お金がありすぎて困っています。 ――その言い方、嫌な女にしか聞こえませんわ』

ふわふわ

文字の大きさ
18 / 40

第18話 報酬は、すでに受け取っている

しおりを挟む
第18話 報酬は、すでに受け取っている

 ベルフラワー公爵邸から運び出される小麦袋の列は、数日間途切れることがなかった。

 倉庫の前には、フレッジリン侯爵家の紋章を掲げた馬車が整然と並び、
 書記官と役人たちが帳簿を照合しながら、淡々と作業を進めていく。

 混乱はなかった。
 怒号も、抗議も。

 すべてが、あらかじめ決められていたかのように、静かに進んでいく。

 その光景を、プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、少し離れた場所から眺めていた。

 小麦は、確かに引き取られている。
 しかも、仕入れ価格で。

 帳簿の上では、
 “破滅”は避けられた。

 だが――

(……何も、戻ってこない)

 胸の奥に残るのは、
 救われたという安堵ではなく、
 取り返しのつかない敗北感だけだった。

 そこへ、足音が近づく。

「プロフィット様」

 声をかけたのは、ホリデイだった。

 相変わらず、背筋の伸びた立ち姿。
 侍女としての慎ましさと、
 男爵家令嬢としての矜持が、自然に同居している。

「……何の用だ」

 ぶっきらぼうに返すと、
 彼女は一礼し、穏やかに告げた。

「確認でございます」

「何の確認だ」

「今回の件に関する、
 お礼や返礼についてでございます」

 その言葉に、プロフィットは思わず笑ってしまった。

「礼だと?」

 乾いた笑いだった。

「この状況で、
 まだ何かを要求する気か」

 ホリデイは、首を振る。

「いいえ」

 即答だった。

「必要ございません」

「……は?」

「お嬢様は、すでに報酬を受け取っておりますので」

 その言い方が、
 妙に引っかかった。

「報酬……?」

 プロフィットは、眉をひそめる。

「金の話ではありません」

 ホリデイは、淡々と続ける。

「お嬢様が望んでいたものは、
 最初から一つだけでした」

「それは――」

 彼女は、少しだけ言葉を区切った。

「この婚約が、完全に終わることです」

 胸を、強く打たれた気がした。

「……馬鹿な」

 思わず呟く。

「こんな大金を動かしてまで?」

「はい」

 ホリデイは、迷いなく頷いた。

「むしろ、安いものです」

 その言葉が、
 ゆっくりと、
 しかし確実に、プロフィットの心を抉った。

「あなた様が婚約を破棄してくださったこと」

「それ以上の対価は、
 お嬢様にとって存在しません」

 その瞬間、
 プロフィットは、はっきりと理解した。

 自分は、
 “救われた”のではない。

 利用されたのでもない。

 ただ――
 最初から、取引の外にいたのだ。

「……私は」

 喉が、ひどく乾いていた。

「最初から、不要だったというわけか」

 ホリデイは、少しだけ表情を和らげた。

「必要か不要か、という話ではございません」

「お嬢様は、
 “選ばない”という選択をなさっただけです」

 それは、
 最も残酷な線引きだった。

 否定も、拒絶もない。
 ただ、視界に入らない。

「ところで」

 ホリデイは、ふと思い出したように言った。

「引き取った小麦の件ですが」

「……ああ」

 プロフィットは、力なく答える。

「どうするつもりだ」

「まずは、孤児院と学校へ回します」

 その言葉に、
 わずかに目を見開く。

「……施しか?」

「いいえ」

 ホリデイは、首を振った。

「投資でございます」

「将来、領地を支える人材への」

 あまりにも当然のように言われて、
 言葉が出なかった。

 小麦を、
 価格操作の道具としてしか見ていなかった自分と、
 同じ“物”を扱っているとは思えない。

「……そうか」

 それだけ言うのが、精一杯だった。

 ホリデイは、再び一礼する。

「それでは、失礼いたします」

 背を向け、歩き出すその姿に、
 プロフィットは、思わず問いかけた。

「……噂は」

 声が、かすれる。

「金に困っているという噂は……」

 ホリデイは、足を止めた。

 振り返り、
 少し困ったように微笑む。

「申し訳ございません」

「少々、言葉が足りませんでした」

「ですが」

 一瞬、悪戯っぽく目を細める。

「今後は、もう流れません」

「お嬢様が、
 これ以上、誤解される必要はございませんので」

 それだけ言って、
 今度こそ、去っていった。

 その背中を見送りながら、
 プロフィットは、静かに膝を折った。

 金は戻った。
 家は、かろうじて保たれた。

 だが――

 誇りは。
 未来は。
 信じていた“自分の価値”は。

 すべて、
 あの一言で、
 奪われていた。

「……婚約破棄していただきました」

 ホリデイの言葉が、
 何度も、頭の中で反響する。

 それが、
 彼女にとっての“報酬”。

 そして――
 自分が、
 一生支払うことになる代償だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

あなたに嘘を一つ、つきました

小蝶
恋愛
 ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…  最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ

王女殿下のモラトリアム

あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」 突然、怒鳴られたの。 見知らぬ男子生徒から。 それが余りにも突然で反応できなかったの。 この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの? わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。 先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。 お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって! 婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪ お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。 え? 違うの? ライバルって縦ロールなの? 世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。 わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら? この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。 ※設定はゆるんゆるん ※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。 ※明るいラブコメが書きたくて。 ※シャティエル王国シリーズ3作目! ※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、 『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。 上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。 ※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅! ※小説家になろうにも投稿しました。

【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?

ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。 卒業3か月前の事です。 卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。 もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。 カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。 でも大丈夫ですか? 婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。 ※ゆるゆる設定です ※軽い感じで読み流して下さい

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

処理中です...