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第一話 婚約破棄の夜会
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第一話 婚約破棄の夜会
王城の大広間は、宝石箱をひっくり返したかのように煌めいていた。
天井から下がる巨大なシャンデリアが柔らかな光を注ぎ、色とりどりのドレスに身を包んだ貴族たちが、音楽に合わせて優雅に談笑している。
――本来であれば、今夜の主役は私であるはずだった。
公爵令嬢エルミナ・ローゼンベルク。
王太子アドリアン・ルクレールの正式な婚約者として、隣に立ち、祝福を受ける立場。
けれど、私は今、主役席から一歩引いた位置で静かに立っている。
胸に湧き上がる感情は、不思議なほど凪いでいた。
「……エルミナ様、何かお顔色が優れませんが」
背後から心配そうな声をかけてきたのは、侍女のマリアだ。
私は小さく首を振り、微笑みを返した。
「大丈夫よ。少し、空気が熱いだけ」
それは嘘ではなかった。
けれど、本当の理由は別にある。
今夜、この場で――
アドリアン殿下が、何かを宣言することを、私はすでに知っていた。
音楽が止み、ざわめきが自然と収まっていく。
視線が一斉に、玉座の前へと集まった。
そこに立つのは、王太子アドリアン・ルクレール。
そして、その腕に寄り添うように立つ、一人の少女。
薄い亜麻色の髪、慎ましげな瞳。
平民出身と聞いている――自称“聖女”の、リーネ。
場の空気が、わずかに張り詰める。
「皆に、伝えたいことがある」
アドリアンの声は、よく通った。
少しの緊張と、そして奇妙な高揚が混じっている。
「私は――」
そこで一瞬、彼の視線が私に向けられた。
哀れみか、躊躇か、それとも優越感か。
そのどれでもない、曖昧な色。
「――公爵令嬢エルミナ・ローゼンベルクとの婚約を、ここに破棄する」
どよめきが広間を満たす。
貴族たちの視線が、私に突き刺さった。
驚愕、同情、好奇心。
そして、期待――“どう取り乱すのか”という下世話な期待。
だが。
私は、ただ静かに瞬きをしただけだった。
「私は、真実の愛を知った」
アドリアンは、リーネの手を強く握る。
「身分ではなく、義務でもなく。心から愛する人と、共に歩みたい。そう思ったんだ」
甘い理想を語る声。
それを聞きながら、私は内心で小さく息を吐いた。
――ああ、やはり。
これで、すべてが繋がった。
「リーネこそが、私の選んだ女性だ」
リーネは、潤んだ瞳で頷き、か細い声を絞り出す。
「……殿下のおそばにいられるなら、身に余る幸せです」
拍手が、まばらに起こる。
誰が最初に叩いたのかは分からない。だが、それに釣られるように、広間は祝福の空気を装い始めた。
――滑稽なこと。
私は、ゆっくりと一歩前に出た。
「殿下」
その声に、再び視線が集まる。
「……エルミナ?」
アドリアンの眉が、わずかに寄る。
「婚約破棄を宣言なさる前に、私の意向をお聞きになるべきでは?」
「……君に拒否権はないだろう」
その言葉に、会場の空気が一瞬、冷える。
「王太子として、そして未来の国王としての決断だ」
――未来の国王。
その言葉が、胸の奥で、ひどく軽く響いた。
私は小さく息を吸い、はっきりと告げる。
「承知いたしました」
どよめきが、さらに大きくなる。
「ですが――」
私は視線を上げ、真っ直ぐに彼を見た。
「その婚約は、すでに無効でございます」
「……何?」
アドリアンが目を見開く。
「婚約は、双方の家と王家の契約によって成立するもの。
ローゼンベルク家は、すでにその契約を見直し、条件不履行を理由に――」
私は、静かに言葉を切った。
「――本日付で、撤回しております」
沈黙。
そして、理解が追いついた瞬間、ざわめきは恐慌に変わった。
「ば、馬鹿な……!」
アドリアンの顔色が変わる。
「そんな話、聞いていない!」
「でしょうね」
私は微笑む。
「殿下は、私が何をしてきたかに、あまり興味をお持ちではなかったですから」
財務。外交。調整。
表に出ない、王家の“面倒な仕事”。
それらを誰が担ってきたのか。
彼は、一度も考えたことがなかった。
「では、これにて失礼いたします」
私は深く一礼した。
「殿下と――リーネ様の、末永いご多幸をお祈りいたしますわ」
その言葉は、祝福であると同時に、完全な別れの宣言だった。
背を向けた瞬間、背後で何かが崩れる気配がした。
だが、私は振り返らない。
夜会の喧騒を背に、王城を出る。
冷たい夜風が、頬を撫でた。
「……終わりましたね」
そう呟くと、不思議と心は軽かった。
これは、終わりではない。
――私が、私自身の人生を取り戻す、始まりなのだから。
王城の大広間は、宝石箱をひっくり返したかのように煌めいていた。
天井から下がる巨大なシャンデリアが柔らかな光を注ぎ、色とりどりのドレスに身を包んだ貴族たちが、音楽に合わせて優雅に談笑している。
――本来であれば、今夜の主役は私であるはずだった。
公爵令嬢エルミナ・ローゼンベルク。
王太子アドリアン・ルクレールの正式な婚約者として、隣に立ち、祝福を受ける立場。
けれど、私は今、主役席から一歩引いた位置で静かに立っている。
胸に湧き上がる感情は、不思議なほど凪いでいた。
「……エルミナ様、何かお顔色が優れませんが」
背後から心配そうな声をかけてきたのは、侍女のマリアだ。
私は小さく首を振り、微笑みを返した。
「大丈夫よ。少し、空気が熱いだけ」
それは嘘ではなかった。
けれど、本当の理由は別にある。
今夜、この場で――
アドリアン殿下が、何かを宣言することを、私はすでに知っていた。
音楽が止み、ざわめきが自然と収まっていく。
視線が一斉に、玉座の前へと集まった。
そこに立つのは、王太子アドリアン・ルクレール。
そして、その腕に寄り添うように立つ、一人の少女。
薄い亜麻色の髪、慎ましげな瞳。
平民出身と聞いている――自称“聖女”の、リーネ。
場の空気が、わずかに張り詰める。
「皆に、伝えたいことがある」
アドリアンの声は、よく通った。
少しの緊張と、そして奇妙な高揚が混じっている。
「私は――」
そこで一瞬、彼の視線が私に向けられた。
哀れみか、躊躇か、それとも優越感か。
そのどれでもない、曖昧な色。
「――公爵令嬢エルミナ・ローゼンベルクとの婚約を、ここに破棄する」
どよめきが広間を満たす。
貴族たちの視線が、私に突き刺さった。
驚愕、同情、好奇心。
そして、期待――“どう取り乱すのか”という下世話な期待。
だが。
私は、ただ静かに瞬きをしただけだった。
「私は、真実の愛を知った」
アドリアンは、リーネの手を強く握る。
「身分ではなく、義務でもなく。心から愛する人と、共に歩みたい。そう思ったんだ」
甘い理想を語る声。
それを聞きながら、私は内心で小さく息を吐いた。
――ああ、やはり。
これで、すべてが繋がった。
「リーネこそが、私の選んだ女性だ」
リーネは、潤んだ瞳で頷き、か細い声を絞り出す。
「……殿下のおそばにいられるなら、身に余る幸せです」
拍手が、まばらに起こる。
誰が最初に叩いたのかは分からない。だが、それに釣られるように、広間は祝福の空気を装い始めた。
――滑稽なこと。
私は、ゆっくりと一歩前に出た。
「殿下」
その声に、再び視線が集まる。
「……エルミナ?」
アドリアンの眉が、わずかに寄る。
「婚約破棄を宣言なさる前に、私の意向をお聞きになるべきでは?」
「……君に拒否権はないだろう」
その言葉に、会場の空気が一瞬、冷える。
「王太子として、そして未来の国王としての決断だ」
――未来の国王。
その言葉が、胸の奥で、ひどく軽く響いた。
私は小さく息を吸い、はっきりと告げる。
「承知いたしました」
どよめきが、さらに大きくなる。
「ですが――」
私は視線を上げ、真っ直ぐに彼を見た。
「その婚約は、すでに無効でございます」
「……何?」
アドリアンが目を見開く。
「婚約は、双方の家と王家の契約によって成立するもの。
ローゼンベルク家は、すでにその契約を見直し、条件不履行を理由に――」
私は、静かに言葉を切った。
「――本日付で、撤回しております」
沈黙。
そして、理解が追いついた瞬間、ざわめきは恐慌に変わった。
「ば、馬鹿な……!」
アドリアンの顔色が変わる。
「そんな話、聞いていない!」
「でしょうね」
私は微笑む。
「殿下は、私が何をしてきたかに、あまり興味をお持ちではなかったですから」
財務。外交。調整。
表に出ない、王家の“面倒な仕事”。
それらを誰が担ってきたのか。
彼は、一度も考えたことがなかった。
「では、これにて失礼いたします」
私は深く一礼した。
「殿下と――リーネ様の、末永いご多幸をお祈りいたしますわ」
その言葉は、祝福であると同時に、完全な別れの宣言だった。
背を向けた瞬間、背後で何かが崩れる気配がした。
だが、私は振り返らない。
夜会の喧騒を背に、王城を出る。
冷たい夜風が、頬を撫でた。
「……終わりましたね」
そう呟くと、不思議と心は軽かった。
これは、終わりではない。
――私が、私自身の人生を取り戻す、始まりなのだから。
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