『婚約破棄された令嬢ですが、気づけば王国の基準になっていました』

ふわふわ

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第十三話 来訪者

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第十三話 来訪者

 ヴァルモンド侯爵家の正門前に、見慣れぬ紋章を掲げた馬車が停まったのは、午後の柔らかな陽が庭を照らしている頃だった。

 黒塗りの車体に銀の縁取り。側面に刻まれた紋章は、二頭の鷲が向かい合う意匠。

 隣国――アルベイン公国の公爵家の印。

 私は書斎の窓からそれを確認し、ゆっくりと立ち上がった。

「アルフレッド」

「はい、お嬢様」

「応接室を整えてください」

「かしこまりました」

 隣国の公爵が、何の前触れもなく侯爵家を訪れる。

 偶然ではない。

 港の停滞、保証解除、税制改正、物価上昇。ここ数日の動きは、当然ながら国境を越えて伝わっている。

 市場は国境を持たない。

 信用の揺れもまた、同じ。

 応接室へ向かうと、すでに父が客を迎えていた。

 長身の男が、静かに立っている。

 黒髪を後ろへ撫でつけ、無駄のない装い。派手さはないが、立ち姿に隙がない。

 リカルド・アルベイン公爵。

 隣国の実質的な財政責任者と噂される人物。

「ご機嫌麗しゅう、ヴァルモンド侯爵」

「遠路ご足労いただき、感謝いたします、公爵閣下」

 形式的な挨拶が交わされる。

 やがて父が私を促した。

「娘のセレスティアです」

 私は一礼する。

「お目にかかれて光栄です、公爵閣下」

 リカルドは一瞬、私をじっと見つめた。

 その視線は露骨ではない。だが、値踏みでもない。

 観察。

「お噂はかねがね」

 低く落ち着いた声。

「お噂とは、どのようなものでしょう」

 私は微笑む。

「王国の財政を裏から支えていた令嬢が、突然自由になった、と」

 わずかに、皮肉が混じっている。

 私は否定も肯定もせず、席に着いた。

「本日はどのようなご用件で」

 リカルドは単刀直入だった。

「市場が揺れている」

「ええ」

「王国の信用は一時的に低下している」

「数字は正直です」

 彼の目がわずかに細まる。

「あなたの保証解除が、引き金だ」

 直球。

 私は静かに答える。

「契約の整理に過ぎません」

「そうだろうな」

 彼は頷く。

「だが、市場は“整理”と受け取らない。象徴と見る」

 私は黙って彼を見つめる。

「王太子は情熱的だと聞く」

「その通りかと」

「だが、情熱は信用を補完しない」

 その言葉に、ほんのわずか胸が揺れる。

 同じことを、私は何度も考えてきた。

 リカルドは続ける。

「我が国は、交易拡大を進めている。王国の揺れは、機会でもある」

 正直だ。

 隣国にとって、王国の信用低下は自国の優位性を高める材料になる。

「つまり」

 私は問いかける。

「ご挨拶だけではない、ということですわね」

 リカルドの口元がわずかに緩む。

「あなたに、興味がある」

 応接室の空気がわずかに変わる。

「私に」

「あなたの分析力と、仕組みを見る目に」

 彼は一切の遠慮なく言う。

「王国は、あなたを外した。だが市場は、あなたを評価している」

 私は表情を変えない。

「評価は、紙面に載りませんわ」

「だが数字に残る」

 沈黙。

 父が静かに二人を見守っている。

 リカルドはさらに踏み込む。

「もし、あなたが望むなら」

 その声音は穏やかだが、芯がある。

「アルベイン公国の財務顧問として迎えたい」

 空気が止まった。

 隣国の公爵からの正式な打診。

 それは単なる職ではない。

 政治的意味を持つ。

 私はゆっくりと問い返す。

「私を、どのような立場で」

「実権を伴う顧問」

 即答。

「飾りではない。決定権を持つ立場だ」

 その言葉は、重い。

 王国では、私は影だった。

 決定を形にする役目はあっても、名は表に出なかった。

「条件は」

 私は淡々と尋ねる。

 リカルドは一瞬も迷わない。

「あなたを道具にしない」

 胸の奥が、わずかに震える。

 その言葉は、私が父に告げたものと同じだった。

「あなたの判断を尊重する。成果はあなたの名で残す」

 父が静かに息を吐く。

 私は視線を落とし、紅茶に手を伸ばす。

 湯気がゆらりと立ち上る。

 王国は今、揺れている。

 その揺れの中で、私は自由になった。

 そして今。

 隣国が、手を差し伸べている。

 リカルドは急かさない。

「返答は急がない」

 落ち着いた声。

「だが、時間は動いている」

 その通りだ。

 市場も、政治も、感情も。

 私はカップを置き、顔を上げる。

「検討いたします」

 それ以上でも、それ以下でもない。

 リカルドは立ち上がる。

「それで十分だ」

 彼が去った後、応接室には静寂が戻る。

 父がゆっくりと私を見る。

「どう思う」

 私は少し考える。

「合理的な提案です」

「感情は」

 私は一瞬だけ言葉に詰まる。

「……悪くありません」

 それが正直な答えだった。

 夜、私は書斎で一人、窓の外を見つめる。

 王宮の灯りは遠く揺れている。

 その反対側、隣国の方向にも、灯りがある。

 王国は私を外した。

 だが世界は、狭くない。

 来訪者は、ただの客ではなかった。

 それは、新しい選択肢。

 そして、新しい未来の兆しだった。
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