婚約破棄された令嬢ですが、国が自走し始めたので私はもう口出ししません

ふわふわ

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第三話 契約撤回という現実

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第三話 契約撤回という現実

 王都の朝は、いつもより騒がしかった。

 馬車の往来が増え、商人たちの声が重なり、街路では小さな口論さえ聞こえる。
 それらはすべて、表に出ていない“違和感”の兆しだった。

 私はローゼンベルク公爵家の応接室で、届いた書簡の束に目を通していた。
 封蝋の色も、家紋も、差出人も様々だが、内容は驚くほど似通っている。

「再考の余地はないか」
「話し合いの場を設けてほしい」
「一時的な感情による判断ではないか」

 ――どれも、王家側からの遠回しな懇願だ。

「ふふ……」

 思わず、小さく笑みがこぼれる。

 彼らはまだ、“契約撤回”という言葉の意味を正確に理解していない。
 それが、単なる感情的な抗議ではなく、法的かつ実務的な“断絶”であることを。

「エルミナ様」

 マリアが、新たな来客を告げる。

「王家直属、外交評議会の代表が到着しております」

「……そう。では、お通しして」

 ほどなくして現れたのは、初老の貴族だった。
 外交評議会の中でも穏健派として知られる人物で、私とは何度も仕事をした仲だ。

「お久しぶりですな、エルミナ様」

「ご無沙汰しております」

 形式的な挨拶の後、彼は深いため息をついた。

「……正直に申します。
 今、王家は大混乱です」

「存じておりますわ」

「隣国との穀物輸入契約、沿岸諸侯との通商条約、教会との資金調整……
 どれも、あなたの最終確認が前提になっていた」

 彼は、私をまっすぐ見た。

「なぜ、そこまで?」

 その問いに、私は即答しなかった。

 少しだけ、時間を置く。

「――殿下が、ご存じなかっただけです」

 それだけを告げる。

「私は、王太子妃になる立場として、国を“回す”役目を果たしていただけ。
 それを誰も評価せず、理解もせず、当然のように扱った。
 ただ、それだけのことですわ」

 老貴族は、唇を噛みしめた。

「……戻るつもりは?」

「ありません」

 即答だった。

「私はもう、王家の人間ではありません。
 婚約が破棄された時点で、義務も責任も消えました」

「それでは、国が……」

「それは、王家が考えるべきことです」

 きっぱりと告げる。

「私が支えていたから成り立っていた体制が、私の不在で崩れるのなら――
 それは、最初から歪んでいたということ」

 沈黙が落ちる。

 やがて老貴族は、深く頭を下げた。

「……失礼しました。
 これ以上、お願いする資格はありませんな」

 彼が去った後、私は一枚の書類を手に取った。

 そこには、ローゼンベルク家と王家の間で結ばれていた、数々の契約一覧が記されている。
 財政補填、人的支援、外交仲介。

 その多くが、私個人の裁量に委ねられていた。

「これを“好意”だと思っていたのね」

 私は、静かに呟いた。

 だが、好意は義務ではない。
 ましてや、切り捨てられた後も差し出し続ける理由など、どこにもない。

 一方その頃、王城では。

「どういうことだ……!」

 アドリアン・ルクレールは、机に書類を叩きつけていた。

「契約撤回?
 なぜ、こんな重要な案件を、彼女一人に任せていた!?」

 側近たちは、顔を伏せる。

「殿下……それは、以前からエルミナ様が主導で……」

「聞いていない!」

 怒鳴り声が響く。

「そんなもの、王家の権限でどうにでもなるだろう!」

 その言葉に、財務官が恐る恐る口を開いた。

「……殿下。
 契約は、法的に有効です。
 ローゼンベルク家が撤回を表明した以上、強制は――」

「黙れ!」

 苛立ちに満ちた叫び。

 彼はまだ理解していなかった。
 “自分が王太子であること”が、万能ではないという現実を。

 その頃、リーネもまた、不安を募らせていた。

「……殿下、最近お忙しそうで……」

 甘えるように声をかけても、アドリアンは苛立った様子で答えるだけ。

「ああ、今はそれどころじゃない」

 彼の視線は、書類と地図に釘付けだ。

 ――自分は、本当に選ばれたのだろうか。

 リーネの胸に、小さな疑念が芽生え始める。

 夜。

 私は書斎で、最後の通知文をしたためていた。

『本日をもって、ローゼンベルク家は
 王家とのすべての補助契約・調整業務から正式に撤退いたします』

 署名を終え、封蝋を押す。

 それは、感情ではなく、手続きとしての“終わり”だった。

「……これで、完全ね」

 胸の奥に、静かな達成感が広がる。

 私は復讐をしているわけではない。
 怒りに任せて何かを壊しているわけでもない。

 ただ、与えていたものを、元の場所へ戻しただけ。

 それでも世界は、確実に軋み始めている。

 ――エルミナ・ローゼンベルクという存在を、
 軽んじた代償を、彼らはこれから思い知ることになる。

 それはまだ、序章に過ぎなかった。
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