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第16話 運命の日、二人は再び向き合う
しおりを挟む朝の空気は、妙に澄んでいた。
エレノアは、侍女たちに囲まれながら丁寧に髪を整え、
落ち着いたブルーグレーのドレスに身を包んだ。
ミリアがそわそわしながら声をかける。
「お嬢様……今日、本当に公爵様がお越しになるのですよ……!」
「ええ、知ってますわ」
エレノアは静かに微笑んだ。
だが、その指先はほんの少しだけ震えていた。
ミリアは気づいて、胸がぎゅっとなる。
(お嬢様……緊張している……
だけど隠さない。この感じが……なんだか、とても素敵……!)
「ミリア。こんな時は、深呼吸が良いのですわよ」
「お嬢様がそれを言うのですか……!?」
エレノアはいたずらっぽく笑った。
「わたくしも、深呼吸をいたしますけれどね」
***
一方そのころ、街道には黒い騎馬隊が静かに進んでいた。
ノルヴィア公爵ライナルトは馬車の中で、
書簡を閉じ、深く息を吐く。
側近が恐る恐る尋ねる。
「閣下……本日のご提案、
本当に“あの内容”でよろしいのですか?」
ライナルトは迷いなく答えた。
「彼女の安全のためだ。
王宮の混乱は、すでに彼女の名を利用する段階に来ている。
放置はできない」
側近は息をのむ。
(“放置できない”……
閣下がここまで言い切る相手など、今までいなかった……)
ライナルトは小さく続けた。
「彼女が断るなら、それでもよい。
だが私は……彼女に選択肢を渡したい」
それは、彼にしては珍しく“優しさを滲ませた”言葉だった。
***
そして正午前。
屋敷の門が開き、
黒馬に先導された公爵の馬車がゆっくりと入ってくる。
侍女たちが緊張で固まり、
ミリアは深呼吸を十回ほど繰り返しながら言った。
「お嬢様……ま、参りましょう……!」
エレノアは胸に手を当てた。
(落ち着いて……大丈夫。
昨日たっぷり悩んで、もう覚悟は決めたのですもの)
彼女はしずしずと玄関へ向かい、
扉が開いたその瞬間——
蒼い瞳をした男と視線が重なった。
ライナルト公爵。
冷徹と噂されるその顔は、
今日はほんの僅かに柔らかい。
「お待ちしておりました、公爵様」
エレノアが丁寧に会釈する。
「急な訪問にも関わらず、こうして迎えてくれて感謝する、エレノア嬢」
ライナルトの声は低く、落ち着いていて、
まるで屋敷全体の空気が変わるほどの存在感を秘めていた。
ミリアは思わず心の中で叫ぶ。
(うわぁ……絵になる……絵になりすぎる……!!)
エレノアとライナルトは静かに向き合い、
応接室に移動する。
***
席についた瞬間、
空気がわずかに張り詰めた。
ライナルトはしばらく黙り、
まるで彼女を“見極めよう”とするように視線を向ける。
エレノアもまた、まっすぐにその瞳を受け止めた。
やがて、公爵が口を開いた。
「エレノア嬢。
今日来たのは、君に“伝えるべきこと”があるからだ」
「……はい。伺いますわ、公爵様」
ライナルトは短く頷き、言葉を続けた。
「まず一つ。
王宮では今、君の名が頻繁に利用され始めている。
殿下を諌めるため、または世論操作のため……
君自身の意思とは関係なく」
エレノアは静かに息を呑んだ。
(やはり……そうなりましたのね)
公爵は続ける。
「私はそれを許すつもりはない。
君の名も人生も、君のものだ。
誰にも利用されてはならない」
エレノアの瞳が驚きに揺れた。
こんなふうに言ってくれる人が、
自分の人生に現れると思っていなかった。
ライナルトは、さらに一歩踏み込んだ。
「そして二つ目の話だが……」
少しだけ視線が柔らかくなった。
「君が望むのなら——
私は、君をこの混乱から“遠ざける場所”を用意できる」
エレノアの心臓が大きく跳ねた。
(……これは……
まさか……)
ミリアは息を止めている。
落ち着き払っていたエレノアの声が、
ほんの少しだけ震えた。
「……遠ざける、場所……?」
ライナルトは正面から見つめて答えた。
「私の領地だ。
ノルヴィアは王宮から遠く、誰にも干渉されない。
もし君が“静かに暮らしたい”と思うのなら……
私はその選択肢を、君に渡したい」
エレノアは言葉を失った。
公爵からの、実質的な“保護の申し出”。
そして、
その声にはわずかながら“君を大切に思う”温度があった。
胸が熱くなり、
エレノアは気づけばそっと視線を落としていた。
ライナルトは静かに言葉を添える。
「もちろん、強制はしない。
君が望む人生を、君が選べばいい」
エレノアは顔を上げた。
緊張も戸惑いも混じっているのに、
その瞳はとても澄んでいた。
「……公爵様。
わたくし……」
しかし、言葉はそこで途切れた。
胸がいっぱいで、続きが出てこない。
ライナルトは焦らず、優しく告げた。
「急ぐ必要はない。
今日は……ただ、伝えに来ただけだ」
その声は驚くほど穏やかだった。
エレノアは、小さく息を整え——
「……ありがとうございます、公爵様」
その瞬間、彼女の頬には、
ほんのりと赤みが差していた。
ミリアは心の中でガッツポーズをした。
(うわぁぁぁぁ!! お嬢様が照れてるぅ!!
公爵様の破壊力……恐るべし……!)
こうして——
運命を分ける「公爵の提案」が、
正式にエレノアへ届けられた。
彼女が下す答えが何であれ、
二人の距離はもう、後戻りできないほど近づいていた。
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