な感想だった。

 婚約破棄から今日まで、周囲は必要以上に騒がしかった。
 円満だの、大人の対応だの、冷たい女だの。どれも、彼女自身とは無関係な評価だ。

 彼女は、ただ関係を終わらせただけだ。
 それ以上でも、それ以下でもない。

 朝食の席で、母が何気なく言った。

 「今日、王宮から使いが来るそうよ」

 コルネリアは、手を止めずに答える。

 「正式な案件ですか」

 「ええ。家宛ての書簡だそうよ」

 それなら問題ない。
 彼女は個人として会うつもりはないが、家同士のやり取りまで拒む理由はない。

 ――線は引く。
 だが、断絶はしない。

 それが、彼女の選んだ距離だった。

 午前中、書斎で資料に目を通していると、執事が入ってきた。

 「お嬢様、王宮よりの正式書簡です」

 差し出された封筒には、王宮の紋章。
 だが、差出人の名を見た瞬間、コルネリアは静かに理解した。

 バルタザール・フォン・クロイツ。

 個人ではなく、立場としての彼。
 それが、最後の手段なのだろう。

 コルネリアは、封を切った。
 文面は、形式的で、よく整っている。

 謝罪は簡潔。
 経緯の説明も、過不足なく。

 そして最後に、こうあった。

 ――一度でいい。直接、話す機会をいただけないだろうか。

 読み終えたあと、コルネリアはしばらく、その文面を見つめていた。
 怒りはない。悲しみもない。

 あるのは、理解だけだ。

 ――彼は、まだ分かっていない。

 終わった関係に、
 「話し合い」で戻れる道があると思っている。

 コルネリアは、静かにペンを取った。

 返答は短くていい。
 誤解の余地を残さないために。

 書簡は、こう締めくくられていた。

 ――婚約は、すでに解消されています。
 ――私的な関係は、存在しません。
 ――お話しするべき内容は、ありません。

 それだけだった。

 執事に書簡を渡し、彼女は深く息を吐く。
 胸の奥が、少しだけ軽くなった。

 午後、王宮の執務室では、バルタザールがその返書を受け取っていた。

 彼は、ゆっくりと文面を読み、最後の一行に視線を落としたまま動かなくなる。

 「……話すべき内容は、ない、か」

 声に出すと、その言葉の重みが、改めて胸に落ちた。

 拒絶ではない。
 怒りでもない。

 ただの、終了宣言。

 「……戻れない、ということか」

 理解はしている。
 だが、納得はできていない。

 彼は、椅子に深く腰掛け、目を閉じた。

 これまで、どんな問題も、話し合いで解決できた。
 謝れば、理解され。説明すれば、受け入れられた。

 ――そう信じてきた。

 だが、今回ばかりは違う。

 彼女は、理解しないのではない。
 最初から、関わらないことを選んでいる。

 「……あのとき、なぜ」

 夜会の光景が、何度も脳裏をよぎる。
 自分の宣告。
 彼女の沈黙。

 あれを、了承だと勘違いした自分の浅はかさ。

 その日の夕刻、王宮内では新たな噂が流れ始めていた。

 「ヴァルデン伯爵令嬢、正式にクロイツ卿との接触を拒否したそうだ」
 「王宮の書簡ですら、断られたとか」
 「円満どころではないな……」

 噂は、静かだが確実に形を変えていく。
 同情から、評価へ。
 評価から、理解へ。

 ――彼女は、正しかったのではないか。

 そう思い始める者が、少しずつ増えていた。

 一方、コルネリアは、夕暮れの庭を歩いていた。
 沈みゆく陽を眺めながら、胸の内を確かめる。

 後悔はない。
 未練もない。

 あるのは、確信だけだ。

 終わった場所には、戻れない。
 戻っても、そこにあるのは、過去の影だけだ。

 彼女は、ゆっくりと踵を返し、屋敷へと戻る。

 これから進む道は、
 もう誰かの後ろではない。

 コルネリア・フォン・ヴァルデンは、
 自分の人生を、自分の足で歩き始めていた。
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