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第七話 取り戻せない席
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第七話 取り戻せない席
王城の執務室に、重苦しい沈黙が落ちていた。
長い会議机を囲む重臣たちは、誰一人として口を開こうとしない。
机の上には、未処理の書類が山のように積み上げられ、赤い封印や修正指示が乱雑に散らばっている。
「……誰か、説明しろ」
沈黙を破ったのは、アドリアン・ルクレールだった。
声は低く、押し殺した怒りが滲んでいる。
「なぜ、これほどまでに判断が遅れている。
以前は、こんなことはなかったはずだ」
重臣たちは顔を見合わせ、やがて一人が意を決したように口を開いた。
「殿下……以前は、エルミナ様が――」
「またその名前か!」
アドリアンが机を叩いた。
「彼女はもういない。
それでも国は動かねばならないだろう!」
正論だ。
だが、その正論を成立させる準備が、王家にはなかった。
「殿下」
財務官が慎重に言葉を選ぶ。
「エルミナ様は、判断そのものをしていたのではありません。
判断が“できる状態”を、事前に整えていたのです」
「どういう意味だ」
「資料の整理、各所との根回し、利害調整……
決断の前段階を、すでに終わらせていた」
だから、王太子が最後に目を通す頃には、
“選択肢は一つ”になっていた。
アドリアンは、何も言い返せなかった。
――知らなかった。
それが、彼の最大の罪だった。
「……ならば、呼び戻せばいい」
ぽつりと、彼が言う。
「エルミナを。
話し合えば、分かってくれるはずだ」
その言葉に、重臣たちの間に微妙な空気が流れた。
「殿下」
最年長の宰相が、静かに告げる。
「それは……難しいでしょう」
「なぜだ」
「彼女は、去ったのではありません。
“終えた”のです」
去る者は、戻る余地を残す。
だが、終えた者は違う。
「……それでも」
アドリアンは、拳を握りしめた。
「彼女がいなければ、国が回らないというのなら……
それは、彼女の責任でもあるだろう」
その言葉は、思考の逃げ道だった。
責任を、まだ彼女に預けようとしている。
一方、別邸では。
私は朝の光が差し込む書斎で、静かに帳簿を確認していた。
王家から離れてから、日々は驚くほど穏やかだ。
「エルミナ様」
マリアが、一通の書簡を差し出す。
「王都より。
……非公式ですが、殿下が“お話し合い”を望んでいるとのことです」
「そう」
私は、封も切らずに机に置いた。
「返答は?」
「お断りすると……?」
「ええ」
迷いはなかった。
「私は、もうあの席に座る人間ではありません」
王太子の隣。
王家の調整役。
誰もが当然のように思っていた、あの席。
だが、それは私の居場所ではなかった。
「殿下は、まだ理解していないのね」
私がそう言うと、マリアは小さく頷いた。
「“席”が重要なのではなく、
そこに座っていた“人”が重要だったということを」
王城では、別の動きもあった。
リーネは、自室で一人、鏡を見つめていた。
「……どうして」
自分に問いかける。
あれほど夢見ていたはずの、王太子の隣。
なのに、そこに座っているはずの自分が、なぜか落ち着かない。
以前は、エルミナがそこにいた。
自分は、その少し後ろで、守られる立場だった。
今は違う。
守る者がいない。
期待と責任が、すべて自分に向けられている。
「……私が、選ばれたのよね」
鏡の中の自分に、そう言い聞かせる。
だが、その言葉は、以前ほど力を持たなかった。
夜。
私は、別邸の庭を歩いていた。
月明かりが、静かに石畳を照らす。
王城にいた頃、この時間はいつも忙しかった。
書類の最終確認、翌日の調整、急な呼び出し。
今は、何もない。
それが、こんなにも心地よいとは思わなかった。
「……取り戻せないのは、席ではないわ」
私は、静かに呟く。
「取り戻せないのは、“当然だと思っていた時間”」
王家は、私がそこにいることを当然だと思っていた。
だから、失った時の痛みを、想像すらしなかった。
今、彼らは焦っている。
だがそれは、私を失った悲しみではない。
――便利な歯車を失った焦りだ。
私は歩みを止め、夜空を見上げた。
星は、変わらずそこにある。
私の人生も、同じだ。
誰かの都合で、消えるものではない。
取り戻せない席を、無理に取り戻す必要はない。
新しい席は、自分で選べばいい。
そう思った瞬間、胸の奥で、静かな確信が芽生えた。
――私は、もう振り返らない。
王家がどれほど呼び戻そうと、
その席は、すでに空席ではないのだから。
王城の執務室に、重苦しい沈黙が落ちていた。
長い会議机を囲む重臣たちは、誰一人として口を開こうとしない。
机の上には、未処理の書類が山のように積み上げられ、赤い封印や修正指示が乱雑に散らばっている。
「……誰か、説明しろ」
沈黙を破ったのは、アドリアン・ルクレールだった。
声は低く、押し殺した怒りが滲んでいる。
「なぜ、これほどまでに判断が遅れている。
以前は、こんなことはなかったはずだ」
重臣たちは顔を見合わせ、やがて一人が意を決したように口を開いた。
「殿下……以前は、エルミナ様が――」
「またその名前か!」
アドリアンが机を叩いた。
「彼女はもういない。
それでも国は動かねばならないだろう!」
正論だ。
だが、その正論を成立させる準備が、王家にはなかった。
「殿下」
財務官が慎重に言葉を選ぶ。
「エルミナ様は、判断そのものをしていたのではありません。
判断が“できる状態”を、事前に整えていたのです」
「どういう意味だ」
「資料の整理、各所との根回し、利害調整……
決断の前段階を、すでに終わらせていた」
だから、王太子が最後に目を通す頃には、
“選択肢は一つ”になっていた。
アドリアンは、何も言い返せなかった。
――知らなかった。
それが、彼の最大の罪だった。
「……ならば、呼び戻せばいい」
ぽつりと、彼が言う。
「エルミナを。
話し合えば、分かってくれるはずだ」
その言葉に、重臣たちの間に微妙な空気が流れた。
「殿下」
最年長の宰相が、静かに告げる。
「それは……難しいでしょう」
「なぜだ」
「彼女は、去ったのではありません。
“終えた”のです」
去る者は、戻る余地を残す。
だが、終えた者は違う。
「……それでも」
アドリアンは、拳を握りしめた。
「彼女がいなければ、国が回らないというのなら……
それは、彼女の責任でもあるだろう」
その言葉は、思考の逃げ道だった。
責任を、まだ彼女に預けようとしている。
一方、別邸では。
私は朝の光が差し込む書斎で、静かに帳簿を確認していた。
王家から離れてから、日々は驚くほど穏やかだ。
「エルミナ様」
マリアが、一通の書簡を差し出す。
「王都より。
……非公式ですが、殿下が“お話し合い”を望んでいるとのことです」
「そう」
私は、封も切らずに机に置いた。
「返答は?」
「お断りすると……?」
「ええ」
迷いはなかった。
「私は、もうあの席に座る人間ではありません」
王太子の隣。
王家の調整役。
誰もが当然のように思っていた、あの席。
だが、それは私の居場所ではなかった。
「殿下は、まだ理解していないのね」
私がそう言うと、マリアは小さく頷いた。
「“席”が重要なのではなく、
そこに座っていた“人”が重要だったということを」
王城では、別の動きもあった。
リーネは、自室で一人、鏡を見つめていた。
「……どうして」
自分に問いかける。
あれほど夢見ていたはずの、王太子の隣。
なのに、そこに座っているはずの自分が、なぜか落ち着かない。
以前は、エルミナがそこにいた。
自分は、その少し後ろで、守られる立場だった。
今は違う。
守る者がいない。
期待と責任が、すべて自分に向けられている。
「……私が、選ばれたのよね」
鏡の中の自分に、そう言い聞かせる。
だが、その言葉は、以前ほど力を持たなかった。
夜。
私は、別邸の庭を歩いていた。
月明かりが、静かに石畳を照らす。
王城にいた頃、この時間はいつも忙しかった。
書類の最終確認、翌日の調整、急な呼び出し。
今は、何もない。
それが、こんなにも心地よいとは思わなかった。
「……取り戻せないのは、席ではないわ」
私は、静かに呟く。
「取り戻せないのは、“当然だと思っていた時間”」
王家は、私がそこにいることを当然だと思っていた。
だから、失った時の痛みを、想像すらしなかった。
今、彼らは焦っている。
だがそれは、私を失った悲しみではない。
――便利な歯車を失った焦りだ。
私は歩みを止め、夜空を見上げた。
星は、変わらずそこにある。
私の人生も、同じだ。
誰かの都合で、消えるものではない。
取り戻せない席を、無理に取り戻す必要はない。
新しい席は、自分で選べばいい。
そう思った瞬間、胸の奥で、静かな確信が芽生えた。
――私は、もう振り返らない。
王家がどれほど呼び戻そうと、
その席は、すでに空席ではないのだから。
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