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第二話 偽りの公爵夫人
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第二話 偽りの公爵夫人
朝の食堂は、もう公爵家のそれではなかった。
長いテーブルの中央には、やたらと豪華な花が飾られている。
昨夜までなかったものだ。
香水の匂いが強い。
エレノアは席につき、静かにナイフとフォークを手に取った。
「それ、違うわ」
向かい側から声が飛ぶ。
叔母だった。
「あなたの席は、あちらよ」
指されたのは、テーブルの端。
客人席に近い、控えめな場所。
「ここは当主の席ですもの」
当主。
その言葉が、まるで当然のように使われる。
エレノアはほんの一瞬だけ目を伏せ、それから立ち上がった。
「失礼いたしました」
席を移る。
従妹がくすくすと笑った。
「そうそう。あなたはまだ子供だもの。難しい話はおじさまに任せて、奥でお人形でも触っていればいいのよ」
ルークの顔が強張る。
だがエレノアは反応しない。
スープを口に運びながら、淡々と食事を続ける。
味が変わっていた。
料理人も替えられたのだろう。
「今日から、社交界への挨拶回りを始めるわ」
叔母が宣言する。
「公爵家が健在であることを示さなくてはね」
叔父が頷く。
「私が前面に出る。エレノアは体調不良ということにしておけ」
体調不良。
便利な言葉だ。
社交界に出さない理由になる。
エレノアは静かにパンをちぎる。
自分の名前が、いつの間にか“隠す存在”に変わっている。
「それにね」
叔母が楽しげに続ける。
「娘もいよいよデビューよ。公爵令嬢としてね」
従妹が胸を張る。
「もうドレスも仕立てたわ。王太子殿下もいらっしゃる夜会なの」
エレノアの指が止まる。
王太子。
国の未来を担う存在。
その場に“公爵令嬢”が立つ。
だがその名は、誰のものだ。
「楽しみね」
叔母は満足そうだ。
「公爵家の娘が王家に嫁げば、私たちの立場も盤石だもの」
私たち。
その言葉に、かすかな違和感が走る。
だが誰もそれを指摘しない。
食事が終わると、屋敷の奥から荷物を運ぶ音が聞こえた。
父の書斎だ。
エレノアは立ち上がる。
「書斎には入らないで」
思わず声が出た。
叔父が振り返る。
「なに?」
「父の……公爵の書斎です」
「だから私が管理する」
即答だった。
「後見人として当然だ」
従妹が鼻で笑う。
「大事な書類があるのよ? あなたが触ったら汚れるでしょう」
ルークが一歩前に出る。
「書斎の金庫は――」
「開けられる」
叔父は遮った。
「鍵は預かっている」
エレノアの胸の奥が、ひやりと冷える。
鍵?
あれは確かに金庫の外鍵。
だが内側の仕掛けは――
彼女は何も言わない。
まだ、言わない。
書斎の扉が開き、見知らぬ男たちが書類を運び出す。
帳簿。
契約書。
公爵家の紋章入りの封筒。
「すべて精査する」
叔父は満足げだ。
「無駄を削らねばな」
無駄。
父が大切にしていた領民支援の予算も、そう呼ぶのだろうか。
エレノアは窓辺に移動する。
庭には、父が植えた樹が立っている。
動かない。
変わらない。
「エレノア様」
ルークが低い声で言う。
「よろしいのですか」
問いかけ。
心配と怒りが混ざっている。
エレノアは静かに答えた。
「今は」
それだけ。
今は。
耐える時間だ。
叔母の笑い声が広間に響く。
「公爵夫人としての初仕事ね」
その言葉に、使用人の何人かが視線を落とした。
まだ屋敷の中には、父に忠誠を誓った者がいる。
だが彼らも動けない。
形式上、叔父は後見人。
王宮の承認もある。
だからこそ厄介だ。
偽りは、手続きを纏っている。
「夜会の招待状はすべてこちらに回しなさい」
叔母が命じる。
「エレノアは体調が優れない、と書いておいて」
体調不良。
またその言葉。
エレノアは小さく笑った。
誰にも気づかれないほどの、わずかな笑み。
弱いふりは、都合がいい。
動かない人形は、警戒されない。
従妹が鏡の前でくるりと回る。
「どう? 本物の公爵令嬢みたいでしょう?」
本物。
その言葉が、耳に残る。
エレノアは心の中で繰り返す。
本物は、誰か。
答えは明白だ。
だが今はまだ、声にしない。
父の書斎から、重い箱が運び出される。
その中身を、叔父は知らない。
本当に重要なものがどこにあるかも。
エレノアは胸元に手を当てる。
冷たい感触。
小さな鍵。
これは金庫の内鍵。
父が最後に託したもの。
「公爵家を頼む」
あの言葉が、胸の奥で静かに燃える。
奪われた席。
奪われた名。
奪われた屋敷。
だが、まだ奪われていないものがある。
それを守る限り、終わらない。
エレノアは窓の外を見る。
冬の空は澄んでいる。
静かだ。
けれどその静けさの下で、確実に何かが動き始めている。
偽物が笑う屋敷の中で、本物は何も言わない。
まだ。
朝の食堂は、もう公爵家のそれではなかった。
長いテーブルの中央には、やたらと豪華な花が飾られている。
昨夜までなかったものだ。
香水の匂いが強い。
エレノアは席につき、静かにナイフとフォークを手に取った。
「それ、違うわ」
向かい側から声が飛ぶ。
叔母だった。
「あなたの席は、あちらよ」
指されたのは、テーブルの端。
客人席に近い、控えめな場所。
「ここは当主の席ですもの」
当主。
その言葉が、まるで当然のように使われる。
エレノアはほんの一瞬だけ目を伏せ、それから立ち上がった。
「失礼いたしました」
席を移る。
従妹がくすくすと笑った。
「そうそう。あなたはまだ子供だもの。難しい話はおじさまに任せて、奥でお人形でも触っていればいいのよ」
ルークの顔が強張る。
だがエレノアは反応しない。
スープを口に運びながら、淡々と食事を続ける。
味が変わっていた。
料理人も替えられたのだろう。
「今日から、社交界への挨拶回りを始めるわ」
叔母が宣言する。
「公爵家が健在であることを示さなくてはね」
叔父が頷く。
「私が前面に出る。エレノアは体調不良ということにしておけ」
体調不良。
便利な言葉だ。
社交界に出さない理由になる。
エレノアは静かにパンをちぎる。
自分の名前が、いつの間にか“隠す存在”に変わっている。
「それにね」
叔母が楽しげに続ける。
「娘もいよいよデビューよ。公爵令嬢としてね」
従妹が胸を張る。
「もうドレスも仕立てたわ。王太子殿下もいらっしゃる夜会なの」
エレノアの指が止まる。
王太子。
国の未来を担う存在。
その場に“公爵令嬢”が立つ。
だがその名は、誰のものだ。
「楽しみね」
叔母は満足そうだ。
「公爵家の娘が王家に嫁げば、私たちの立場も盤石だもの」
私たち。
その言葉に、かすかな違和感が走る。
だが誰もそれを指摘しない。
食事が終わると、屋敷の奥から荷物を運ぶ音が聞こえた。
父の書斎だ。
エレノアは立ち上がる。
「書斎には入らないで」
思わず声が出た。
叔父が振り返る。
「なに?」
「父の……公爵の書斎です」
「だから私が管理する」
即答だった。
「後見人として当然だ」
従妹が鼻で笑う。
「大事な書類があるのよ? あなたが触ったら汚れるでしょう」
ルークが一歩前に出る。
「書斎の金庫は――」
「開けられる」
叔父は遮った。
「鍵は預かっている」
エレノアの胸の奥が、ひやりと冷える。
鍵?
あれは確かに金庫の外鍵。
だが内側の仕掛けは――
彼女は何も言わない。
まだ、言わない。
書斎の扉が開き、見知らぬ男たちが書類を運び出す。
帳簿。
契約書。
公爵家の紋章入りの封筒。
「すべて精査する」
叔父は満足げだ。
「無駄を削らねばな」
無駄。
父が大切にしていた領民支援の予算も、そう呼ぶのだろうか。
エレノアは窓辺に移動する。
庭には、父が植えた樹が立っている。
動かない。
変わらない。
「エレノア様」
ルークが低い声で言う。
「よろしいのですか」
問いかけ。
心配と怒りが混ざっている。
エレノアは静かに答えた。
「今は」
それだけ。
今は。
耐える時間だ。
叔母の笑い声が広間に響く。
「公爵夫人としての初仕事ね」
その言葉に、使用人の何人かが視線を落とした。
まだ屋敷の中には、父に忠誠を誓った者がいる。
だが彼らも動けない。
形式上、叔父は後見人。
王宮の承認もある。
だからこそ厄介だ。
偽りは、手続きを纏っている。
「夜会の招待状はすべてこちらに回しなさい」
叔母が命じる。
「エレノアは体調が優れない、と書いておいて」
体調不良。
またその言葉。
エレノアは小さく笑った。
誰にも気づかれないほどの、わずかな笑み。
弱いふりは、都合がいい。
動かない人形は、警戒されない。
従妹が鏡の前でくるりと回る。
「どう? 本物の公爵令嬢みたいでしょう?」
本物。
その言葉が、耳に残る。
エレノアは心の中で繰り返す。
本物は、誰か。
答えは明白だ。
だが今はまだ、声にしない。
父の書斎から、重い箱が運び出される。
その中身を、叔父は知らない。
本当に重要なものがどこにあるかも。
エレノアは胸元に手を当てる。
冷たい感触。
小さな鍵。
これは金庫の内鍵。
父が最後に託したもの。
「公爵家を頼む」
あの言葉が、胸の奥で静かに燃える。
奪われた席。
奪われた名。
奪われた屋敷。
だが、まだ奪われていないものがある。
それを守る限り、終わらない。
エレノアは窓の外を見る。
冬の空は澄んでいる。
静かだ。
けれどその静けさの下で、確実に何かが動き始めている。
偽物が笑う屋敷の中で、本物は何も言わない。
まだ。
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