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第16話 救う理由、救わぬ理由
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第16話 救う理由、救わぬ理由
ベルフラワー公爵邸の応接室には、重たい沈黙が漂っていた。
前回の「形式的な確認」から数日。
市場は、さらに悪化している。
小麦の価格は底を打ったまま、動かない。
いや、正確には――動けない。
売れば赤字が確定し、
売らなければ保管費と人件費が増え続ける。
どちらを選んでも、損失は拡大する。
プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、その現実を前にしながらも、まだ「決断」を避け続けていた。
(……なぜ、あの女は、動じない)
頭の中に浮かぶのは、シグネット・フレッジリン侯爵の姿ばかりだ。
借金があるはずの女。
金に困っているはずの女。
それなのに、使者は余裕を崩さず、
噂とは正反対の落ち着きを見せた。
しかも――
「……孤児院への寄付、学校への支援も継続中、ですか」
執事が差し出した報告書に、プロフィットは眉をひそめる。
「事実確認は取れているのか」
「はい。複数の筋から」
否定の余地はなかった。
(虚勢ではない……?)
胸の奥に、冷たいものが広がる。
もし、噂が誤りだったとしたら。
もし、シグネットが本当に資金を持っているとしたら。
(いや……)
プロフィットは、強く歯を食いしばった。
(それでも、私は助けられる側だ)
フレッジリン侯爵家より、ベルフラワー公爵家の方が格は上。
立場も、歴史も、影響力も。
だから、最終的に救済されるのは――
自分の方であるはずだ。
その思い込みが、彼を動かした。
「フレッジリン侯爵家に、再度連絡を」
執事に告げる。
「話をしたい、と」
「どのような名目で?」
「……市場の今後についてだ」
曖昧な返答だったが、
執事は深く追及せず、一礼して下がった。
数日後。
再び、フレッジリン侯爵家の使者がベルフラワー公爵邸を訪れた。
前回と同じ書記官。
同じ冷静な態度。
応接室に向かい合って座り、
形式的な挨拶を交わした後、
プロフィットは、慎重に口を開く。
「市場は……厳しいな」
「はい」
書記官は、淡々と頷いた。
「小麦は生活必需品ですが、供給過多では価格は戻りません」
「このままでは、影響は広がる」
プロフィットは、言葉を選びながら続ける。
「商人だけでなく、
使用人や領民にも……」
そこで、わざと間を置いた。
“同情”を誘うための間だ。
「……困る者が出るだろう」
書記官は、静かに彼を見返した。
「その通りです」
肯定はした。
だが、そこに同意以上の感情はない。
(来るぞ……)
プロフィットは、内心で構えた。
ここで、フレッジリン側から救済の話が出る。
あるいは、協力の提案が――
「ですから」
書記官は、淡々と続ける。
「フレッジリン侯爵は、
“誰を守るべきか”を明確にしておられます」
「……誰を?」
「影響を受ける者です」
その言葉に、プロフィットは眉をひそめた。
「つまり……?」
「領民、使用人、流通に関わる者たち」
はっきりとした答えだった。
プロフィットは、一瞬、言葉を失う。
(……私ではない?)
喉の奥が、ひくりと鳴った。
「それは……」
慌てて言葉を継ぐ。
「結果的に、我が家を救うことにもなるのではないか?」
書記官は、首を振った。
「いいえ」
きっぱりとした否定だった。
「フレッジリン侯爵は、
“家を救うこと”と
“人を救うこと”を、分けて考えておられます」
その瞬間、
プロフィットの中で、何かが音を立てて崩れた。
(……分けて、考える?)
家を救うために、人を切る。
それが、貴族の判断ではないのか。
少なくとも、
自分はそうしてきた。
「では……」
声が、わずかに掠れる。
「我が家は、どうなる」
書記官は、少しだけ間を置いた。
だが、その沈黙は、
言葉を選んでいるというより――
答えが最初から決まっている者のものだった。
「それは、
ベルフラワー公爵家が
ご自身で向き合うべき問題です」
冷たい言葉だった。
いや、正確には――
冷静な言葉だ。
感情も、憐れみも、
そこには含まれていない。
ただ、事実と線引きだけがあった。
(……救われない)
初めて、
その可能性が、はっきりと浮かび上がる。
自分は、
助けを求める側ですらない。
フレッジリン侯爵家は、
自分を“守る対象”として、
最初から数えていない。
「……理解した」
プロフィットは、なんとかそう答えた。
書記官は、一礼する。
「本日の話は、以上です」
それだけ言い残し、
静かに応接室を後にした。
扉が閉まる。
プロフィットは、しばらく動けなかった。
(……違う)
心の中で、何度も否定する。
(こんなはずはない)
だが、
自分が“救われる前提”で話をしていたこと。
そして、それが一方的な思い込みだったこと。
その事実だけは、
否定しようがなかった。
フレッジリン侯爵家は、
すでに別の場所を見ている。
自分は、
その視界の外にいる。
その現実を、
プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、
まだ完全には理解していない。
だが――
少なくとも、
「助けられる側にいる」という幻想は、
この日、静かに崩れ落ちた。
残されたのは、
自分が何を守り、
何を切り捨ててきたのかという問いだけだった。
そして、その答えは、
彼にとって、
あまりにも重いものになりつつあった。
ベルフラワー公爵邸の応接室には、重たい沈黙が漂っていた。
前回の「形式的な確認」から数日。
市場は、さらに悪化している。
小麦の価格は底を打ったまま、動かない。
いや、正確には――動けない。
売れば赤字が確定し、
売らなければ保管費と人件費が増え続ける。
どちらを選んでも、損失は拡大する。
プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、その現実を前にしながらも、まだ「決断」を避け続けていた。
(……なぜ、あの女は、動じない)
頭の中に浮かぶのは、シグネット・フレッジリン侯爵の姿ばかりだ。
借金があるはずの女。
金に困っているはずの女。
それなのに、使者は余裕を崩さず、
噂とは正反対の落ち着きを見せた。
しかも――
「……孤児院への寄付、学校への支援も継続中、ですか」
執事が差し出した報告書に、プロフィットは眉をひそめる。
「事実確認は取れているのか」
「はい。複数の筋から」
否定の余地はなかった。
(虚勢ではない……?)
胸の奥に、冷たいものが広がる。
もし、噂が誤りだったとしたら。
もし、シグネットが本当に資金を持っているとしたら。
(いや……)
プロフィットは、強く歯を食いしばった。
(それでも、私は助けられる側だ)
フレッジリン侯爵家より、ベルフラワー公爵家の方が格は上。
立場も、歴史も、影響力も。
だから、最終的に救済されるのは――
自分の方であるはずだ。
その思い込みが、彼を動かした。
「フレッジリン侯爵家に、再度連絡を」
執事に告げる。
「話をしたい、と」
「どのような名目で?」
「……市場の今後についてだ」
曖昧な返答だったが、
執事は深く追及せず、一礼して下がった。
数日後。
再び、フレッジリン侯爵家の使者がベルフラワー公爵邸を訪れた。
前回と同じ書記官。
同じ冷静な態度。
応接室に向かい合って座り、
形式的な挨拶を交わした後、
プロフィットは、慎重に口を開く。
「市場は……厳しいな」
「はい」
書記官は、淡々と頷いた。
「小麦は生活必需品ですが、供給過多では価格は戻りません」
「このままでは、影響は広がる」
プロフィットは、言葉を選びながら続ける。
「商人だけでなく、
使用人や領民にも……」
そこで、わざと間を置いた。
“同情”を誘うための間だ。
「……困る者が出るだろう」
書記官は、静かに彼を見返した。
「その通りです」
肯定はした。
だが、そこに同意以上の感情はない。
(来るぞ……)
プロフィットは、内心で構えた。
ここで、フレッジリン側から救済の話が出る。
あるいは、協力の提案が――
「ですから」
書記官は、淡々と続ける。
「フレッジリン侯爵は、
“誰を守るべきか”を明確にしておられます」
「……誰を?」
「影響を受ける者です」
その言葉に、プロフィットは眉をひそめた。
「つまり……?」
「領民、使用人、流通に関わる者たち」
はっきりとした答えだった。
プロフィットは、一瞬、言葉を失う。
(……私ではない?)
喉の奥が、ひくりと鳴った。
「それは……」
慌てて言葉を継ぐ。
「結果的に、我が家を救うことにもなるのではないか?」
書記官は、首を振った。
「いいえ」
きっぱりとした否定だった。
「フレッジリン侯爵は、
“家を救うこと”と
“人を救うこと”を、分けて考えておられます」
その瞬間、
プロフィットの中で、何かが音を立てて崩れた。
(……分けて、考える?)
家を救うために、人を切る。
それが、貴族の判断ではないのか。
少なくとも、
自分はそうしてきた。
「では……」
声が、わずかに掠れる。
「我が家は、どうなる」
書記官は、少しだけ間を置いた。
だが、その沈黙は、
言葉を選んでいるというより――
答えが最初から決まっている者のものだった。
「それは、
ベルフラワー公爵家が
ご自身で向き合うべき問題です」
冷たい言葉だった。
いや、正確には――
冷静な言葉だ。
感情も、憐れみも、
そこには含まれていない。
ただ、事実と線引きだけがあった。
(……救われない)
初めて、
その可能性が、はっきりと浮かび上がる。
自分は、
助けを求める側ですらない。
フレッジリン侯爵家は、
自分を“守る対象”として、
最初から数えていない。
「……理解した」
プロフィットは、なんとかそう答えた。
書記官は、一礼する。
「本日の話は、以上です」
それだけ言い残し、
静かに応接室を後にした。
扉が閉まる。
プロフィットは、しばらく動けなかった。
(……違う)
心の中で、何度も否定する。
(こんなはずはない)
だが、
自分が“救われる前提”で話をしていたこと。
そして、それが一方的な思い込みだったこと。
その事実だけは、
否定しようがなかった。
フレッジリン侯爵家は、
すでに別の場所を見ている。
自分は、
その視界の外にいる。
その現実を、
プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、
まだ完全には理解していない。
だが――
少なくとも、
「助けられる側にいる」という幻想は、
この日、静かに崩れ落ちた。
残されたのは、
自分が何を守り、
何を切り捨ててきたのかという問いだけだった。
そして、その答えは、
彼にとって、
あまりにも重いものになりつつあった。
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