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第7話 卒業舞踏会の夜
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第7話 卒業舞踏会の夜
王立学園の卒業舞踏会は、春の終わりにふさわしく華やかな夜だった。
高い天井から吊るされた燭台は眩いほどに磨き上げられ、壁際には季節の花々が惜しみなく飾られている。弦楽の柔らかな旋律が広間を満たし、色とりどりのドレスが揺れるたび、光が布地の上を流れるように走った。
若き貴族たちにとっては、学園生活の締めくくりであり、社交界への正式な入り口でもある大切な夜。
そして王太子ギヨームが臨席する以上、この舞踏会は単なる学生行事ではなく、王都中の視線を集める場でもあった。
「見事ですこと」
会場の一角で、クレマンスが扇をそっと広げながら囁いた。
今夜の彼女は、取材のためとはいえ完璧に社交界の華のひとりとして溶け込んでいる。淡い藤色のドレスは上品で、流行を押さえながら決して目立ちすぎない。まさに“見る側”に最適な装いだった。
「ええ。ですけれど、あまり見惚れている暇はなくてよ」
セラフィーナは静かに答えた。
彼女もまた、銀灰色のドレスに身を包み、完璧な公爵令嬢としてこの場に立っている。誰が見ても舞踏会の客の一人。だがその実、今夜の彼女たちは招待客であると同時に観測者でもあった。
離れた位置にはルイーザ。さらに柱の陰に近い場所にはオデット。ミレイユは夫人方の集まりに自然に紛れ込み、会場全体を見渡せる位置を取っている。
そしてイリスは目立たない席で、すでに大広間の構図を頭へ入れ終えていた。
「殿下、まだご到着前ですの?」
クレマンスが問う。
「まもなくと聞いていますわ」
セラフィーナはそう言って、さりげなく壇上付近へ視線をやった。
会場の中心には、王太子の到着を迎えるために人の流れが自然と空いている。誰がどこへ立てば目立つか、どこから視線が集まるか――すべてがイリスの下絵どおりだった。
ほどなくして、ざわめきが広がる。
「王太子殿下がご到着です」
侍従の声が響き、大広間の空気が一段引き締まった。
ギヨームは堂々とした足取りで入ってきた。濃紺の礼装、胸元の勲章、整えられた金髪。見た目だけなら、たしかに華のある王太子だ。
けれどセラフィーナは、彼の歩き方にいつもの軽さを見て取っていた。自分がこの場の中心であることを疑わない男の歩き方だった。
「……本当に分かりやすい方ですこと」
すぐそばで、いつの間にか寄っていたイリスが低く呟く。
「もう描けそう?」
「ええ。驚くほどに」
その返答は相変わらず淡々としていた。
ギヨームの到着に続き、正式な婚約者も紹介される。
さすがは高位貴族の令嬢というべきか、彼女は完璧だった。気品ある薄青のドレス、過不足のない宝飾、無駄のない笑み。見る者の多くが“未来の王妃ならこうあるべき”と思うような姿で、王太子の隣へ立つ。
そして、その少し後。
「あら」
クレマンスが小さく声を漏らした。
フロランス・デュヴィエが会場へ姿を現したのだ。
白銀のドレスは明らかに気合いが入りすぎていた。刺繍は多く、光を拾う宝飾も過剰で、学園の卒業舞踏会にはやや場違いなほど華やかである。本人はきっと“可憐で清楚”を狙ったのだろうが、セラフィーナの目には、目立つことへの焦りが透けて見えた。
「本当に着てまいりましたのね」
「ええ。しかも、まったく引く気のないお顔ですわ」
セラフィーナは静かに返した。
その瞬間だった。
ギヨームの視線が、婚約者ではなくフロランスへ向いたのは。
ほんの一瞬。けれど見逃せるほど短くはない。
しかも、その視線には露骨な柔らかさがあった。
「見ましたわね」
オデットがいつの間にか近くへ来て、ひそやかに囁く。
「ええ」
「周囲も見ておりますわ」
その言葉どおりだった。
若い令息令嬢たちだけではない。夫人方も、付き添いの侍女たちも、楽団の近くに控える使用人まで、皆どこか落ち着かない視線を交わしている。
まだ何かが起きたわけではない。
けれどもう、“何もない夜”では終わらない空気になっていた。
ギヨームは婚約者へ向けるべき微笑みをどこか上の空で済ませ、ふとした拍子にフロランスの方を気にしている。そのたびに周囲の空気がわずかにざわつく。
「殿下、ずいぶんお忙しい視線ですこと」
クレマンスが涼しい顔で言う。
「ええ。目だけで次号の一段目が取れそうですわね」
セラフィーナの返答に、イリスがごく小さくペン先を走らせた。今の立ち位置、今の目線、今の角度。何かが起きたとき、それを紙へ落とすための準備だ。
楽曲が変わり、会場の中央で最初のダンスが始まる。
王太子と婚約者が並ぶその光景自体は華やかだった。
だがギヨームの意識が散っていることは、見ていれば分かる。視線は何度も逸れ、表情にはわずかな苛立ちすら混じっていた。自分が本来取るべき立場に、本人だけが退屈している。
その様子を眺めながら、セラフィーナは静かに息をついた。
「始まりそうですわね」
誰にともなく落とした言葉に、誰も否定しない。
舞踏会はまだ始まったばかり。
けれど王都サロン新報の次号に載るべき何かは、すでにこの会場で息を潜めている。
きらびやかな光の下で、王太子はまだ自分が見られているだけだと思っている。
まさか観察され、記録され、やがて配られるとは夢にも思わずに。
そして令嬢たちは、紅茶の代わりにシャンパングラスを手に、静かにその夜の行方を見守っていた。
王立学園の卒業舞踏会は、春の終わりにふさわしく華やかな夜だった。
高い天井から吊るされた燭台は眩いほどに磨き上げられ、壁際には季節の花々が惜しみなく飾られている。弦楽の柔らかな旋律が広間を満たし、色とりどりのドレスが揺れるたび、光が布地の上を流れるように走った。
若き貴族たちにとっては、学園生活の締めくくりであり、社交界への正式な入り口でもある大切な夜。
そして王太子ギヨームが臨席する以上、この舞踏会は単なる学生行事ではなく、王都中の視線を集める場でもあった。
「見事ですこと」
会場の一角で、クレマンスが扇をそっと広げながら囁いた。
今夜の彼女は、取材のためとはいえ完璧に社交界の華のひとりとして溶け込んでいる。淡い藤色のドレスは上品で、流行を押さえながら決して目立ちすぎない。まさに“見る側”に最適な装いだった。
「ええ。ですけれど、あまり見惚れている暇はなくてよ」
セラフィーナは静かに答えた。
彼女もまた、銀灰色のドレスに身を包み、完璧な公爵令嬢としてこの場に立っている。誰が見ても舞踏会の客の一人。だがその実、今夜の彼女たちは招待客であると同時に観測者でもあった。
離れた位置にはルイーザ。さらに柱の陰に近い場所にはオデット。ミレイユは夫人方の集まりに自然に紛れ込み、会場全体を見渡せる位置を取っている。
そしてイリスは目立たない席で、すでに大広間の構図を頭へ入れ終えていた。
「殿下、まだご到着前ですの?」
クレマンスが問う。
「まもなくと聞いていますわ」
セラフィーナはそう言って、さりげなく壇上付近へ視線をやった。
会場の中心には、王太子の到着を迎えるために人の流れが自然と空いている。誰がどこへ立てば目立つか、どこから視線が集まるか――すべてがイリスの下絵どおりだった。
ほどなくして、ざわめきが広がる。
「王太子殿下がご到着です」
侍従の声が響き、大広間の空気が一段引き締まった。
ギヨームは堂々とした足取りで入ってきた。濃紺の礼装、胸元の勲章、整えられた金髪。見た目だけなら、たしかに華のある王太子だ。
けれどセラフィーナは、彼の歩き方にいつもの軽さを見て取っていた。自分がこの場の中心であることを疑わない男の歩き方だった。
「……本当に分かりやすい方ですこと」
すぐそばで、いつの間にか寄っていたイリスが低く呟く。
「もう描けそう?」
「ええ。驚くほどに」
その返答は相変わらず淡々としていた。
ギヨームの到着に続き、正式な婚約者も紹介される。
さすがは高位貴族の令嬢というべきか、彼女は完璧だった。気品ある薄青のドレス、過不足のない宝飾、無駄のない笑み。見る者の多くが“未来の王妃ならこうあるべき”と思うような姿で、王太子の隣へ立つ。
そして、その少し後。
「あら」
クレマンスが小さく声を漏らした。
フロランス・デュヴィエが会場へ姿を現したのだ。
白銀のドレスは明らかに気合いが入りすぎていた。刺繍は多く、光を拾う宝飾も過剰で、学園の卒業舞踏会にはやや場違いなほど華やかである。本人はきっと“可憐で清楚”を狙ったのだろうが、セラフィーナの目には、目立つことへの焦りが透けて見えた。
「本当に着てまいりましたのね」
「ええ。しかも、まったく引く気のないお顔ですわ」
セラフィーナは静かに返した。
その瞬間だった。
ギヨームの視線が、婚約者ではなくフロランスへ向いたのは。
ほんの一瞬。けれど見逃せるほど短くはない。
しかも、その視線には露骨な柔らかさがあった。
「見ましたわね」
オデットがいつの間にか近くへ来て、ひそやかに囁く。
「ええ」
「周囲も見ておりますわ」
その言葉どおりだった。
若い令息令嬢たちだけではない。夫人方も、付き添いの侍女たちも、楽団の近くに控える使用人まで、皆どこか落ち着かない視線を交わしている。
まだ何かが起きたわけではない。
けれどもう、“何もない夜”では終わらない空気になっていた。
ギヨームは婚約者へ向けるべき微笑みをどこか上の空で済ませ、ふとした拍子にフロランスの方を気にしている。そのたびに周囲の空気がわずかにざわつく。
「殿下、ずいぶんお忙しい視線ですこと」
クレマンスが涼しい顔で言う。
「ええ。目だけで次号の一段目が取れそうですわね」
セラフィーナの返答に、イリスがごく小さくペン先を走らせた。今の立ち位置、今の目線、今の角度。何かが起きたとき、それを紙へ落とすための準備だ。
楽曲が変わり、会場の中央で最初のダンスが始まる。
王太子と婚約者が並ぶその光景自体は華やかだった。
だがギヨームの意識が散っていることは、見ていれば分かる。視線は何度も逸れ、表情にはわずかな苛立ちすら混じっていた。自分が本来取るべき立場に、本人だけが退屈している。
その様子を眺めながら、セラフィーナは静かに息をついた。
「始まりそうですわね」
誰にともなく落とした言葉に、誰も否定しない。
舞踏会はまだ始まったばかり。
けれど王都サロン新報の次号に載るべき何かは、すでにこの会場で息を潜めている。
きらびやかな光の下で、王太子はまだ自分が見られているだけだと思っている。
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