36 / 40
第三十六話 耐える仕組み
しおりを挟む
第三十六話 耐える仕組み
責任の余白が制度として認められたことで、王国の空気は一度、緩んだ。
判断が動き、現場が試し、失敗が記録され、修正が回る――その循環は、確かに機能し始めていた。
だが、循環が続くかどうかは、平時では測れない。
本当に問われるのは、耐える局面だ。
その兆しは、静かに現れた。
「……北東部の穀倉地帯で、病害が確認されました」
朝の報告は、淡々とした口調だった。
だが、内容は重い。
「広がりは?」
「今のところ、限定的です。
ただし、対応を誤れば、
今季の収穫に影響が出ます」
執務室で報告を受けたアドリアンは、すぐに判断を下さなかった。
それが、これまでとの違いだ。
「……まず、現地の判断は?」
「初期封じ込めを実施。
試行判断制度に基づき、
流通制限を一部で行っています」
「記録は?」
「残っています」
アドリアンは、ゆっくりと頷いた。
「よし。
続けよう」
その言葉は、介入ではない。
信頼の確認だった。
だが、問題はすぐに別の形で浮上する。
「……流通制限に対し、
商人から抗議が出始めています」
「理由は?」
「“過剰対応だ”と」
過剰かどうかは、結果が出るまで分からない。
それが、試行判断の宿命だ。
アドリアンは、宰相に視線を向けた。
「三者会議を」
「はい」
だが今回は、緊急性を鑑み、
短縮形式での開催となった。
会議室に集まった面々の表情は、硬い。
「……病害の範囲は、
現時点では限定的です」
貴族側代表が、資料を示す。
「だからこそ、
今抑えるべきです」
教会代表が、即座に応じる。
「信徒の生活を守るためにも」
「商人の反発は?」
宰相が、現実的な問いを投げる。
「出ます」
即答だった。
「ですが」
若い地方官が、言葉を続ける。
「出ることを理由に、
何もしなければ、
結果はもっと悪くなる」
沈黙。
誰も、その言葉を否定できない。
「……王家としての判断は?」
宰相が、アドリアンに視線を向ける。
「現地判断を支持する」
迷いはなかった。
「ただし」
彼は、続ける。
「検証の期限を明確にする。
一週間。
状況が改善しなければ、
段階を切り替える」
耐える判断。
そして、
耐え続けない判断。
それは、
余白を持つ制度だからこそ、
可能な切り替えだった。
一方、私は隣国の政庁で、
この一連の報告を読み、
しばらく沈黙していた。
「……来ましたね」
マリアが、低く言う。
「ええ」
私は、頷く。
「耐久試験」
制度は、
走り始めた直後よりも、
揺さぶられた時に、
本性を現す。
「……今回は、
直接の助言は?」
「しない」
私は、即答した。
「彼らは、
もう“耐える仕組み”を持っている」
修道院では。
リーネが、北東部から届いた相談文を前にしていた。
「……不安が、
広がっています」
報告書には、
流通制限への戸惑いと、
収穫への恐怖が綴られている。
リーネは、深く息を吸い、
返書を書いた。
『不安は、
正しい反応です
今は、
“止める理由”と
“続ける理由”の両方が、
記録されています
それが、
あなた方を守るための材料になります』
奇跡は、書かれていない。
だが、
判断の過程は、丁寧に示されている。
数日後。
病害の拡大は、抑えられた。
流通制限は、段階的に解除され、
商人への説明も、記録に基づいて行われた。
「……最悪は、避けられました」
報告官の声には、
安堵が混じっている。
「最善ではない」
アドリアンは、冷静に言った。
「だが、
耐え切った」
その評価は、
成果よりも、
過程に向けられていた。
夜。
王城の執務室で、
アドリアンは一人、
記録の束を見つめていた。
「……折れなかったな」
制度が。
人が。
そして、
自分自身も。
一方、私は書斎で、
静かに灯りを落とす。
「……耐える仕組みは、
派手じゃない」
だが、
続く。
第三十六話は、
英雄の話ではない。
だが、
この国が“揺れても壊れなかった”
という、何より重要な事実を描いた話だ。
――改革とは、
前に進む力ではなく、
揺れに耐える力を、
静かに蓄えることなのだから。
責任の余白が制度として認められたことで、王国の空気は一度、緩んだ。
判断が動き、現場が試し、失敗が記録され、修正が回る――その循環は、確かに機能し始めていた。
だが、循環が続くかどうかは、平時では測れない。
本当に問われるのは、耐える局面だ。
その兆しは、静かに現れた。
「……北東部の穀倉地帯で、病害が確認されました」
朝の報告は、淡々とした口調だった。
だが、内容は重い。
「広がりは?」
「今のところ、限定的です。
ただし、対応を誤れば、
今季の収穫に影響が出ます」
執務室で報告を受けたアドリアンは、すぐに判断を下さなかった。
それが、これまでとの違いだ。
「……まず、現地の判断は?」
「初期封じ込めを実施。
試行判断制度に基づき、
流通制限を一部で行っています」
「記録は?」
「残っています」
アドリアンは、ゆっくりと頷いた。
「よし。
続けよう」
その言葉は、介入ではない。
信頼の確認だった。
だが、問題はすぐに別の形で浮上する。
「……流通制限に対し、
商人から抗議が出始めています」
「理由は?」
「“過剰対応だ”と」
過剰かどうかは、結果が出るまで分からない。
それが、試行判断の宿命だ。
アドリアンは、宰相に視線を向けた。
「三者会議を」
「はい」
だが今回は、緊急性を鑑み、
短縮形式での開催となった。
会議室に集まった面々の表情は、硬い。
「……病害の範囲は、
現時点では限定的です」
貴族側代表が、資料を示す。
「だからこそ、
今抑えるべきです」
教会代表が、即座に応じる。
「信徒の生活を守るためにも」
「商人の反発は?」
宰相が、現実的な問いを投げる。
「出ます」
即答だった。
「ですが」
若い地方官が、言葉を続ける。
「出ることを理由に、
何もしなければ、
結果はもっと悪くなる」
沈黙。
誰も、その言葉を否定できない。
「……王家としての判断は?」
宰相が、アドリアンに視線を向ける。
「現地判断を支持する」
迷いはなかった。
「ただし」
彼は、続ける。
「検証の期限を明確にする。
一週間。
状況が改善しなければ、
段階を切り替える」
耐える判断。
そして、
耐え続けない判断。
それは、
余白を持つ制度だからこそ、
可能な切り替えだった。
一方、私は隣国の政庁で、
この一連の報告を読み、
しばらく沈黙していた。
「……来ましたね」
マリアが、低く言う。
「ええ」
私は、頷く。
「耐久試験」
制度は、
走り始めた直後よりも、
揺さぶられた時に、
本性を現す。
「……今回は、
直接の助言は?」
「しない」
私は、即答した。
「彼らは、
もう“耐える仕組み”を持っている」
修道院では。
リーネが、北東部から届いた相談文を前にしていた。
「……不安が、
広がっています」
報告書には、
流通制限への戸惑いと、
収穫への恐怖が綴られている。
リーネは、深く息を吸い、
返書を書いた。
『不安は、
正しい反応です
今は、
“止める理由”と
“続ける理由”の両方が、
記録されています
それが、
あなた方を守るための材料になります』
奇跡は、書かれていない。
だが、
判断の過程は、丁寧に示されている。
数日後。
病害の拡大は、抑えられた。
流通制限は、段階的に解除され、
商人への説明も、記録に基づいて行われた。
「……最悪は、避けられました」
報告官の声には、
安堵が混じっている。
「最善ではない」
アドリアンは、冷静に言った。
「だが、
耐え切った」
その評価は、
成果よりも、
過程に向けられていた。
夜。
王城の執務室で、
アドリアンは一人、
記録の束を見つめていた。
「……折れなかったな」
制度が。
人が。
そして、
自分自身も。
一方、私は書斎で、
静かに灯りを落とす。
「……耐える仕組みは、
派手じゃない」
だが、
続く。
第三十六話は、
英雄の話ではない。
だが、
この国が“揺れても壊れなかった”
という、何より重要な事実を描いた話だ。
――改革とは、
前に進む力ではなく、
揺れに耐える力を、
静かに蓄えることなのだから。
0
あなたにおすすめの小説
平手打ちされたので、婚約破棄宣言に拳でお答えしました
Megumi
恋愛
婚約破棄を告げられ、婚約者に平手打ちされた——その瞬間。
伯爵令嬢イヴの拳が炸裂した。
理不尽に耐える淑女の時代は、もう終わり。
これは“我慢しない令嬢”が、これまでの常識を覆す話。
善人ぶった姉に奪われ続けてきましたが、逃げた先で溺愛されて私のスキルで領地は豊作です
しろこねこ
ファンタジー
「あなたのためを思って」という一見優しい伯爵家の姉ジュリナに虐げられている妹セリナ。醜いセリナの言うことを家族は誰も聞いてくれない。そんな中、唯一差別しない家庭教師に貴族子女にははしたないとされる魔法を教わるが、親切ぶってセリナを孤立させる姉。植物魔法に目覚めたセリナはペット?のヴィリオをともに家を出て南の辺境を目指す。
公爵令嬢ですが、実は神の加護を持つ最強チート持ちです。婚約破棄? ご勝手に
ゆっこ
恋愛
王都アルヴェリアの中心にある王城。その豪奢な大広間で、今宵は王太子主催の舞踏会が開かれていた。貴族の子弟たちが華やかなドレスと礼装に身を包み、音楽と笑い声が響く中、私——リシェル・フォン・アーデンフェルトは、端の席で静かに紅茶を飲んでいた。
私は公爵家の長女であり、かつては王太子殿下の婚約者だった。……そう、「かつては」と言わねばならないのだろう。今、まさにこの瞬間をもって。
「リシェル・フォン・アーデンフェルト。君との婚約を、ここに正式に破棄する!」
唐突な宣言。静まり返る大広間。注がれる無数の視線。それらすべてを、私はただ一口紅茶を啜りながら見返した。
婚約破棄の相手、王太子レオンハルト・ヴァルツァーは、金髪碧眼のいかにも“主役”然とした青年である。彼の隣には、勝ち誇ったような笑みを浮かべる少女が寄り添っていた。
「そして私は、新たにこのセシリア・ルミエール嬢を伴侶に選ぶ。彼女こそが、真に民を導くにふさわしい『聖女』だ!」
ああ、なるほど。これが今日の筋書きだったのね。
王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!
ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。
なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。
地味で器量の悪い公爵令嬢は政略結婚を拒んでいたのだが
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
心優しいエヴァンズ公爵家の長女アマーリエは自ら王太子との婚約を辞退した。幼馴染でもある王太子の「ブスの癖に図々しく何時までも婚約者の座にいるんじゃない、絶世の美女である妹に婚約者の座を譲れ」という雄弁な視線に耐えられなかったのだ。それにアマーリエにも自覚があった。自分が社交界で悪口陰口を言われるほどブスであることを。だから王太子との婚約を辞退してからは、壁の花に徹していた。エヴァンズ公爵家てもつながりが欲しい貴族家からの政略結婚の申し込みも断り続けていた。このまま静かに領地に籠って暮らしていこうと思っていた。それなのに、常勝無敗、騎士の中の騎士と称えられる王弟で大将軍でもあるアラステアから結婚を申し込まれたのだ。
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
完】異端の治癒能力を持つ令嬢は婚約破棄をされ、王宮の侍女として静かに暮らす事を望んだ。なのに!王子、私は侍女ですよ!言い寄られたら困ります!
仰木 あん
恋愛
マリアはエネローワ王国のライオネル伯爵の長女である。
ある日、婚約者のハルト=リッチに呼び出され、婚約破棄を告げられる。
理由はマリアの義理の妹、ソフィアに心変わりしたからだそうだ。
ハルトとソフィアは互いに惹かれ、『真実の愛』に気付いたとのこと…。
マリアは色々な物を継母の連れ子である、ソフィアに奪われてきたが、今度は婚約者か…と、気落ちをして、実家に帰る。
自室にて、過去の母の言葉を思い出す。
マリアには、王国において、異端とされるドルイダスの異能があり、強力な治癒能力で、人を癒すことが出来る事を…
しかしそれは、この国では迫害される恐れがあるため、内緒にするようにと強く言われていた。
そんな母が亡くなり、継母がソフィアを連れて屋敷に入ると、マリアの生活は一変した。
ハルトという婚約者を得て、家を折角出たのに、この始末……。
マリアは父親に願い出る。
家族に邪魔されず、一人で静かに王宮の侍女として働いて生きるため、再び家を出るのだが………
この話はフィクションです。
名前等は実際のものとなんら関係はありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる