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第二話 冷たい令嬢という噂
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第二話 冷たい令嬢という噂
王城を去った翌朝、私はローゼンベルク公爵家の自室で、静かに紅茶を口にしていた。
窓の外では、いつもと変わらない朝日が庭を照らしている。鳥のさえずりも、風に揺れる木々の音も、何一つ変わらない。
――変わったのは、私の立場だけ。
「……噂は、もう広がっているでしょうね」
そう呟くと、侍女のマリアが小さく頷いた。
「はい。王都では、今朝からその話でもちきりです。
『王太子を捨てた冷酷な公爵令嬢』
『愛を知らぬ女』
……そのような言葉が」
予想通りだった。
人は、分かりやすい物語を好む。王太子が“真実の愛”を選び、私はそれを冷たく拒絶した――そのほうが、彼らにとって都合がいい。
「そう」
私は、淡々と答えた。
「では、計画通りね」
マリアは一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を引き締める。
「すでに各方面へ、通知は?」
「はい。今朝未明のうちに。
王家名義で進められていた契約書類はすべて、再確認を求める文書を送付しております」
優秀な侍女だ。
私は小さく微笑んだ。
――昨夜の婚約破棄は、終わりではない。
むしろ、始まりだった。
私が王太子の婚約者として王城にいた間、どれほど多くの「名もなき仕事」を引き受けてきたか。
財務報告の精査、諸侯への根回し、外交文書の文言調整。
それらはすべて、表には出ない。
だからこそ、誰もがこう思っている。
――エルミナがいなくても、王家は回る。
だが、それは大きな勘違いだ。
昼前、最初の知らせが届いた。
「エルミナ様、王宮財務局より至急の使者が」
「お通しして」
入ってきたのは、顔色の冴えない中年の官吏だった。
汗を拭いながら、深々と頭を下げる。
「こ、これは突然のことで……王家の来月分の支出計画について、ご確認を――」
「それについては、すでに通知をお送りしておりますわ」
私は静かに告げる。
「王家とローゼンベルク家の共同管理は、本日をもって終了。
以後、私の承認は不要です」
「そ、そんな……! しかし、この印がなければ、各方面への支払いが――」
「滞りますわね」
私は微笑んだ。
「ですが、それは王家の問題です。
婚約者でも、王宮顧問でもない私が、関わる理由はありません」
官吏は言葉を失い、震える手で書類を抱えたまま立ち尽くしていた。
――これが、現実。
午後と言わず、次々と使者が訪れた。
外交部、商務局、地方領主の代理人。
皆、一様に困惑し、焦り、そして最後には同じ言葉を口にする。
「エルミナ様にしか、分からないのです」
私は、そのたびに同じ答えを返した。
「では、ご自分でお考えなさいませ」
夕刻、王城ではさらに混乱が広がっていた。
王太子アドリアン・ルクレールは、執務室で苛立ちを隠せずにいた。
「どういうことだ……!
なぜ、どの書類もエルミナの承認が必要になっている!?」
机を叩く音が響く。
「殿下……それは、以前から……」
側近の言葉を、彼は遮った。
「聞いていない!
彼女は、ただの婚約者だろう!?」
その言葉に、誰も答えられなかった。
彼は知らなかったのだ。
“ただの婚約者”が、どれほど王家を支えていたかを。
一方、リーネは王城の一室で、落ち着かない様子で指を組んでいた。
「……皆さん、私を見る目が……」
「気にする必要はありません、リーネ様」
侍女が慌てて励ます。
「殿下がいらっしゃいます。あなたは選ばれた方なのですから」
だが、リーネの胸はざわついていた。
昨夜までは、自分が世界の中心にいるような気分だった。
けれど今は、どこか冷たい視線を感じる。
――エルミナが、何かをしたのでは?
その考えを、彼女は必死に振り払った。
夜、私は書斎で一人、帳簿を閉じた。
「……やはり、早いですね」
想定よりも、王家の混乱は速かった。
だが、それは当然だ。
無理に繋ぎ止めていた糸が、一本切れただけで絡まり始めたに過ぎない。
私は窓辺に立ち、王都の灯りを見下ろす。
今頃、彼らは私をこう呼んでいるだろう。
――冷たい令嬢。
――感情のない女。
けれど、それでいい。
私はもう、彼らの期待に応える必要はない。
「……これで、ようやく公平ですわね」
そう呟いた瞬間、胸の奥で、確かな安堵が広がった。
これは復讐ではない。
ただ、正しい位置に物事が戻り始めただけ。
――私がいなくなった世界が、どうなるのか。
それを、彼ら自身の目で確かめる時間が、始まったのだから。
王城を去った翌朝、私はローゼンベルク公爵家の自室で、静かに紅茶を口にしていた。
窓の外では、いつもと変わらない朝日が庭を照らしている。鳥のさえずりも、風に揺れる木々の音も、何一つ変わらない。
――変わったのは、私の立場だけ。
「……噂は、もう広がっているでしょうね」
そう呟くと、侍女のマリアが小さく頷いた。
「はい。王都では、今朝からその話でもちきりです。
『王太子を捨てた冷酷な公爵令嬢』
『愛を知らぬ女』
……そのような言葉が」
予想通りだった。
人は、分かりやすい物語を好む。王太子が“真実の愛”を選び、私はそれを冷たく拒絶した――そのほうが、彼らにとって都合がいい。
「そう」
私は、淡々と答えた。
「では、計画通りね」
マリアは一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を引き締める。
「すでに各方面へ、通知は?」
「はい。今朝未明のうちに。
王家名義で進められていた契約書類はすべて、再確認を求める文書を送付しております」
優秀な侍女だ。
私は小さく微笑んだ。
――昨夜の婚約破棄は、終わりではない。
むしろ、始まりだった。
私が王太子の婚約者として王城にいた間、どれほど多くの「名もなき仕事」を引き受けてきたか。
財務報告の精査、諸侯への根回し、外交文書の文言調整。
それらはすべて、表には出ない。
だからこそ、誰もがこう思っている。
――エルミナがいなくても、王家は回る。
だが、それは大きな勘違いだ。
昼前、最初の知らせが届いた。
「エルミナ様、王宮財務局より至急の使者が」
「お通しして」
入ってきたのは、顔色の冴えない中年の官吏だった。
汗を拭いながら、深々と頭を下げる。
「こ、これは突然のことで……王家の来月分の支出計画について、ご確認を――」
「それについては、すでに通知をお送りしておりますわ」
私は静かに告げる。
「王家とローゼンベルク家の共同管理は、本日をもって終了。
以後、私の承認は不要です」
「そ、そんな……! しかし、この印がなければ、各方面への支払いが――」
「滞りますわね」
私は微笑んだ。
「ですが、それは王家の問題です。
婚約者でも、王宮顧問でもない私が、関わる理由はありません」
官吏は言葉を失い、震える手で書類を抱えたまま立ち尽くしていた。
――これが、現実。
午後と言わず、次々と使者が訪れた。
外交部、商務局、地方領主の代理人。
皆、一様に困惑し、焦り、そして最後には同じ言葉を口にする。
「エルミナ様にしか、分からないのです」
私は、そのたびに同じ答えを返した。
「では、ご自分でお考えなさいませ」
夕刻、王城ではさらに混乱が広がっていた。
王太子アドリアン・ルクレールは、執務室で苛立ちを隠せずにいた。
「どういうことだ……!
なぜ、どの書類もエルミナの承認が必要になっている!?」
机を叩く音が響く。
「殿下……それは、以前から……」
側近の言葉を、彼は遮った。
「聞いていない!
彼女は、ただの婚約者だろう!?」
その言葉に、誰も答えられなかった。
彼は知らなかったのだ。
“ただの婚約者”が、どれほど王家を支えていたかを。
一方、リーネは王城の一室で、落ち着かない様子で指を組んでいた。
「……皆さん、私を見る目が……」
「気にする必要はありません、リーネ様」
侍女が慌てて励ます。
「殿下がいらっしゃいます。あなたは選ばれた方なのですから」
だが、リーネの胸はざわついていた。
昨夜までは、自分が世界の中心にいるような気分だった。
けれど今は、どこか冷たい視線を感じる。
――エルミナが、何かをしたのでは?
その考えを、彼女は必死に振り払った。
夜、私は書斎で一人、帳簿を閉じた。
「……やはり、早いですね」
想定よりも、王家の混乱は速かった。
だが、それは当然だ。
無理に繋ぎ止めていた糸が、一本切れただけで絡まり始めたに過ぎない。
私は窓辺に立ち、王都の灯りを見下ろす。
今頃、彼らは私をこう呼んでいるだろう。
――冷たい令嬢。
――感情のない女。
けれど、それでいい。
私はもう、彼らの期待に応える必要はない。
「……これで、ようやく公平ですわね」
そう呟いた瞬間、胸の奥で、確かな安堵が広がった。
これは復讐ではない。
ただ、正しい位置に物事が戻り始めただけ。
――私がいなくなった世界が、どうなるのか。
それを、彼ら自身の目で確かめる時間が、始まったのだから。
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