『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』

ふわふわ

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第22話 信頼は譲れない

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第22話 信頼は譲れない

 王都に、雨が降り続いていた。
 派手な嵐ではない。ただ、止む気配のない、静かな雨だ。石畳を濡らし、人の足取りを少しだけ鈍らせる。

 そんな朝、コルネリア・フォン・ヴァルデンは、仮設事務所で地図を広げていた。
 水路整備計画の次段階。雨季に入る前に、どうしても確認しておきたい点がある。

 「この区域、想定より水位が上がっています」

 補佐が報告する。
 コルネリアは頷き、視線を移した。

 「上流の森ですね。伐採が進んでいるはず」

 「はい。私有地ですが、管理が甘くなっているようで」

 問題は、技術ではない。
 利害だ。

 「直接、話しましょう」

 即断だった。

 相手は、王都に近い中堅貴族。
 影響力もあり、顔を潰すようなやり方はできない。

 午後、会合の席に現れたその貴族は、穏やかな笑みを浮かべていた。

 「雨が続いていますな。自然のことですから、ある程度は仕方ない」

 遠回しな牽制。
 責任をぼかすための言葉だ。

 コルネリアは、感情を挟まず、資料を差し出した。

 「こちらをご覧ください。伐採前と後の水位変化です」

 数字と図表。
 誤魔化しの余地はない。

 「……ふむ。しかし、我が家だけの問題では――」

 「承知しています」

 遮らず、肯定する。

 「ですから、責任を問うつもりはありません。ただ、協力をお願いしたいのです」

 相手は、少し意外そうに眉を上げた。

 「協力?」

 「ええ。伐採の一時停止と、簡易的な水止めの設置を。費用はこちらで一部負担します」

 譲歩だ。
 だが、筋は通っている。

 沈黙の後、貴族は低く息を吐いた。

 「……あなたは、強引ではないな」

 「強引に進めると、後で必ず歪みが出ます」

 それだけだった。

 合意は成立した。
 派手な勝利ではない。だが、確実な前進だ。

 一方その頃、王宮では別の空気が流れていた。

 「ヴァルデン伯爵令嬢、あの件でも折れなかったそうだ」
 「ええ。でも、対立は生まれていない」

 評価は、変わり始めている。

 ――あの人は、譲るところと、譲らないところを間違えない。

 バルタザール・フォン・クロイツは、その噂を、廊下の陰で聞いていた。
 胸に浮かんだのは、苦さではなく、静かな理解だった。

 「……信頼を、売らない」

 彼女は、評価や速度のために、信頼を削らない。
 だから、結果として信頼が積み上がる。

 その日の夕刻、会議室で小さな揉め事が起きた。
 別件の計画で、短期的な成果を優先する案が出されていたのだ。

 「これなら、今期の数字は確実に良くなります」

 提案者の声は自信に満ちている。

 だが、コルネリアは首を振った。

 「現場が疲弊します」

 「しかし、評価が――」

 「評価は、後からついてきます」

 言葉は柔らかいが、譲らない。

 沈黙が落ちる。
 その空気を、バルタザールが破った。

 「……彼女の言う通りだ」

 全員の視線が集まる。

 「短期的な数字は出ますが、次の段階で必ず無理が出る。補佐として、現場の報告を見ていますが……兆候はすでにあります」

 彼の言葉は、実務に裏打ちされていた。
 会議は、方向を修正する。

 決定後、誰かが小さく言った。

 「……結局、信頼を優先した方が、早いな」

 雨は、夜になっても止まなかった。

 コルネリアは屋敷に戻り、濡れた外套を脱ぐ。
 今日の合意内容を簡潔に記し、次の確認日を書き添える。

 派手な成果はない。
 だが、明日も進める。

 一方、バルタザールは執務室で、報告書を書きながら、ふと手を止めた。

 ――信頼は、譲れない。

 それは、彼女が守り続けてきたものだ。
 そして、自分が軽視してきたものでもある。

 夜更け、王都の雨は、ようやく弱まった。
 雲の切れ間から、わずかに星が覗く。

 コルネリアは、窓辺でその光を見上げる。
 選んできた道は、遠回りに見えるかもしれない。

 だが、折れていない。
 削れていない。

 信頼は、一度失えば、取り戻すのに時間がかかる。
 だからこそ、最初から譲らない。

 同じ夜、バルタザールは静かに頷いた。

 彼女が選ばれる理由は、
 才能でも、運でもない。

 信頼を、条件にしなかったこと。

 その事実が、
 今になって、はっきりと胸に刻まれていた。
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