派手にしない工房は、今日もちゃんと続いている

ふわふわ

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第四話 秘密の条件と、伏せられた身分

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第四話 秘密の条件と、伏せられた身分

 夕暮れの裏通りに、甘い香りが溶け込んでいく。
 その日の営業を終え、店内には静けさが戻っていた。

 カウンターの上には、売り切れを示す札だけが並んでいる。
 それを見つめながら、シオンは小さく息を吐いた。

「……全部、売れたな」

「当然ですわ」

 リリカは満足そうに頷いた。
 高価格帯の商品を一つ混ぜただけで、売上はこれまでの倍以上。数字は嘘をつかない。

「今日の売上で、材料費と人件費を差し引いても、十分な利益が出ています。これなら、しばらくは安定しますわね」

 シオンは帳簿を覗き込み、眉をひそめた。

「……正直、実感がない」

「それが“売れる”ということですわ」

 リリカはさらりと言った。

「才能が評価された、ただそれだけです」

 その言葉に、シオンは一瞬視線を伏せた。

「……俺は、評価される立場じゃない」

 ぽつりと落とされた言葉は、独り言に近かった。

 リリカはそれを聞き逃さなかったが、あえてすぐには踏み込まない。ただ、話題を切り替えるように言う。

「さて。今日の本題ですわ」

「……まだ、何かあるのか」

「ええ。大切なことが一つ」

 リリカは椅子に腰掛け、指を組んだ。

「このお店を続けるにあたって、絶対に守っていただきたい条件があります」

 シオンの表情が引き締まる。

「条件?」

「はい。――私の身分について、です」

 店内の空気が、ぴたりと張り詰めた。

「あなた、薄々気づいているでしょう?」

 リリカは穏やかに微笑んだ。

「普通の貴族令嬢が、財務の数字を見て即座に利益計算をし、王都の経済構造まで把握しているわけがない」

 シオンは否定しなかった。ただ、黙って続きを待つ。

「けれど、ここでは関係ありません」

 リリカはきっぱりと言った。

「この店での私は、ただの“共同経営者”です。王女でも、貴族でもない」

「……王女?」

 ついに、シオンの口からその言葉がこぼれ落ちた。

 マリアが一瞬身構えるが、リリカは静かに頷いた。

「ええ。そうですわ」

 否定も誤魔化しもしない。
 ただ、淡々と事実を告げる。

「ですが、あなたに跪かれる気はありませんし、態度を変えられるのも困ります」

 リリカは少しだけ、困ったように笑った。

「私は、このお店で“対等”でいたいのです」

 シオンは、しばらく言葉を失っていた。

 王女。
 この国の中心に立つ存在が、裏通りの小さな菓子店で、粉にまみれ、帳簿を広げている。その異様さを理解するまで、時間が必要だったのだろう。

「……なぜ、俺なんだ」

 ようやく絞り出された問い。

「もっと安全で、もっと効率のいい方法があるだろう」

「ありますわ」

 リリカは即答した。

「ですが、面白くありません」

 あまりにも率直な答えに、シオンは思わず息を呑んだ。

「それに」

 リリカは続ける。

「あなたの菓子は、人を幸せにします。ただお金を生むだけではない。それが、必要なのです」

 しばしの沈黙の後、シオンは静かに頭を下げた。

「……分かった。殿下」

「その呼び方は禁止です」

 即座に叱る。

「ここでは、リリカと呼んでください」

 シオンは少し困ったように視線を逸らし、やがて小さく頷いた。

「……リリカ」

 その名を呼ばれた瞬間、胸の奥がわずかに跳ねたことに、リリカは驚いた。

(名前だけで、こんなにも……?)

「条件は、それだけですか」

「もう一つ」

 リリカは人差し指を立てた。

「このお店の存在は、しばらく“秘密”です。王家の名前も、私の立場も使いません」

「……危険では?」

「危険だからこそ、価値があります」

 彼女は真っ直ぐにシオンを見た。

「守れるものがあるから、人は強くなれるのです」

 シオンはその瞳から目を逸らせずにいた。

 王女としてではなく、一人の女性として語る彼女の言葉は、不思議な説得力を持っていた。

「……了解した」

 短く答え、差し出された手を握る。

 その瞬間、二人の間に結ばれたのは、契約書には書けない約束だった。

 裏通りの小さな菓子店。
 王女と騎士が、身分を伏せて並び立つ場所。

 その秘密が、やがて王国全体を揺るがすことになるとは、まだ誰も知らない。
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