婚約破棄された令嬢ですが、国が自走し始めたので私はもう口出ししません

ふわふわ

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第五話 去る者の背中

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第五話 去る者の背中

 王都に朝靄がかかる頃、ローゼンベルク公爵家の正門前には、一台の馬車が静かに待っていた。

 黒塗りの車体に刻まれた家紋は控えめで、主張しすぎない。
 だがそれは、長年王家の裏側を支えてきた家の矜持を、静かに示していた。

「……すべて、整いました」

 マリアがそう告げる声は、いつもより少しだけ硬い。

「ありがとう」

 私は頷き、最後に屋敷を見渡した。
 ここは生まれ育った場所であり、同時に“王太子妃候補”としての私を形作った場所でもある。

 だが、今日からは違う。

「エルミナ様」

 門の外に、見慣れた顔があった。
 王宮から派遣された使者――いや、正確には“使者になってしまった”人物。

 以前は、対等に意見を交わす相手だった。

「……お見送りに来てくださったの?」

「いえ、その……」

 彼は言葉に詰まり、視線を泳がせる。

「殿下が……一度、話がしたいと」

 その言葉に、私はほんの一瞬だけ目を伏せた。

「今さら、何を?」

「それは……」

 彼は続けられなかった。

 代わりに私が告げる。

「申し訳ありませんが、お断りします」

 はっきりと、迷いなく。

「私と殿下の間に、話すべきことは残っておりません」

「ですが……!」

「王家の問題は、王家で解決なさってください」

 その声は、冷たくも、突き放すようでもなかった。
 ただ、線を引いただけ。

 使者は、深く頭を下げるしかなかった。

「……失礼いたしました」

 彼が去った後、マリアが小さく息を吐いた。

「よろしかったのですか?」

「ええ」

 私は馬車へと足を向ける。

「ここで情を挟めば、すべてが曖昧になる」

 それだけは、許されない。

 馬車がゆっくりと動き出す。

 王都の街並みが、窓の外を流れていく。
 石畳、商人の声、朝の匂い。

 ――この街を、私はよく知っている。
 どこに金が流れ、どこで嘘が囁かれ、どこで信頼が崩れるのか。

 それらすべてを把握した上で、私は去る。

 一方、王城では。

「……エルミナが、王都を離れた?」

 アドリアン・ルクレールは、報告を受けて立ち上がった。

「はい。先ほど、正式に」

「なぜ、止めなかった!」

 怒鳴る声に、誰も答えない。

 止める権限も、理由も、もう存在しないからだ。

「……話せば、分かるはずだ」

 彼は、そう呟くように言った。

 だが、その言葉は、あまりにも遅い。

 エルミナは、話し合いを拒否したのではない。
 話し合う必要のない場所へ、進んだだけ。

「殿下……」

 側近が慎重に言葉を選ぶ。

「ローゼンベルク家が完全に手を引いたことで、
 来月以降の予算案が……」

「今は、それどころではない!」

 机を叩く音が響く。

 だが、現実は待ってくれない。

 同じ頃、リーネは王城の一室で、不安に爪を噛んでいた。

「……エルミナ様が、王都を出たって……?」

 侍女が頷く。

「はい。今朝、馬車が」

 胸の奥が、ひやりと冷える。

 あの女がいなくなったのなら、
 なぜ――この不安は消えないのか。

「……大丈夫よ」

 自分に言い聞かせるように呟く。

「私は、選ばれたのだから」

 だが、その言葉は、どこか空虚だった。

 馬車は、王都の門を抜ける。

 高い城壁が、ゆっくりと遠ざかっていく。

「……終わりましたね」

 マリアが、そっと言った。

「ええ」

 私は頷く。

「これで、完全に区切りがついた」

 王太子の婚約者でも、王家の調整役でもない。
 ただの――ローゼンベルク公爵令嬢、エルミナ。

 だが、それは“失った”という意味ではない。

 むしろ、取り戻したのだ。

 自由を。
 選択権を。
 そして、自分の人生を。

 遠くで、鐘の音が鳴った。
 王都の始業を告げる音。

 私は窓を閉め、静かに微笑む。

「……さあ、次は」

 これから先、王家がどうなるのか。
 聖女という偶像が、どこまで持ちこたえるのか。

 それらを、私は外から見る立場になった。

 去る者の背中は、決して振り返らない。
 だが、その背中が消えた後に残る“空白”は、
 思っている以上に、大きいものだ。

 ――それを、彼らはまだ知らない。
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