冷遇された公爵令嬢ですが、敵国の皇太子に溺愛されています

ふわふわ

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第四章 ― 愛される令嬢と、ざまぁな結末 ―

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 ラグナ帝国の皇太子妃候補として迎えられ、幾多の試練を乗り越えてきた フローラ・フォン・リヴェール。その一方で、王国の没落が加速しているという噂が、日増しにラグナ帝国宮廷の耳にも届くようになった。

 長年にわたり、国境付近で局地的な小競り合いを繰り返していた王国とラグナ帝国。だが、ラグナ帝国はここ数年で軍事・経済ともに飛躍的に発展を遂げ、一方の王国は時代に適応できず、なおかつ王太子 アルベルト とその妃 カトリーナ の無能によって国政が乱れ、国そのものが崩壊寸前の状態にある。
 先日、王国の特使団が 「和平交渉」 を求めてラグナ帝国へやってきたが、その内容はほとんどが一方的な譲歩を飲まされる形になり、結局、王国は実質的に帝国の “属国” と言っても差し支えないほどの屈辱的な「新条約案」に仮調印するしかなかった。
 しかも、その交渉の場で、かつて捨てられた公爵令嬢であったフローラの存在があまりにも大きく、王国側はまるで矛先を封じられたも同然に。特使団を率いた リヴェール公爵 は、フローラがすでにラグナ帝国の皇太子 クラウス・イーグレッド・ラグナ から深く愛される地位にあることをまざまざと見せつけられ、自分たちが切り捨てた娘の影響力の高さを思い知らされた。

 こうして「ざまぁ」と言わんばかりの大逆転を果たしたフローラとラグナ帝国。しかし、その後も事態はさらなる動きを見せることになる。王国の無策と内紛はついに取り返しのつかない段階にまで至り、ラグナ帝国との関係が急速に変化し始めたのだ。


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1. 再び届く王国からの知らせ

 特使団が引き上げてから数日後、フローラのもとに一通の手紙が届けられた。それは、王国からではなく――どうやら王国の 民間の貴婦人 が独自ルートで密かに送ってきたものであった。
 差出人の名に聞き覚えはないが、その手紙にはこう記されている。

> 「拝啓、フローラ・フォン・リヴェール様。
私は王国のとある伯爵令嬢を務めている者です。
あなた様がラグナ帝国で幸せを掴んでいらっしゃることを、噂で聞き及んでおります。
一方、王国は日増しに荒廃し、貴族と平民が軋轢を深め、生活に困窮する者が増え続けております。
どうか、もし可能であれば、あなた様に救いを求めたい。
フローラ様がご家族に見放された悲しみを乗り越え、いまや皇太子妃候補として帝国で尊ばれているご様子を思うと、私たちはただただ羨望と……申し訳なさで胸がいっぱいです。
それでも、私どもはまだ、王国を捨てきれません。
どうか、私のこの想いを心の片隅に留めていただければと……」



 内容は悲痛かつ切実な訴えだった。王国に残っている真面目な貴族や平民の中には、アルベルトとカトリーナの暴走を嘆き、国を少しでも立て直したいと奮闘している者もいる。だが、王宮や有力貴族の利害関係が複雑に絡み合い、打つ手がない。
 フローラは手紙を読みながら、複雑な表情を浮かべる。
「……わたくしにできることなど、そう多くはないのに……」
 そう呟く彼女に、同席していたクラウスは静かに声をかける。
「お前はもう、王国から完全に離れていい立場だ。だが、心を痛めるのは仕方ない。もし本当に、王国のために何かしてやりたいと思うのなら、俺たちと相談すればいい。――もっとも、そうするかどうかは、お前の自由だ」
 その言葉に、フローラは苦い笑みを浮かべる。かつて捨てられた国と家族。しかし、王国そのものを憎んでいるわけではない。
 同時に、フローラの中には「このまま王国が自滅してしまうのを見ているだけでいいのだろうか」という疑問もあった。


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2. アルベルトとカトリーナの暴走

 そうしたフローラの思いとは裏腹に、王国では不穏な動きがさらに加速していた。
 王太子アルベルトと正妃カトリーナは、ラグナ帝国との交渉に失敗したことを覆い隠そうと、 「実は我々がうまく立ち回っている」 と嘘の情報を国内に流している。
 だが実際には、すでに仮調印を結んだ条約案により、王国は帝国に莫大な関税と領土の一部移譲を迫られている。しかも、それを国民に公表すれば、瞬く間に不満が噴出し、アルベルトの地位が危うくなるのは必至だ。
 そこでアルベルトとカトリーナは、宮廷の重臣をある程度買収し、極力情報を隠蔽しようと腐心していたが、それは「さらなる国庫の浪費」「特定の貴族だけ優遇する政策」などにつながり、結果として王国の衰退をますます加速させている。
 そこに輪をかけるように、王国の各地で小規模な反乱や盗賊被害が頻発し始めた。「王太子政権では国が守れない」と見なされ、国王夫妻ももはや高齢でまともに対応できない。
 ――つまり、王国は内憂外患の極みにありながら、アルベルトたちがその現実を直視せずにいるため、破滅へと転がり落ちているのである。

 この状況に焦りを覚えた一部の大貴族や有力者は、「もはやアルベルトでは国がもたない。何とかしてラグナ帝国に取り入らなければ」との考えを強めていた。その中には、先の特使として帝国に赴いた リヴェール公爵 も含まれている。
 公爵は帰国後、娘フローラが皇太子妃候補として優遇されている事実を知るや否や、一転して「フローラに取り入ることで自分の家を救おう」と必死になっているのだが、当のフローラがラグナ帝国で何を考え、どう行動しているのか、まったく把握できていない。
 そうこうしているうちに、王国の混乱は本格的な危機へと発展。いずれ、ラグナ帝国が何らかの形で軍事介入してもおかしくない――そう噂されるまでに至っていた。


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3. 皇帝の決断と、二つの訪問者

 ラグナ帝国の皇帝は、この情勢を見て明確な方針を固めた。
「王国が自壊するなら放置してもよいが、我が国との条約に違反したり、国境地帯の不安定化が進むなら、積極的に動かねばならん。……早いうちに王国の状況を探っておく必要があるだろう」
 それは、王国に対して一定の「管理」を及ぼすという意思表示でもあった。なにしろ、ラグナ帝国の国益を守るためには、王国の無秩序な暴走を黙って見過ごすわけにはいかない。
 皇太子クラウスも父帝の方針に賛同し、早期の偵察や調停を目的とした “使節団” を派遣する計画が練られ始める。しかし、その要となる人物――つまり、ラグナ帝国の威光を示しつつ、王国の内実に通じている者が必要だ。
 そう、フローラ・フォン・リヴェールが適任なのではないか――という案が、必然的に浮上した。
 だが、その話が正式に固まるより先に、皇宮にふたつの 「訪問者」 が現れた。

 一人目は、王国の混乱に辟易したある 有力貴族 で、密かに亡命を希望しているという。亡命といっても、本当にラグナ帝国へ忠誠を誓うのかどうかは微妙なところだが、「アルベルトには見切りをつけたので、ラグナ帝国に庇護を求めたい」という趣旨の申し出を携えてきたらしい。
 もう一人は、先の特使団の一人であり、フローラを冷遇していた貴族――そして、リヴェール公爵とも関わりが深い男。こちらは 「再びフローラと直接話をしたい」 と求めてきたという。
 どちらも、王国が崩壊の淵で足掻いている様子を象徴する動きだ。フローラはその報告を受けて、心がざわつくのを感じた。
「……また、わたくしに会いたい、ですか。何を今さら……」
 正直なところ、会う価値があるのかすら疑問だ。だが、クラウスはフローラの胸中を慮りつつ、こう提案する。
「もしお前が嫌なら断ってもいい。だが、彼らが何を言いたいのか確かめるのも、ひとつの方法かもしれない。王国がどれほど追い込まれ、何を望んでいるのか――直接聞いたほうが、これからの動きにも役立つだろう」
 フローラは少し考え込み、やがて小さく頷いた。
「そう……ですね。わたくしも、自分の気持ちを確かめたい。逃げてばかりでは、いつまでも同じ場所に留まってしまいますから」


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4. 過去の亡霊との対峙

 こうして、フローラは二人の王国貴族と 「それぞれ別の場で面会する」 段取りを組んだ。
 まずは亡命を希望している有力貴族との面会。こちらは皇帝やクラウスも同席し、正式なかたちで応対する予定だ。
 そしてもう一方――フローラを冷遇していた特使団メンバーの男との面会は、フローラが希望して「限られた人間だけで行うことにする」と申し出た。周囲の目を気にする必要がない場所で、しっかり話を聞くというわけだ。

 数日後、フローラはラグナ帝国宮廷の一角にある 小会議室 で、その男と対峙することになった。クラウスとエドガー(皇太子の近衛騎士)が同席し、部屋の外には侍女長や護衛の兵が待機している。
 やってきたのは痩せぎすの壮年の男で、王国の貴族にしてはぼろぼろの衣服を着ている。その顔に宿るのは焦燥と後悔――そして、どこかの儚い期待感。
 フローラの姿を認めるや否や、男は床にひれ伏すように頭を下げた。
「フローラ様……どうか、お許しを。あのときは、リヴェール公爵様に逆らえず、あなたを侮るような言動ばかりしてしまいました。ですが、こうして直接お目通りが叶うなら、何とかお力を貸していただけないかと――」
 その必死の様子に、フローラは激しい動揺こそ覚えなかったものの、胸にわだかまりが生じる。
「お力を……ですか。具体的には、どのようなことでしょう」
 フローラの静かな声に、男は噛みつくように言葉を重ねる。
「王国が危ないのです。もう崩壊寸前。アルベルト殿下は宰相や取り巻きを重用し、カトリーナ様もあれこれと国庫を浪費されています……わたしたちの暮らしは日に日に悪くなる一方。どうか、あなた様が皇太子殿下に取り成して、王国を――いえ、わたしたちを助けていただきたいのです……!」
 それは、かつて自分が見下したフローラに向けるにはあまりにも身勝手で、虫のいい要求だった。男は王国のためと言いつつ、結局は自分の保身を求めているに過ぎない。
 フローラは淡々と、その本質を見極めようとする。
「お訊ねしますが……あなたは、わたくしが婚約破棄を言い渡されたとき、どのように行動されましたか?」
「そ、それは……リヴェール公爵閣下の意向に従い、フローラ様を侮蔑するような言葉を口にし……申し訳ありません! 当時は、あの方に逆らうなど不可能でした。わたしも生きるのに必死で……」
 バタバタと頭を下げ続ける男の姿は、もはや哀れというほかない。
 フローラは悲しみとも怒りともつかない、冷たい静寂を心の中に感じながら、ゆっくりと口を開く。
「……王国でどのように生きるかは、あなたの自由だったのでしょう。ですが、わたくしを蔑んだのは事実です。いまさら許しを乞うのは構いませんが、『助けてください』というだけでは、わたくしも行動を起こそうとは思えません」
「そ、そんな……」
「あなたは自分や家のことしか考えていない。それでは、アルベルト殿下と同じですわ」
 厳しい声音で告げられた言葉に、男は完全に言葉を失う。
 クラウスも隣で腕を組み、冷たい表情を浮かべている。もはやフォローする気など微塵も感じられない。

 エドガーが静かに促すように声をかける。
「お話は以上でよろしいですね? これ以上の懇願は、フローラ様を困惑させるだけです。あなたの身の振り方は、王国へ帰るにせよ、どこかへ逃げるにせよ、どうぞご自由に」
 男はこのままでは何の成果も得られないと悟り、最後にもう一度だけフローラに縋るような目を向けた。
「フローラ様……どうか、わたくしの悔恨だけでもお伝えできれば……!」
 フローラはわずかに目を伏せ、低い声で答える。
「あなたの悔恨は、まず王国の人々に向けられるべきでしょう。わたくしのところに届いたところで、あなたが変わるわけではありません。――どうか、その言葉をアルベルト殿下や、わたくしを捨てた公爵閣下に伝えてくださいませ」

 こうして、男は失意と絶望を抱えながら退出した。フローラは深く息をつき、クラウスの腕に軽く寄りかかる。
「……わたくしの心は、思った以上に冷たいのかもしれません。あの方がいくら謝っても、少しも同情できなくて……」
 クラウスは大きな手で、フローラの髪を優しく撫でる。
「当然だ。お前は何も悪くない。あれほどの仕打ちを受けてきたんだ。いまさら『助けてくれ』などと泣きつかれて、はいそうですかと受け入れる義理もないだろう」
「……ありがとうございます」
 フローラはそのぬくもりに安堵しながら、かつての王国での苦しみが遠い昔のことのように感じられた。


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5. 亡命希望の貴族と、ラグナ帝国の狙い

 一方、亡命を希望している有力貴族との面会は、皇帝やクラウス、そしてフローラを含む重臣たちの前で行われた。
 その貴族―― ベルンシュタイン侯 と名乗る男は、王国の宮廷ではそれなりの地位を築いていたらしいが、アルベルトの横暴とカトリーナの浪費を見かねて自ら身を引くことを決意したという。
「わたしは、ラグナ帝国の進歩的な体制をかねてから羨望していました。もし陛下がご許可くださるのなら、家族もろともこちらへ移住し、微力ながら帝国の発展に貢献したいと思っております」
 そう頭を下げる侯爵に対し、皇帝は興味深げに質問を重ねる。クラウスも黙ってそのやり取りを見守っている。
 彼らにとって、王国の有力貴族が亡命を希望するのは、王国の弱体化を如実に証明する材料だ。場合によっては、その知識や人脈を利用し、ラグナ帝国がさらに王国をコントロールしやすくなるかもしれない。
 つまり、これらの動きは、ラグナ帝国にとって 悪くない話 でもあるのだ。
 最終的に、皇帝は「亡命は受け入れる」とし、代わりに「王国の現状を可能な限り報告し、さらにはこちらの統治にも協力せよ」という条件を提示した。ベルンシュタイン侯はそれを飲み、王国から完全に足を洗う覚悟を示す。
 このやり取りを目の当たりにしたフローラは、複雑な思いを覚える。自分は王国出身でありながら、その崩壊を尻目にラグナ帝国で優雅に暮らしている――否、そうなりたかったわけではないが、結果的にそうなってしまったのだ。
 だが、同時にフローラは「王国が今さらまともに立て直る見込みは薄い」とも感じていた。もし本当に変わるなら、もっと早い段階で改革を進めていたはずだ。今この瞬間も、アルベルトとカトリーナは現実逃避をしているのだろう。


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6. 王国の求める“最後の希望”

 それからさらに数日が経過し、フローラたちは驚くべき情報を得る。
 王国が、再びラグナ帝国へ 「正式な使者を派遣する」 と通告してきたのだ。今度こそ極秘ではなく、大っぴらに皇宮へ赴いて「条約改訂のお願い」とやらを伝えたいらしい。
 ――だが、これだけラグナ帝国に譲歩していながら、なお王国に生きる道があるのだろうか。
 フローラが困惑する中、クラウスは冷ややかに言い放つ。
「またしても、連中は都合のいい交渉を望んでいるんだろう。『今の条約はきつすぎるから、もっと優遇してほしい』とでも言いに来るに違いない。だが、この期に及んでそんなことをするほど、あの王太子は愚かじゃない……と言えればいいがね」
 苦笑するクラウスに、フローラは何か言葉をかけようとするが、うまく出てこない。王国が本当にどうなりたいのか――フローラにはまるで見えなかった。
 しかし、ラグナ帝国の立場としては、王国から正規の使者が来る以上、対応しないわけにはいかない。実際、国境地帯の安定を守るという観点からも、あまりに王国が自壊して難民が流れ込んでくるような事態は避けたいところだ。
 そして、その使者が到着する前日に、フローラはクラウスから思いがけない提案を受ける。

「フローラ、明日からの交渉の場で、正式に『お前を皇太子妃とする』と宣言するつもりだが……お前の意思はどうだ?」

 それは、これまで暗黙のうちに進められてきた「皇太子妃就任」を、ついに公に確定させるという重大な申し出だった。
 フローラは驚きと喜び、そして一抹の不安を同時に抱く。もちろんクラウスを愛し、彼の傍にいたいと思っている。けれど、正式に皇太子妃として名乗りを上げることは、これまで以上に大きな責任を負うことでもある。
「……わたくしで、本当に大丈夫でしょうか。帝国の皆さまには、まだまだ認められていない面もあるかもしれません……」
 その問いに、クラウスは静かに首を振る。
「すでに認めるも何も、お前は十分に皇宮の人々に慕われている。あの交渉の場での毅然とした態度も、侍女や騎士たちを魅了していたぞ。自信を持て。――それに、何より俺が、お前を“皇太子妃”として隣に迎えたいと思っているんだ。これほど明確な理由があるか?」
 そう言って、クラウスはフローラの手を包み込む。その手の温かさは、いつでも彼女を支えてくれるという揺るぎない確信を与えてくれた。
「……はい。わたくし……クラウス様の傍で生きていきたいです。もし皆さまがわたくしを受け入れてくださるのなら……どうか」
 目にうっすら涙を浮かべながら答えるフローラに、クラウスは小さく微笑む。
「いいだろう。明日の交渉の場で、俺が堂々と宣言しよう。“これが、ラグナ帝国の皇太子妃だ”ってな」

 こうして、フローラの「皇太子妃就任」の発表が、王国からの使者を迎えるタイミングで行われることが決まった。そこには明らかに、王国に対して 「かつて捨てた令嬢こそが、いまや帝国の正式な皇太子妃になる」 という痛烈な現実を突きつける狙いがある。
 フローラ自身もまた、王国に振り回された過去を振り切って、未来を掴むための大きな一歩を踏み出す覚悟を決めたのだった。


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7. 屈辱の講和、そして衝撃の事実

 翌日、王国の使者が皇宮を訪れ、謁見の間に通された。
 そこにいたのは――なんと王太子アルベルト本人と、その妃カトリーナであった。二人ともかつての煌びやかな衣装こそ身に着けているが、その顔には明らかな疲労と焦りの色が浮かんでいる。
 当初、彼らは来るはずがないと噂されていたため、フローラは驚きと同時に嫌悪感に似た感情がこみ上げるのを抑えられなかった。
(まさか、アルベルト殿下とカトリーナが……直接ここに?)
 交渉の場には、皇帝とクラウス、それにフローラをはじめとした帝国重臣が顔を揃えている。アルベルトとカトリーナは、まるで場違いな様子で、そわそわと視線を彷徨わせていた。
 最初に口を開いたのは皇帝だった。
「……王太子アルベルトよ。わざわざ自ら出向いたからには、それなりの覚悟があろうな?」
 アルベルトは一瞬怯んだように目を伏せ、やがて意を決したように頭を下げた。
「陛下、そして皇太子クラウス殿下。我々王国は……すでに国内の情勢が混乱を極め、条約を履行することさえままならぬ状態にあります。つきましては、改めてラグナ帝国の寛大なるお力添えを……」
 要するに「さらに譲歩を求める」のだろう。周囲の空気が一気に冷え込む。
 そこへ続けて、カトリーナが甘ったるい声を上げる。
「そうですわ、陛下。わたくしたちの国はとても困っておりますの。どうか、お優しいラグナ帝国の皆さま、特に皇太子様と……あら?」
 カトリーナは何かに気づいたように、フローラの姿を目で捉えた。数秒の沈黙のあと、その顔が青ざめていく。
「あ、あなたは……フローラ? まさか……そんな……」
 アルベルトも動揺を隠せず、フローラを見つめる。
「フ、フローラ……? どうしてここに……いや、ああ、そうだった。お前はラグナ帝国に嫁いだんだったな。だが、それは一時的な政略結婚のはずで……お前がこんな立派な場所にいるなんて……」
 まるで信じられないという表情で、二人はフローラを凝視する。
 フローラは軽く頭を下げ、静かながらはっきりとした声で挨拶をした。
「お久しゅうございます、アルベルト殿下。そしてカトリーナ様。……わたくしは、ラグナ帝国の皇太子妃候補、フローラ・フォン・リヴェールと申します」
 その名乗りに、二人は言葉を失う。「皇太子妃候補」という言葉を耳にした瞬間、カトリーナは絶句し、アルベルトの額には冷や汗がにじむ。
 そこに、クラウスが声を挟んだ。
「いや、もはや“候補”ではない。――本日をもって、正式に“皇太子妃”となる存在だ。どうか、このラグナ帝国の未来を支える フローラ・イーグレッド・ラグナ を、しかと目に焼き付けるがいい」
 クラウスはそう言い放ち、フローラの手を取り、皆の前に堂々と示す。彼女の左手薬指には、帝国の宝石をあしらった指輪が光っていた。
 ――それは、この場がフローラの「正式なお披露目」のタイミングであることを示す。

 アルベルトとカトリーナの顔からは、いっさい血の気が失せる。二人ともゴクリと唾を飲み込み、カトリーナは怯えたように目を伏せる。
「そ、そんな……あなたは何もできないって、殿下がおっしゃっていたのに……」
 つい口走ったその言葉が、どれほど失礼極まりないものか、カトリーナ自身も理解していないらしい。
 アルベルトは慌ててカトリーナを止めようとするが、クラウスの冷厳な視線がその言葉を遮る。
「“何もできない”……? 俺には、フローラが何もできないどころか、この帝国で多くの者から慕われ、助けられている姿しか見えないが?」
 その問いに、アルベルトは沈黙するしかない。フローラを切り捨てたのは、ほかならぬ自分――そして、その結果、彼女がラグナ帝国で皇太子妃となった。今さら「戻ってきてくれ」などという言葉はもはや出てこない。
 カトリーナはその場で震え、内心何を思っているのか定かではない。もしかすると、ラグナ帝国の宮廷の華やかさを目にして、自分が王太子妃として享受していた地位が何とつまらないものかを痛感しているのかもしれない。

 やがて、皇帝が静かに口を開く。
「アルベルトよ。お前たちが望むならば、今の条約を見直しても良い。――ただし、こちらとしてはそれに見合う代償を求めることになるだろうがな」
 その言葉を聞いた瞬間、アルベルトは希望を見出したように顔を上げる。
「は、はい! わたしは、何でも差し出す覚悟があります。どうか王国を……わたしたちをお助けいただきたいのです!」
 クラウスは鼻で笑い、フローラの手を優しく握ったまま、アルベルトを見据えた。
「何でも差し出す……か。お前には、すでにフローラを差し出した過去があるだろう? それ以上に、今度は何を差し出せるというんだ?」
「そ、それは……」
 アルベルトが窮していると、カトリーナが必死に顔を上げる。
「わ、わたくしには、宝石や衣装がありますの。大勢の侍女や……あとは……」
 その愚かな発言に、帝国の重臣たちは呆れたような視線を投げかける。宝石や衣装など、ラグナ帝国には掃いて捨てるほどある。そんなものを渡したところで、国全体の救済には程遠い。
 何より、彼女が浪費してきた品々は、本来なら王国の財政を助けるべき税金から捻出されたものも多いだろう。そう考えると、もはや同情の余地はない。

 皇帝はついに決断を告げる。
「いいか、アルベルト。お前が望むならば、我が帝国はさらに援助してやらんでもない。だが、その代わり――王国は実質的に“属国”となり、統治の一部を我々に委ねることになる。それが嫌なら、帰れ」
 その一言に、アルベルトとカトリーナは絶句し、顔面蒼白となる。すなわち 「王国はラグナ帝国の支配下に入る」 という屈辱的な提案だ。
 王太子という地位は形だけ残されるかもしれないが、実質的には帝国の傀儡となるに等しい。
 アルベルトは震える声で問いかける。
「わ、わたしは……王としての尊厳を……」
「尊厳など、お前が捨てたんだろう。……フローラを“無能”と嘲り、結果的にこうして自分の国を崩壊寸前にしたのはどこの誰だ?」
 クラウスの静かな言葉が、アルベルトの胸を突き刺す。

 アルベルトはうつむき、しばらくの沈黙の末に――か細い声で「わ、わかった」と呟いた。もはや選択肢はない。帰れば内乱や暴動で王国が滅ぶだけ。ラグナ帝国の属国となることこそが、最後の手段なのだ。
 その結末を聞いていたフローラは、何とも言えない気持ちで一部始終を見守る。かつて婚約者だったアルベルトが、ここまで落ちぶれた姿を自分の目で確認しなければいけないとは――想像もしていなかった。
(……でも、これでいい。わたくしはもう、王国には帰らない。必要以上に情を持つこともない。これは彼ら自身が選んだ道……)


---

8. ざまあな結末、そして始まる新たな未来

 こうして、王国は正式に「ラグナ帝国の属国」へと転落した。今後は帝国の高官が王宮の政務に直接関与し、アルベルトやカトリーナは形だけの「王族」として存続することになる。
 もはや、彼らに実権はない。ラグナ帝国から派遣された監察官が王都を管理し、事実上の新体制が敷かれるのも時間の問題だ。
 それを「ざまあ」と呼ばずして何と呼ぶか――。
 アルベルトとカトリーナは、フローラを見下した報いとして、いまこうして自らの国も立場も失っていく。リヴェール公爵や宮廷貴族の多くも同様に、帝国の管理下で肩身の狭い思いをすることになるだろう。かつての特権は失われ、せいぜい没落を回避するために帝国へ恭順を誓うしかない。

 一方、フローラはこの日の夜、皇帝とクラウスから改めて 「皇太子妃の確定」を告げられた。すでに宮廷では事実上認められていたが、公の宣言を持って万全の体制となる。
 近々、盛大な 結婚式 と “ラグナ帝国皇太子妃誕生” の式典が行われるとのことで、フローラは侍女たちや官吏たちと準備に追われ始めていた。
 その式典が行われれば、全帝国内だけでなく、隣国(王国を含む)にも改めて知らせが行くだろう。「捨てられた公爵令嬢」がついに 「強大な帝国の未来を担う妃」 となったことを、世界中が知ることになるのだ。

 ――そして数週間後。
 皇太子 クラウス とフローラの 盛大な結婚式 は、ラグナ帝国の都 グラナート の壮麗な大聖堂で執り行われた。
 白亜の石造りの柱が並ぶ荘厳な祭壇の前で、フローラは純白のヴェールをまとい、静かに待っている。クラウスが高らかに宣言するように、その手を取り、誓いの言葉を捧げる。
「――俺は、このラグナ帝国を継ぎ、そして何より、お前を永遠に守り抜くことを誓う。フローラ、これからは共に歩もう」
 フローラは泣きそうになるのをこらえながら、震える声で応じる。
「はい。わたくしも、クラウス様の傍で生きていきます。……これまでは孤独でしたが、あなたとなら、どんな道でも乗り越えていけますわ」

 拍手喝采が大聖堂に響き渡り、教会の鐘が一斉に鳴り始める。帝国中の貴族や市民たちが、広場や街道で祝いの言葉を交わし、祝宴が至るところで開かれた。
 遠く離れた王国にも、その知らせは瞬く間に伝わる。かつての婚約者だったアルベルトやリヴェール公爵が、その事実をどう受け止めるかは想像に難くないだろう。
 彼らがどれほど悔やもうと、今や フローラはラグナ帝国の皇太子妃 であり、王国を救う義理など微塵もない。むしろ、帝国の繁栄こそが彼女の優先であり、王国の未来がどう転ぼうと、彼女はもうそこに振り回されることはない。

 夜になり、壮麗なレセプションホールで宮廷の夜会が開かれる。フローラは皇太子妃としてのドレスを身にまとい、クラウスの隣で招待客と次々に会話を交わした。
 祝福の声は絶えず、皆がフローラに「おめでとうございます」「これからもどうぞ国を、そして殿下をお支えください」と穏やかな言葉をかけてくれる。
 フローラはその一つひとつに感謝を返しながら、胸の奥に温かい幸福を感じる。
(もう、わたくしは孤独じゃない。かつては捨てられて、王太子にも愛されず、家族にすら蔑ろにされて……でも、今はこうして、愛する人と新しい国で生きていける)

 クラウスがフローラにそっと耳打ちする。
「疲れてないか? 休憩したければ、裏のテラスに行こう」
「はい……少しだけ、外の空気が吸いたいです」
 二人はこっそりとホールを抜け出し、宮廷のテラスへ向かう。夜空にはきらめく星が広がり、涼やかな風が頬を撫でた。
 クラウスはフローラを抱き寄せ、その瞳を覗き込む。
「お前がいてくれて本当によかった。……フローラ、ここに来るまで辛い思いをたくさんしたな。改めて、ありがとう」
 その言葉に、フローラは小さく首を振る。
「わたくしこそ、ありがとうございます。クラウス様が手を差し伸べてくださらなかったら、今ごろどうなっていたか……本当に、感謝してもしきれません」
 クラウスはフッと笑って、フローラの額に軽くキスを落とす。
「明日からはまた帝国の雑務に追われるが、お前がそばにいてくれるだけで、俺はどんな苦労もいとわない。――なあ、フローラ。これからもずっと一緒だ。愛してる」
 甘く、けれど真摯な言葉に、フローラの目からは一筋の涙がこぼれ落ちる。その涙は悲しみではなく、満たされた幸福の証だった。
「わたくしも……ずっと一緒に。クラウス様のことを心から愛しています」

 こうして、捨てられた公爵令嬢の物語は、決定的な「ざまぁ」な結末を迎えた。
 王国は自らの不甲斐なさによって帝国の属国となり、かつてフローラを蔑んだ者たちは苦渋を舐めることになった。一方、フローラはラグナ帝国の皇太子妃として、新たな歴史を紡ぐ立場を手に入れたのだ。
 かつての王国は、もう彼女にとって踏み台のような存在でしかない。裏切られた悲しみを乗り越えたフローラは、今や誰にも奪われない愛と尊厳に包まれながら、ラグナ帝国の未来を共に築いていく。

 ――これが、王国の没落と、フローラの幸福の対比を象徴する 「ざまぁ」 の幕引き。
 捨てられた公爵令嬢は、敵国の皇太子からの溺愛を一身に受け、堂々と 「皇太子妃」 となって生きていくのだった。




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