婚約破棄された令嬢ですが、国が自走し始めたので私はもう口出ししません

ふわふわ

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第六話 止まらない歯車

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第六話 止まらない歯車

 王都を離れて三日目。
 ローゼンベルク公爵家の別邸に到着した私は、久しぶりに静かな朝を迎えていた。

 窓を開けると、澄んだ空気が肺の奥まで入り込む。
 王城の喧騒も、終わりのない会議も、誰かの機嫌を損ねないための配慮も、ここにはない。

「……やっと、息ができますわね」

 そう呟くと、背後でマリアが微笑んだ。

「はい。こちらは王都よりも随分と穏やかです」

 机の上には、王家とは無関係な書類が整然と並んでいる。
 地方商会との取引契約、物流路の再編案、領地税制の見直し。

 どれも、未来に繋がる仕事だ。

「エルミナ様」

 マリアが一通の書簡を差し出す。

「王都から……いえ、正確には王城からの情報です」

「……もう?」

 私は封を切らずに、苦笑した。

「思ったより早いですね」

 それは正式な文書ではなかった。
 あくまで“内々の情報”――だが、内容は予想通りだ。

 王家の財務が滞り始めている。
 支払いが遅れ、商会が不安を募らせ、地方領主からの抗議が相次いでいる。

 歯車が、音を立てて軋み始めたのだ。

「止まるのは、早いでしょうね」

 私がそう言うと、マリアは静かに頷いた。

「エルミナ様がいらっしゃった頃は、問題が表に出る前に調整されていましたから」

「ええ。無理に回していただけ」

 私は椅子に腰掛け、視線を落とす。

「壊れかけの歯車に油を差し続けていたら、
 いつか“油がないと回らない”状態になる」

 それが、今の王家だった。

 一方その頃、王城の執務室は、張り詰めた空気に包まれていた。

「……なぜ、商会が支払いを拒否する?」

 アドリアン・ルクレールの声には、明らかな焦りが滲んでいる。

「拒否ではありません、殿下」

 財務官が苦々しい顔で答えた。

「前金なしでは動けない、と。
 これまでの信用が……」

「信用?」

 アドリアンは机を睨みつける。

「王家だぞ。王家の名が、信用ではないのか!」

 その言葉に、誰も即答できなかった。

 信用とは、名ではなく、積み重ねだ。
 だが、それを理解する者は、もう彼の周囲に少ない。

「……エルミナが、何か言っているのか?」

 ふと、彼が呟く。

「いえ。ローゼンベルク家からの接触は、一切ありません」

 側近の答えに、アドリアンは歯を食いしばった。

「……無視か」

 それは違う。
 彼女は無視しているのではない。

 すでに“関係が終わっている”だけだ。

 同じ頃、王城の礼拝堂では、別の問題が進行していた。

「……また、何も起きませんでした」

 司祭が、重々しく告げる。

「祈りは捧げました。ですが……」

 リーネは、唇を強く噛みしめた。

「……今日は、信仰が足りなかったのかもしれません」

 そう言う声は、以前よりもか細い。

 集まった人々の中に、露骨な失望が混じり始めているのを、彼女は感じていた。

「聖女様……」

 誰かが、遠慮がちに言う。

「奇跡がないのであれば、
 この祈りに、意味はあるのでしょうか?」

 その問いは、刃のように鋭かった。

 リーネは、答えられない。

 聖女とは、信じさせる存在だ。
 だが、信じさせるための“仕組み”がなければ、ただの少女に過ぎない。

 夜。

 私は別邸の書斎で、静かに紅茶を飲んでいた。

 窓の外では、風に揺れる木々の音が、穏やかに響く。

「……止まり始めましたね」

 誰に言うでもなく、呟く。

 王家の歯車は、もう私が手を伸ばせば回せる位置にない。
 そして、私は伸ばさない。

 これは意地ではない。
 責任放棄でもない。

 ただ、当然の帰結だ。

「エルミナ様」

 マリアが控えめに言う。

「後悔は……なさっていませんか?」

 私は一瞬、考えた。

「いいえ」

 はっきりと答える。

「後悔する理由が、ありません」

 もし私が戻れば、歯車は再び回るだろう。
 だが、それは同じ歪みを抱えたままの延命に過ぎない。

「止まるべきものは、一度止まらなければならないの」

 その言葉は、誰かへの罰ではなく、世界の理だった。

 遠く離れた王都では、今日もまた小さな混乱が生まれているだろう。
 書類が滞り、判断が遅れ、不満が積もる。

 それらはやがて、無視できない音になる。

 ――歯車が止まる音だ。

 私はカップを置き、静かに目を閉じた。

 これでいい。
 いいえ、これがいい。

 私がいなくなっても回る国でなければ、
 それは最初から、脆すぎたのだから。

 止まり始めた歯車は、もう後戻りしない。
 そして、その先に待つものを、私はただ、静かに見届けるだけだった。
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