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第3話 王城を出る準備をしながら
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第3話 王城を出る準備をしながら
王城の一室で、カグラは淡々と荷造りを進めていた。
大きな木箱は使わない。
鞄は二つだけ。衣服と書物、最低限の生活用品――それだけで十分だった。
「思ったより、持ち物は少ないものですわね……」
独り言のように呟き、手に取った一冊の本をそっと閉じる。
それは、王都の学院で学んでいた頃から愛読してきた歴史書だった。
婚約者として過ごした年月。
王太子妃候補として身につけた礼儀作法、政務補佐、社交術。
それらはすべて、捨てるものではない。
だが――この王城に置いていく理由も、もうなかった。
「お嬢様……」
背後で、誰かが声を詰まらせる。
振り返ると、部屋の入口には侍女たちが立っていた。
年若い者も、長年仕えてくれた者もいる。皆、目を赤くしていた。
「どうなさいましたの?」
カグラがいつも通りの声で問いかけると、
一人の侍女が、堪えきれずに膝をついた。
「本当に……本当に、行ってしまわれるのですか……?」
「ええ」
即答だった。
「王太子殿下の命ですもの。逆らう理由はありませんわ」
「ですが……っ」
別の侍女が涙声で続ける。
「カグラ様は、何も悪いことをなさっていません……!
それなのに、追放だなんて……!」
「感情で判断する方が、上に立っているだけのことです」
カグラは穏やかに微笑んだ。
「それは、珍しい話ではありません」
その言葉が、かえって胸に刺さったのだろう。
侍女たちは、声を殺して泣き始めた。
「……皆さん」
カグラはそっと歩み寄り、視線を合わせる。
「泣かないでください。私は、不幸になりに行くわけではありませんわ」
「……でも……」
「それに」
一瞬、だけ。
ほんのわずかに、悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
「どうやら、私は一人で行くことにはならなそうですし」
侍女たちは、はっと顔を上げた。
「……え?」
「外をご覧になって」
促され、窓辺へ近づく。
王城の裏門――そこには、昨日よりもさらに増えた人影があった。
馬車の数も、荷の量も、明らかに多い。
「あれは……」
「商人ですわね。あちらは騎士団の方々かしら」
「……なぜ……?」
問いかける侍女に、カグラは静かに答えた。
「さあ。皆さん、自分で考えて動いているのでしょう」
――私が命じたわけではない。
――引き止めたわけでもない。
――ただ、出て行くと決めただけ。
それなのに、人は集まり、動き始めている。
「……お嬢様」
老執事が、一歩前に出た。
「もし、お許しいただけるのであれば」
深く頭を下げる。
「私も、同行させてください」
その言葉に、部屋の空気が張り詰めた。
「執事長……?」
「この王城で働いてきた年月より、あなたに仕えてきた年月の方が、私にとっては大切なのです」
カグラは、しばらく黙って彼を見つめていた。
「……後悔しませんか?」
「致しません」
即答だった。
「あなたは、どこへ行っても、あなたですから」
その言葉に、カグラは一瞬だけ目を伏せた。
「……分かりました」
そして、静かに告げる。
「では、一緒に参りましょう。
ただし――」
顔を上げ、はっきりとした声で続けた。
「私は、誰かを養うために出て行くのではありません。
皆さん自身の意思で、歩く道を選ぶのです」
老執事は、穏やかに微笑んだ。
「それでこそ、カグラ様です」
その日の夕方。
王城の外では、列がさらに長くなっていた。
誰かが誰かを連れてきて、噂が噂を呼ぶ。
一方その頃。
玉座の間で、王太子レオニスは苛立ちを隠せずにいた。
「……まだ戻らんのか」
「は……」
側近は歯切れ悪く答える。
「戻るどころか……本日だけで、貴族四家、騎士団二部隊が城を出ました」
「……なに?」
「“カグラ様の行く先を見届けたい”と……」
「馬鹿な……!」
レオニスは玉座の肘掛けを叩いた。
「追放したのは俺だぞ!?
なぜ、あいつについていく……!」
その問いに答えられる者は、誰もいなかった。
そして、王城の一室。
カグラは最後に部屋を見渡し、静かに扉を閉めた。
(私は、ただ出て行くだけ……)
(それなのに――)
城の外で待つ、人々の気配を感じながら、心の中で呟く。
(どうして、こんなにも一緒に来てしまうのですか……?)
追放される準備は、もう整っていた。
だがそれは、
“終わりの準備”ではなく、
“何かが始まる準備”でしかなかった。
王城の一室で、カグラは淡々と荷造りを進めていた。
大きな木箱は使わない。
鞄は二つだけ。衣服と書物、最低限の生活用品――それだけで十分だった。
「思ったより、持ち物は少ないものですわね……」
独り言のように呟き、手に取った一冊の本をそっと閉じる。
それは、王都の学院で学んでいた頃から愛読してきた歴史書だった。
婚約者として過ごした年月。
王太子妃候補として身につけた礼儀作法、政務補佐、社交術。
それらはすべて、捨てるものではない。
だが――この王城に置いていく理由も、もうなかった。
「お嬢様……」
背後で、誰かが声を詰まらせる。
振り返ると、部屋の入口には侍女たちが立っていた。
年若い者も、長年仕えてくれた者もいる。皆、目を赤くしていた。
「どうなさいましたの?」
カグラがいつも通りの声で問いかけると、
一人の侍女が、堪えきれずに膝をついた。
「本当に……本当に、行ってしまわれるのですか……?」
「ええ」
即答だった。
「王太子殿下の命ですもの。逆らう理由はありませんわ」
「ですが……っ」
別の侍女が涙声で続ける。
「カグラ様は、何も悪いことをなさっていません……!
それなのに、追放だなんて……!」
「感情で判断する方が、上に立っているだけのことです」
カグラは穏やかに微笑んだ。
「それは、珍しい話ではありません」
その言葉が、かえって胸に刺さったのだろう。
侍女たちは、声を殺して泣き始めた。
「……皆さん」
カグラはそっと歩み寄り、視線を合わせる。
「泣かないでください。私は、不幸になりに行くわけではありませんわ」
「……でも……」
「それに」
一瞬、だけ。
ほんのわずかに、悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
「どうやら、私は一人で行くことにはならなそうですし」
侍女たちは、はっと顔を上げた。
「……え?」
「外をご覧になって」
促され、窓辺へ近づく。
王城の裏門――そこには、昨日よりもさらに増えた人影があった。
馬車の数も、荷の量も、明らかに多い。
「あれは……」
「商人ですわね。あちらは騎士団の方々かしら」
「……なぜ……?」
問いかける侍女に、カグラは静かに答えた。
「さあ。皆さん、自分で考えて動いているのでしょう」
――私が命じたわけではない。
――引き止めたわけでもない。
――ただ、出て行くと決めただけ。
それなのに、人は集まり、動き始めている。
「……お嬢様」
老執事が、一歩前に出た。
「もし、お許しいただけるのであれば」
深く頭を下げる。
「私も、同行させてください」
その言葉に、部屋の空気が張り詰めた。
「執事長……?」
「この王城で働いてきた年月より、あなたに仕えてきた年月の方が、私にとっては大切なのです」
カグラは、しばらく黙って彼を見つめていた。
「……後悔しませんか?」
「致しません」
即答だった。
「あなたは、どこへ行っても、あなたですから」
その言葉に、カグラは一瞬だけ目を伏せた。
「……分かりました」
そして、静かに告げる。
「では、一緒に参りましょう。
ただし――」
顔を上げ、はっきりとした声で続けた。
「私は、誰かを養うために出て行くのではありません。
皆さん自身の意思で、歩く道を選ぶのです」
老執事は、穏やかに微笑んだ。
「それでこそ、カグラ様です」
その日の夕方。
王城の外では、列がさらに長くなっていた。
誰かが誰かを連れてきて、噂が噂を呼ぶ。
一方その頃。
玉座の間で、王太子レオニスは苛立ちを隠せずにいた。
「……まだ戻らんのか」
「は……」
側近は歯切れ悪く答える。
「戻るどころか……本日だけで、貴族四家、騎士団二部隊が城を出ました」
「……なに?」
「“カグラ様の行く先を見届けたい”と……」
「馬鹿な……!」
レオニスは玉座の肘掛けを叩いた。
「追放したのは俺だぞ!?
なぜ、あいつについていく……!」
その問いに答えられる者は、誰もいなかった。
そして、王城の一室。
カグラは最後に部屋を見渡し、静かに扉を閉めた。
(私は、ただ出て行くだけ……)
(それなのに――)
城の外で待つ、人々の気配を感じながら、心の中で呟く。
(どうして、こんなにも一緒に来てしまうのですか……?)
追放される準備は、もう整っていた。
だがそれは、
“終わりの準備”ではなく、
“何かが始まる準備”でしかなかった。
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