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第四話 聖女という偶像
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第四話 聖女という偶像
王城の礼拝堂には、甘く張りつめた空気が漂っていた。
高い天井から差し込む光が、白い石床を照らし、祈りの言葉が低く反響する。
その中心に立っているのは、純白のローブに身を包んだ少女――リーネだった。
「聖女様……どうか、我らに祝福を……」
跪く人々の視線が、一斉に彼女へと注がれる。
その視線の重さに、リーネは喉の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
期待、信仰、依存。
それらが混ざり合った眼差しは、あまりにも重い。
「……はい」
震えそうになる声を、必死に抑えながら、リーネは両手を胸の前で組んだ。
――大丈夫。
――私は、選ばれた存在。
そう、自分に言い聞かせる。
けれど。
いつもなら、ここで“奇跡”が起きるはずだった。
祈りと同時に、温かな光が満ち、誰かの傷が癒え、歓声が上がる。
だが、この日は違った。
いくら祈っても、何も起きない。
礼拝堂に、沈黙が落ちる。
「……聖女様?」
恐る恐る上がる声。
リーネの額に、冷たい汗が滲んだ。
「も、もう一度……」
彼女は、さらに強く目を閉じ、祈りの言葉を重ねる。
だが、結果は同じだった。
ざわめきが、ゆっくりと広がっていく。
「今日は……体調が優れないのかもしれません」
司祭が慌てて場を取り繕う。
「聖女様も人の子。常に奇跡が起こるとは限らぬのです」
人々は渋々頷いたものの、完全に納得した様子ではなかった。
――おかしい。
リーネ自身も、内心で強く動揺していた。
これまで、彼女が“聖女”として認められてきた理由は、いくつかの小さな奇跡だった。
偶然と幸運が重なったもの。
そして、その裏には――常に、エルミナの存在があった。
祈りの儀式の調整。
人々の期待値の管理。
奇跡が起きやすい場と状況の選定。
それらすべてを、誰が担っていたのか。
リーネは、そこまで深く考えたことがなかった。
礼拝堂を後にした彼女を待っていたのは、重苦しい沈黙だった。
「……聖女様」
侍女が、遠慮がちに声をかける。
「最近、奇跡の回数が……」
「分かっているわ!」
思わず、きつい声が出た。
侍女は肩をすくめ、口を閉ざす。
その様子に、リーネははっとして言葉を和らげた。
「……ごめんなさい。少し、疲れているだけよ」
本当に疲れているのは、身体ではなく心だった。
王城の廊下を歩きながら、彼女は気づく。
以前とは、周囲の視線が明らかに違う。
敬意よりも、探るような目。
称賛よりも、評価。
――まるで、品定め。
一方、別の場所では、王家の重臣たちが集まっていた。
「……聖女リーネの力について、再検討が必要では?」
誰かが切り出す。
「最近、奇跡の報告が減っている」
「そもそも、認定が拙速すぎたのではないか」
そこへ、別の声が重なる。
「以前は、儀式のたびにエルミナ・ローゼンベルクが関与していた。
彼女が去ってから、状況が変わったのは事実だ」
沈黙。
誰もが、その名前を口にすることを避けていた。
「……偶然だろう」
最後にそう言ったのは、アドリアンだった。
「リーネは本物の聖女だ。
エルミナとは、関係ない」
だが、その声には、以前のような確信がなかった。
夜。
ローゼンベルク公爵家では、穏やかな時間が流れていた。
私は書斎で、新たな事業計画に目を通している。
王家とは無関係な、地方都市との商業協定。
「エルミナ様」
マリアが、静かに報告する。
「本日、王城の礼拝堂で、奇跡が起きなかったとの噂が」
「……そう」
私は、ただそれだけ答えた。
予想通りだ。
偶像は、支えがなければ立っていられない。
「人々は、聖女を求めます」
マリアが続ける。
「ですが、それは“信じたい存在”であって、
実在する力とは、別なのですね」
「ええ」
私はペンを置いた。
「だからこそ、管理が必要だった。
信仰は、扱いを誤れば、簡単に崩れるものよ」
かつて、その管理を担っていたのが私だった。
だが、もう違う。
私は窓の外を見つめる。
遠くに見える王城の灯りが、どこか心許なく揺れていた。
リーネは“聖女”という役割を与えられただけ。
その重みを支える力も覚悟も、まだ持っていない。
――いずれ、限界は来る。
それは彼女自身の問題であり、私が手を出すことではない。
「……聖女とは、便利な言葉ね」
そう呟いた私の声は、静かに夜に溶けていった。
王家が作り上げた偶像が、ひび割れ始めたことを、
この夜、まだ誰もはっきりとは理解していなかった。
王城の礼拝堂には、甘く張りつめた空気が漂っていた。
高い天井から差し込む光が、白い石床を照らし、祈りの言葉が低く反響する。
その中心に立っているのは、純白のローブに身を包んだ少女――リーネだった。
「聖女様……どうか、我らに祝福を……」
跪く人々の視線が、一斉に彼女へと注がれる。
その視線の重さに、リーネは喉の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
期待、信仰、依存。
それらが混ざり合った眼差しは、あまりにも重い。
「……はい」
震えそうになる声を、必死に抑えながら、リーネは両手を胸の前で組んだ。
――大丈夫。
――私は、選ばれた存在。
そう、自分に言い聞かせる。
けれど。
いつもなら、ここで“奇跡”が起きるはずだった。
祈りと同時に、温かな光が満ち、誰かの傷が癒え、歓声が上がる。
だが、この日は違った。
いくら祈っても、何も起きない。
礼拝堂に、沈黙が落ちる。
「……聖女様?」
恐る恐る上がる声。
リーネの額に、冷たい汗が滲んだ。
「も、もう一度……」
彼女は、さらに強く目を閉じ、祈りの言葉を重ねる。
だが、結果は同じだった。
ざわめきが、ゆっくりと広がっていく。
「今日は……体調が優れないのかもしれません」
司祭が慌てて場を取り繕う。
「聖女様も人の子。常に奇跡が起こるとは限らぬのです」
人々は渋々頷いたものの、完全に納得した様子ではなかった。
――おかしい。
リーネ自身も、内心で強く動揺していた。
これまで、彼女が“聖女”として認められてきた理由は、いくつかの小さな奇跡だった。
偶然と幸運が重なったもの。
そして、その裏には――常に、エルミナの存在があった。
祈りの儀式の調整。
人々の期待値の管理。
奇跡が起きやすい場と状況の選定。
それらすべてを、誰が担っていたのか。
リーネは、そこまで深く考えたことがなかった。
礼拝堂を後にした彼女を待っていたのは、重苦しい沈黙だった。
「……聖女様」
侍女が、遠慮がちに声をかける。
「最近、奇跡の回数が……」
「分かっているわ!」
思わず、きつい声が出た。
侍女は肩をすくめ、口を閉ざす。
その様子に、リーネははっとして言葉を和らげた。
「……ごめんなさい。少し、疲れているだけよ」
本当に疲れているのは、身体ではなく心だった。
王城の廊下を歩きながら、彼女は気づく。
以前とは、周囲の視線が明らかに違う。
敬意よりも、探るような目。
称賛よりも、評価。
――まるで、品定め。
一方、別の場所では、王家の重臣たちが集まっていた。
「……聖女リーネの力について、再検討が必要では?」
誰かが切り出す。
「最近、奇跡の報告が減っている」
「そもそも、認定が拙速すぎたのではないか」
そこへ、別の声が重なる。
「以前は、儀式のたびにエルミナ・ローゼンベルクが関与していた。
彼女が去ってから、状況が変わったのは事実だ」
沈黙。
誰もが、その名前を口にすることを避けていた。
「……偶然だろう」
最後にそう言ったのは、アドリアンだった。
「リーネは本物の聖女だ。
エルミナとは、関係ない」
だが、その声には、以前のような確信がなかった。
夜。
ローゼンベルク公爵家では、穏やかな時間が流れていた。
私は書斎で、新たな事業計画に目を通している。
王家とは無関係な、地方都市との商業協定。
「エルミナ様」
マリアが、静かに報告する。
「本日、王城の礼拝堂で、奇跡が起きなかったとの噂が」
「……そう」
私は、ただそれだけ答えた。
予想通りだ。
偶像は、支えがなければ立っていられない。
「人々は、聖女を求めます」
マリアが続ける。
「ですが、それは“信じたい存在”であって、
実在する力とは、別なのですね」
「ええ」
私はペンを置いた。
「だからこそ、管理が必要だった。
信仰は、扱いを誤れば、簡単に崩れるものよ」
かつて、その管理を担っていたのが私だった。
だが、もう違う。
私は窓の外を見つめる。
遠くに見える王城の灯りが、どこか心許なく揺れていた。
リーネは“聖女”という役割を与えられただけ。
その重みを支える力も覚悟も、まだ持っていない。
――いずれ、限界は来る。
それは彼女自身の問題であり、私が手を出すことではない。
「……聖女とは、便利な言葉ね」
そう呟いた私の声は、静かに夜に溶けていった。
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この夜、まだ誰もはっきりとは理解していなかった。
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