婚約破棄、追放された令嬢ですが、国民全員ついてきました ――国王陛下まで付いてくるのは聞いてません――

ふわふわ

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第27話 名を与えるということ

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第27話 名を与えるということ

朝霧が、低く共同体を包んでいた。

湿った空気の中、
工房の槌音だけが、一定のリズムで響く。

――ここ数日、
“見られている”感覚は、
さらに濃くなっていた。

「報告です」

補佐官が書類を置く。

「周辺諸国の記録官が、
滞在申請を出しています」

「……記録官?」

「はい。
“前例候補の観測”が
正式業務になったようです」

カグラは、わずかに眉を上げた。

(ついに、
物語にされ始めましたのね)

昼。

広場の一角で、
小さな騒ぎが起きていた。

「名前を……
名前を書いてください」

列に並ぶ人々。

老若男女、
出自も立場もばらばら。

共通しているのは、
手にした一枚の紙だった。

「何をしているのです?」

カグラが近づくと、
若い事務官が慌てて説明する。

「新しく入った方々の、
登録です」

「登録?」

「はい。
作業割り当てや、
医療記録のために……」

カグラは、紙を一枚取った。

そこには、
項目が並んでいる。

・氏名
・出身
・身分
・理由

理由。

その文字を見て、
カグラは静かに息を吐いた。

「……この欄、
誰が書くのです?」

「本人、ですが……」

「書けない人は?」

事務官は、言葉に詰まる。

「……仮で、
こちらが……」

そのとき。

列の後ろから、
かすれた声が聞こえた。

「……名前が、
ありません」

振り返る。

一人の女性。

年齢は分からない。
服は、修繕の跡だらけ。

「名前が……
思い出せません」

静まり返る広場。

「ずっと、
“役に立たない女”と
呼ばれていました」

「それが、
私の呼び名でした」

事務官が、
助けを求めるように
カグラを見る。

カグラは、
ゆっくりと女性の前に立った。

「……ここでは」

視線を合わせる。

「呼び名ではなく、
名が必要です」

「ですが、
無理に思い出さなくて
いい」

「ここで、
新しく決めてもいい」

女性の目が、揺れる。

「……そんなこと、
許されるのですか?」

「ええ」

カグラは、はっきり言った。

「ここでは、
過去は証明ではありません」

「名は、
所有物です」

「与えられるものでも、
奪われるものでもない」

少し考えてから、
続ける。

「ただ――
自分で選ぶものです」

沈黙。

やがて、女性が
小さく口を開く。

「……花の名前が、
好きでした」

「昔、
庭に咲いていた……
白い花」

「名前は……
知らないけれど」

カグラは、
少しだけ微笑んだ。

「では、
“シロハナ”は
いかがです?」

女性は、
驚いたように目を見開き――
そして、
泣いた。

「……はい」

「それで……
お願いします」

その瞬間。

周囲の空気が、
わずかに変わった。

人々が、
自分の紙を見る。

理由欄を見る。

名前欄を見る。

そして、
少しずつ、
ペンを取り直し始めた。

夜。

国王が、
焚き火のそばで言った。

「名を与えるのは、
重い行為じゃぞ」

「ええ」

カグラは、
頷いた。

「だからこそ、
与えません」

「選ばせます」

「名を持つということは、
責任を持つということ」

「同時に――
存在を主張する権利を
持つということです」

翌日。

記録官の報告書には、
こう書かれていた。

> サクラ共同体では、
新規参加者に対し、
身分ではなく
“自己選択による名称”を
登録させている。



> これは、
行政効率を
著しく下げる。



> しかし――
共同体の結束は、
不思議なほど
高い。



世界は、
また一つ困った。

この共同体は、
制度としては
未熟すぎる。

だが、
人が離れない。

それどころか、
“人として扱われる感覚”が
記録され始めている。

カグラは、
夜の帳の中で
独り言ちる。

「名を持たぬ者が
生まれる社会は――
必ず、
誰かを壊します」

「だから、
ここでは」

静かに。

「名を、
取り戻す場所に
なりましょう」

焚き火が、
ぱちりと音を立てた。

その火は、
遠くからでも
よく見えた。

まるで――
「ここに、人がいる」と
示すように。
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