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第三十話 分かれる道と、残る覚悟
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第三十話 分かれる道と、残る覚悟
工房の朝は、静かだった。
昨日まで漂っていた張り詰めた空気は、完全には消えていない。
だが、それは不安というより、覚悟に近い重さだった。
「……材料、揃いました」
見習いの一人が、慎重に報告する。
「代替の仕入れ先、問題なしです」
「分かった」
シオンは短く答え、粉袋を受け取る。
質は、悪くない。
いつもの業者と比べれば、微妙な違いはあるが、調整は可能だ。
「……今日は、確認を多めにする」
「はい」
作業は始まる。
だが、いつもより口数は少ない。
午前中、工房の扉が開いた。
「……失礼します」
入ってきたのは、見慣れた顔だった。
裏通りの頃から取引のあった、小さな商店の店主。
「……どうしました」
リリカが、静かに声をかける。
「いや……」
男は、少し言いづらそうに視線を泳がせる。
「噂、聞いたもんでな」
「どの噂ですか」
「……供給、絞ってるって」
リリカは、頷いた。
「事実です」
「……王都の大きな店、断ったってのも」
「ええ」
男は、深く息を吐いた。
「正直に言う」
彼は、シオンを見る。
「うちは、小さい。あんたらの菓子が、うちの売り上げを支えてる」
沈黙。
「……でもな」
男は、拳を握る。
「これ以上、目立つと……怖い」
それは、責めではない。
恐れの告白だった。
「……だから」
男は、頭を下げた。
「しばらく、取引を休ませてくれ」
工房の空気が、わずかに揺れる。
「……分かりました」
答えたのは、リリカだった。
「再開の時期は、こちらからは決めません」
「……え?」
「必要になったら、戻ってきてください」
男は、目を見開く。
「いいのか」
「ええ」
リリカは、穏やかに言った。
「無理をして続ける取引は、いずれ壊れます」
男は、何度も頭を下げ、工房を後にした。
扉が閉まった後。
「……減ったな」
シオンが、ぽつりと呟く。
「ええ」
リリカは、否定しない。
「ですが、残ります」
「……何が」
「覚悟のある取引先だけが」
昼過ぎ。
今度は、地方の店から連絡が入る。
「……数量、少なくてもいい」
「味が変わらないなら、それでいい」
「無理しないでほしい」
短い言葉ばかりだ。
だが、その一つ一つが、重い。
「……分かれてきたな」
シオンが言う。
「ええ」
リリカは頷く。
「恐れる人と、信じる人」
「……どっちが正しい」
「どちらもです」
彼女は、静かに続ける。
「立場が違います」
その夜。
工房の片付けを終えた後、二人は並んで座っていた。
「……正直、少し、堪えるな」
シオンが、低く言う。
「切られるのも、切るのも」
「ええ」
リリカは、同意する。
「ですが、避けられません」
「……昔なら」
「はい」
彼女は、先を促す。
「焼くだけで、よかった」
「今も、焼いています」
リリカは、柔らかく言った。
「ただし、誰のために焼くかを、選んでいます」
シオンは、しばらく黙り込み、やがて深く息を吐いた。
「……腹、括るしかないな」
「ええ」
彼女は、微笑んだ。
「もう、括っています」
翌朝。
工房の前に立つ人の数は、少し減っていた。
だが、足を止める人の視線は、以前より迷いがない。
「……ここ、信用できるよな」
「変なこと、しない店だ」
そんな声が、小さく聞こえる。
派手な評判ではない。
だが、静かな支持だ。
シオンは、看板を見上げる。
「……減った分、重くなったな」
「ええ」
リリカも、同じ方向を見る。
「選ばれる数が減るほど、一つ一つの意味は増します」
この先、楽にはならない。
失うものも、まだある。
だが、戻る道は、もうない。
分かれる道の先で、
二人は同じ方向を向いている。
それだけが、確かな事実だった。
工房の中で、火が入る。
変わらない手順。
変わらない香り。
そして、変わってしまった覚悟だけが、
静かに、その場に根を張っていた。
工房の朝は、静かだった。
昨日まで漂っていた張り詰めた空気は、完全には消えていない。
だが、それは不安というより、覚悟に近い重さだった。
「……材料、揃いました」
見習いの一人が、慎重に報告する。
「代替の仕入れ先、問題なしです」
「分かった」
シオンは短く答え、粉袋を受け取る。
質は、悪くない。
いつもの業者と比べれば、微妙な違いはあるが、調整は可能だ。
「……今日は、確認を多めにする」
「はい」
作業は始まる。
だが、いつもより口数は少ない。
午前中、工房の扉が開いた。
「……失礼します」
入ってきたのは、見慣れた顔だった。
裏通りの頃から取引のあった、小さな商店の店主。
「……どうしました」
リリカが、静かに声をかける。
「いや……」
男は、少し言いづらそうに視線を泳がせる。
「噂、聞いたもんでな」
「どの噂ですか」
「……供給、絞ってるって」
リリカは、頷いた。
「事実です」
「……王都の大きな店、断ったってのも」
「ええ」
男は、深く息を吐いた。
「正直に言う」
彼は、シオンを見る。
「うちは、小さい。あんたらの菓子が、うちの売り上げを支えてる」
沈黙。
「……でもな」
男は、拳を握る。
「これ以上、目立つと……怖い」
それは、責めではない。
恐れの告白だった。
「……だから」
男は、頭を下げた。
「しばらく、取引を休ませてくれ」
工房の空気が、わずかに揺れる。
「……分かりました」
答えたのは、リリカだった。
「再開の時期は、こちらからは決めません」
「……え?」
「必要になったら、戻ってきてください」
男は、目を見開く。
「いいのか」
「ええ」
リリカは、穏やかに言った。
「無理をして続ける取引は、いずれ壊れます」
男は、何度も頭を下げ、工房を後にした。
扉が閉まった後。
「……減ったな」
シオンが、ぽつりと呟く。
「ええ」
リリカは、否定しない。
「ですが、残ります」
「……何が」
「覚悟のある取引先だけが」
昼過ぎ。
今度は、地方の店から連絡が入る。
「……数量、少なくてもいい」
「味が変わらないなら、それでいい」
「無理しないでほしい」
短い言葉ばかりだ。
だが、その一つ一つが、重い。
「……分かれてきたな」
シオンが言う。
「ええ」
リリカは頷く。
「恐れる人と、信じる人」
「……どっちが正しい」
「どちらもです」
彼女は、静かに続ける。
「立場が違います」
その夜。
工房の片付けを終えた後、二人は並んで座っていた。
「……正直、少し、堪えるな」
シオンが、低く言う。
「切られるのも、切るのも」
「ええ」
リリカは、同意する。
「ですが、避けられません」
「……昔なら」
「はい」
彼女は、先を促す。
「焼くだけで、よかった」
「今も、焼いています」
リリカは、柔らかく言った。
「ただし、誰のために焼くかを、選んでいます」
シオンは、しばらく黙り込み、やがて深く息を吐いた。
「……腹、括るしかないな」
「ええ」
彼女は、微笑んだ。
「もう、括っています」
翌朝。
工房の前に立つ人の数は、少し減っていた。
だが、足を止める人の視線は、以前より迷いがない。
「……ここ、信用できるよな」
「変なこと、しない店だ」
そんな声が、小さく聞こえる。
派手な評判ではない。
だが、静かな支持だ。
シオンは、看板を見上げる。
「……減った分、重くなったな」
「ええ」
リリカも、同じ方向を見る。
「選ばれる数が減るほど、一つ一つの意味は増します」
この先、楽にはならない。
失うものも、まだある。
だが、戻る道は、もうない。
分かれる道の先で、
二人は同じ方向を向いている。
それだけが、確かな事実だった。
工房の中で、火が入る。
変わらない手順。
変わらない香り。
そして、変わってしまった覚悟だけが、
静かに、その場に根を張っていた。
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