『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』

ふわふわ

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第33話 問いを残す者

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第33話 問いを残す者

 王都に、目立った事件は起きていなかった。
 水路整備計画は通常管理に移行し、問題は起きても小さく、静かに処理されている。
 誰かが慌てて走り回ることもなく、声を荒げる必要もない。

 それでも――
 確かに、空気は変わっていた。

 「……最近、会議が長くなったな」

 王宮の一室で、若い官僚が小さく漏らす。

 「決まらない、というより……考える時間が増えた」

 年配の官僚が、ゆっくりと頷いた。

 以前なら、決定は上から降りてきた。
 理由は後付けでもよかった。
 だが今は違う。

 「どう判断するか」
 「その理由は何か」
 「影響はどこまで及ぶか」

 それらを、口に出して確認しなければ、前に進めなくなっている。

 それは、面倒だ。
 だが同時に、健全でもあった。

 コルネリア・フォン・ヴァルデンは、その様子を直接見る立場にはいなかった。
 だが、彼女の屋敷には、時折そうした話が、書簡という形で届く。

 「……質問が、増えていますね」

 机に積まれた手紙を見て、彼女は小さく息を吐いた。

 相談ではない。
 指示を求めるものでもない。

 「こう判断したが、軸は間違っていないだろうか」

 そんな問いが、多い。

 彼女は、一通一通に、丁寧に目を通す。
 だが、返す言葉は、どれも短い。

 ――判断は妥当です。
 ――理由を、記録してください。
 ――次に同じ状況が来たら、同じ問いを立ててください。

 答えは、与えない。
 問いだけを、返す。

 午前、王宮では、新たな案件が持ち上がっていた。
 小規模だが、複数の部署にまたがる調整が必要な事業だ。

 「……この方式で進められるか?」

 誰かが、ぽつりと口にした。

 「判断基準を先に固めて、現場に任せる……」

 言葉にした瞬間、空気が少し張る。

 「責任は?」

 その問いに、すぐ答えは出ない。

 バルタザール・フォン・クロイツは、沈黙の中で、ゆっくりと口を開いた。

 「責任を引き受ける者が、決まってから、始めるべきでしょう」

 全員が、彼を見る。

 かつての彼なら、
 評価を恐れ、
 責任を避け、
 曖昧な役割分担に逃げていた。

 今は、違う。

 「制度を真似るだけでは、同じ結果は出ません」

 彼の声は、落ち着いていた。

 「問いを立て続けられる者が、上に立つ必要があります」

 その場に、静かな納得が広がる。

 問いを立てる。
 答えを急がない。
 理由を、言葉にする。

 それは、コルネリアが残したやり方だった。

 午後、コルネリアは屋敷の庭で、静かに紅茶を飲んでいた。
 最近、彼女は以前よりも、仕事から距離を取っている。

 だが、切り離してはいない。

 「……問い、ですか」

 届いた書簡の一節を、思い返す。

 ――皆が、以前より考えるようになりました。

 その一文に、彼女はわずかに微笑んだ。

 答えを与えれば、楽になる。
 だが、それでは、次に続かない。

 問いを残すことは、
 面倒で、
 時間がかかり、
 時に、不安を生む。

 それでも。

 「……問いが残らなければ、判断は育たない」

 夜、王都では、非公式の集まりが開かれていた。
 話題は、新たな事業の進め方について。

 「最近、誰も即断しなくなったな」
 「その代わり、後戻りもしなくなった」

 誰かが、そう言って笑う。

 「……やりにくいが、悪くない」

 それが、率直な評価だった。

 同じ夜、バルタザールは書斎で、一枚の紙に目を落としていた。
 そこには、簡単なメモが書かれている。

 ――この判断の問いは、何か。

 彼は、ペンを持ち、ゆっくりと書き足す。

 ――次に同じ状況が来たら、誰が何を問うか。

 答えではない。
 問いだ。

 王都の灯りが、静かに瞬く。

 コルネリア・フォン・ヴァルデンは、
 前に立つことなく、
 命令することなく、
 それでも確かに――
 問いを残す者として、
 今もこの街に影響を与えていた。

 問いは、重い。
 だが、その重さがあるからこそ、
 判断は、次へと続いていく。

 彼女が残したのは、
 完成された答えではない。

 考え続けるための、問いそのものだった。
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