5 / 40
第五話 去る者の背中
しおりを挟む
第五話 去る者の背中
王都に朝靄がかかる頃、ローゼンベルク公爵家の正門前には、一台の馬車が静かに待っていた。
黒塗りの車体に刻まれた家紋は控えめで、主張しすぎない。
だがそれは、長年王家の裏側を支えてきた家の矜持を、静かに示していた。
「……すべて、整いました」
マリアがそう告げる声は、いつもより少しだけ硬い。
「ありがとう」
私は頷き、最後に屋敷を見渡した。
ここは生まれ育った場所であり、同時に“王太子妃候補”としての私を形作った場所でもある。
だが、今日からは違う。
「エルミナ様」
門の外に、見慣れた顔があった。
王宮から派遣された使者――いや、正確には“使者になってしまった”人物。
以前は、対等に意見を交わす相手だった。
「……お見送りに来てくださったの?」
「いえ、その……」
彼は言葉に詰まり、視線を泳がせる。
「殿下が……一度、話がしたいと」
その言葉に、私はほんの一瞬だけ目を伏せた。
「今さら、何を?」
「それは……」
彼は続けられなかった。
代わりに私が告げる。
「申し訳ありませんが、お断りします」
はっきりと、迷いなく。
「私と殿下の間に、話すべきことは残っておりません」
「ですが……!」
「王家の問題は、王家で解決なさってください」
その声は、冷たくも、突き放すようでもなかった。
ただ、線を引いただけ。
使者は、深く頭を下げるしかなかった。
「……失礼いたしました」
彼が去った後、マリアが小さく息を吐いた。
「よろしかったのですか?」
「ええ」
私は馬車へと足を向ける。
「ここで情を挟めば、すべてが曖昧になる」
それだけは、許されない。
馬車がゆっくりと動き出す。
王都の街並みが、窓の外を流れていく。
石畳、商人の声、朝の匂い。
――この街を、私はよく知っている。
どこに金が流れ、どこで嘘が囁かれ、どこで信頼が崩れるのか。
それらすべてを把握した上で、私は去る。
一方、王城では。
「……エルミナが、王都を離れた?」
アドリアン・ルクレールは、報告を受けて立ち上がった。
「はい。先ほど、正式に」
「なぜ、止めなかった!」
怒鳴る声に、誰も答えない。
止める権限も、理由も、もう存在しないからだ。
「……話せば、分かるはずだ」
彼は、そう呟くように言った。
だが、その言葉は、あまりにも遅い。
エルミナは、話し合いを拒否したのではない。
話し合う必要のない場所へ、進んだだけ。
「殿下……」
側近が慎重に言葉を選ぶ。
「ローゼンベルク家が完全に手を引いたことで、
来月以降の予算案が……」
「今は、それどころではない!」
机を叩く音が響く。
だが、現実は待ってくれない。
同じ頃、リーネは王城の一室で、不安に爪を噛んでいた。
「……エルミナ様が、王都を出たって……?」
侍女が頷く。
「はい。今朝、馬車が」
胸の奥が、ひやりと冷える。
あの女がいなくなったのなら、
なぜ――この不安は消えないのか。
「……大丈夫よ」
自分に言い聞かせるように呟く。
「私は、選ばれたのだから」
だが、その言葉は、どこか空虚だった。
馬車は、王都の門を抜ける。
高い城壁が、ゆっくりと遠ざかっていく。
「……終わりましたね」
マリアが、そっと言った。
「ええ」
私は頷く。
「これで、完全に区切りがついた」
王太子の婚約者でも、王家の調整役でもない。
ただの――ローゼンベルク公爵令嬢、エルミナ。
だが、それは“失った”という意味ではない。
むしろ、取り戻したのだ。
自由を。
選択権を。
そして、自分の人生を。
遠くで、鐘の音が鳴った。
王都の始業を告げる音。
私は窓を閉め、静かに微笑む。
「……さあ、次は」
これから先、王家がどうなるのか。
聖女という偶像が、どこまで持ちこたえるのか。
それらを、私は外から見る立場になった。
去る者の背中は、決して振り返らない。
だが、その背中が消えた後に残る“空白”は、
思っている以上に、大きいものだ。
――それを、彼らはまだ知らない。
王都に朝靄がかかる頃、ローゼンベルク公爵家の正門前には、一台の馬車が静かに待っていた。
黒塗りの車体に刻まれた家紋は控えめで、主張しすぎない。
だがそれは、長年王家の裏側を支えてきた家の矜持を、静かに示していた。
「……すべて、整いました」
マリアがそう告げる声は、いつもより少しだけ硬い。
「ありがとう」
私は頷き、最後に屋敷を見渡した。
ここは生まれ育った場所であり、同時に“王太子妃候補”としての私を形作った場所でもある。
だが、今日からは違う。
「エルミナ様」
門の外に、見慣れた顔があった。
王宮から派遣された使者――いや、正確には“使者になってしまった”人物。
以前は、対等に意見を交わす相手だった。
「……お見送りに来てくださったの?」
「いえ、その……」
彼は言葉に詰まり、視線を泳がせる。
「殿下が……一度、話がしたいと」
その言葉に、私はほんの一瞬だけ目を伏せた。
「今さら、何を?」
「それは……」
彼は続けられなかった。
代わりに私が告げる。
「申し訳ありませんが、お断りします」
はっきりと、迷いなく。
「私と殿下の間に、話すべきことは残っておりません」
「ですが……!」
「王家の問題は、王家で解決なさってください」
その声は、冷たくも、突き放すようでもなかった。
ただ、線を引いただけ。
使者は、深く頭を下げるしかなかった。
「……失礼いたしました」
彼が去った後、マリアが小さく息を吐いた。
「よろしかったのですか?」
「ええ」
私は馬車へと足を向ける。
「ここで情を挟めば、すべてが曖昧になる」
それだけは、許されない。
馬車がゆっくりと動き出す。
王都の街並みが、窓の外を流れていく。
石畳、商人の声、朝の匂い。
――この街を、私はよく知っている。
どこに金が流れ、どこで嘘が囁かれ、どこで信頼が崩れるのか。
それらすべてを把握した上で、私は去る。
一方、王城では。
「……エルミナが、王都を離れた?」
アドリアン・ルクレールは、報告を受けて立ち上がった。
「はい。先ほど、正式に」
「なぜ、止めなかった!」
怒鳴る声に、誰も答えない。
止める権限も、理由も、もう存在しないからだ。
「……話せば、分かるはずだ」
彼は、そう呟くように言った。
だが、その言葉は、あまりにも遅い。
エルミナは、話し合いを拒否したのではない。
話し合う必要のない場所へ、進んだだけ。
「殿下……」
側近が慎重に言葉を選ぶ。
「ローゼンベルク家が完全に手を引いたことで、
来月以降の予算案が……」
「今は、それどころではない!」
机を叩く音が響く。
だが、現実は待ってくれない。
同じ頃、リーネは王城の一室で、不安に爪を噛んでいた。
「……エルミナ様が、王都を出たって……?」
侍女が頷く。
「はい。今朝、馬車が」
胸の奥が、ひやりと冷える。
あの女がいなくなったのなら、
なぜ――この不安は消えないのか。
「……大丈夫よ」
自分に言い聞かせるように呟く。
「私は、選ばれたのだから」
だが、その言葉は、どこか空虚だった。
馬車は、王都の門を抜ける。
高い城壁が、ゆっくりと遠ざかっていく。
「……終わりましたね」
マリアが、そっと言った。
「ええ」
私は頷く。
「これで、完全に区切りがついた」
王太子の婚約者でも、王家の調整役でもない。
ただの――ローゼンベルク公爵令嬢、エルミナ。
だが、それは“失った”という意味ではない。
むしろ、取り戻したのだ。
自由を。
選択権を。
そして、自分の人生を。
遠くで、鐘の音が鳴った。
王都の始業を告げる音。
私は窓を閉め、静かに微笑む。
「……さあ、次は」
これから先、王家がどうなるのか。
聖女という偶像が、どこまで持ちこたえるのか。
それらを、私は外から見る立場になった。
去る者の背中は、決して振り返らない。
だが、その背中が消えた後に残る“空白”は、
思っている以上に、大きいものだ。
――それを、彼らはまだ知らない。
0
あなたにおすすめの小説
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
【完結】婚約破棄されたユニコーンの乙女は、神殿に向かいます。
秋月一花
恋愛
「イザベラ。君との婚約破棄を、ここに宣言する!」
「かしこまりました。わたくしは神殿へ向かいます」
「……え?」
あっさりと婚約破棄を認めたわたくしに、ディラン殿下は目を瞬かせた。
「ほ、本当に良いのか? 王妃になりたくないのか?」
「……何か誤解なさっているようですが……。ディラン殿下が王太子なのは、わたくしがユニコーンの乙女だからですわ」
そう言い残して、その場から去った。呆然とした表情を浮かべていたディラン殿下を見て、本当に気付いてなかったのかと呆れたけれど――……。おめでとうございます、ディラン殿下。あなたは明日から王太子ではありません。
『魔力ゼロの欠陥品』と蔑まれた伯爵令嬢、卒業パーティーで婚約破棄された瞬間に古代魔法が覚醒する ~虐げられ続けた三年間、倍返しでは足りない~
スカッと文庫
恋愛
「貴様のような無能、我が国の王妃には相応しくない。婚約を破棄し、学園から追放する!」
王立魔道学園の卒業パーティー。きらびやかなシャンデリアの下、王太子エドワードの声が冷酷に響いた。彼の隣には、愛くるしい表情で私を嵌めた男爵令嬢、ミナが勝ち誇ったように寄り添っている。
伯爵令嬢のリリアーヌは、入学以来三年間、「魔力ゼロの欠陥品」として学園中の嘲笑を浴び続けてきた。
婚約者であるエドワードからは一度も顧みられず、同級生からはゴミのように扱われ、ミナの自作自演による「いじめ」の濡れ衣まで着せられ……。
それでも、父との「力を隠せ」という約束を守るため、泥を啜るような屈辱に耐え抜いてきた。
――だが、国からも学園からも捨てられた今、もうその約束を守る必要はない。
「さようなら、皆様。……私が消えた後、この国がどうなろうと知ったことではありませんわ」
リリアーヌが身につけていた「魔力封印の首飾り」を自ら引き千切った瞬間、会場は漆黒の魔力に包まれた。
彼女は無能などではない。失われた「古代魔法」をその身に宿す、真の魔道の主だったのだ。
絶望する王太子たちを余目に、隣国の伝説の魔術師アルベルトに拾われたリリアーヌ。
彼女の、残酷で、甘美な復讐劇が今、幕を開ける――。
とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜
入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済!】
社交界を賑わせた婚約披露の茶会。
令嬢セリーヌ・リュミエールは、婚約者から突きつけられる。
「真実の愛を見つけたんだ」
それは、信じた誠実も、築いてきた未来も踏みにじる裏切りだった。だが、彼女は微笑んだ。
愛よりも冷たく、そして美しく。
笑顔で地獄へお送りいたします――
愚か者たちの婚約破棄
あんど もあ
ファンタジー
ライラは、父と後妻と妹だけが家族のような侯爵家で居候のように生きてきた。そして、卒業パーティーでライラの婚約者までライラでは無く妹と婚約すると宣言する。侯爵家の本当の姿に気づいているのがライラだけだと知らずに……。
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
婚約破棄されて追放された私、今は隣国で充実な生活送っていますわよ? それがなにか?
鶯埜 餡
恋愛
バドス王国の侯爵令嬢アメリアは無実の罪で王太子との婚約破棄、そして国外追放された。
今ですか?
めちゃくちゃ充実してますけど、なにか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる