お金がありすぎて困っています。 ――その言い方、嫌な女にしか聞こえませんわ』

ふわふわ

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第20話 選ばれる側、選ぶ側

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第20話 選ばれる側、選ぶ側

 王都の朝は、いつもよりざわついていた。

 通りを行き交う人々の話題は、ほとんどが同じだ。
 小麦相場の急落と回復、そして――フレッジリン侯爵家の迅速な対応。

「本当に、全部引き取ったらしいぞ」
「仕入れ値で、だって?」
「しかも、孤児院や学校に回したそうだ」

 噂は、尾ひれをつけながらも、核心だけは外していない。

 施しではない。
 市場の安定と、人を守るための判断。

 その評価は、社交界に留まらず、王宮にも届いていた。

 フレッジリン侯爵家の屋敷では、朝から来客が途切れなかった。
 役人、商会の代表、地方領主の使者。
 いずれも、丁寧な言葉遣いで、慎重に頭を下げる。

「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「市場安定へのご尽力、深く感謝しております」

 応接室の奥で、それらを静かに迎えているのが、シグネット・フレッジリン侯爵だった。

 派手な装飾はない。
 だが、背筋を伸ばし、落ち着いた所作で言葉を返すその姿には、
 若くして家を継いだ者だけが持つ、揺るぎのない重みがあった。

「過分なお言葉です」

 微笑みながらも、声は淡々としている。

「我が家は、ただ合理的な判断をしたまで」

 その言葉に、来客たちは一様に頷いた。

 “合理的”。
 それができる者が、どれほど少ないかを、
 皆がよく知っているからだ。

 やがて応接室が静まり、
 最後の来客を見送った後、
 ホリデイが静かに口を開いた。

「……ずいぶんと、評価が高まっておりますね」

「評価は、結果に付いてくるものです」

 シグネットは、書類に目を通しながら答える。

「必要なのは、拍手ではありません」

「次に、どうするか――それだけ」

 机の上には、各地の領地から届いた報告書が並んでいる。
 小麦の供給状況、学校給食の反応、孤児院の改善点。

 どれも、すでに“次”を見据えた内容だ。

「……ところで」

 ホリデイが、少し言いにくそうに切り出す。

「ベルフラワー公爵家から、
 非公式な打診が来ております」

 シグネットの手が、ぴたりと止まった。

「内容は?」

「今後の協力関係について、
 改めて話がしたい、とのことです」

 沈黙が落ちる。

 しばらくして、シグネットは小さく息を吐いた。

「……そう」

 それだけ言って、書類に視線を戻す。

 拒絶でも、憤りでもない。
 ただ、興味がない、という態度だった。

「返事は?」

 ホリデイが尋ねる。

「不要です」

 即答だった。

「我が家は、すでに選択を終えています」

 それは、
 プロフィット・ベルフラワー公爵令息が、
 最後まで理解できなかったこと。

 ――選ばれる立場にいる者は、
 自分が選ばれていることに気づかない。

 一方、
 選ぶ立場にいる者は、
 その責任と覚悟を、常に背負っている。

 同じ頃。

 ベルフラワー公爵邸の執務室で、
 プロフィットは、返事のない書簡を前に立ち尽くしていた。

「……無視、か」

 苦笑するしかなかった。

 助けを乞う文面ではない。
 協力を提案する体裁は保っている。

 それでも、
 相手にとっては、
 読む価値すらないのだ。

(……私が、選ぶ側だと思っていた)

 かつては。

 婚約を破棄した日、
 自分は、主導権を握っていると信じていた。

 だが今、
 その幻想は、完全に消え去っている。

「プロフィット様」

 執事が、控えめに声をかける。

「王宮より、通達が届いております」

「……内容は」

「フレッジリン侯爵家に対し、
 市場安定への功績として、
 正式な謝意が示されるとのことです」

 言葉の意味は、
 はっきりしていた。

 評価されるのは、
 彼女であって、
 自分ではない。

「……そうか」

 それだけ答え、
 プロフィットは椅子に腰を下ろした。

 選ばれる側だと思い込んでいた男は、
 今や、
 誰にも選ばれない場所に立っている。

 一方、
 フレッジリン侯爵邸では、
 新たな書簡が届いていた。

 差出人は、
 隣国の有力貴族。

 内容は、
 “市場安定に関する協議”と、
 “将来的な縁談の可能性”。

 シグネットは、書簡を閉じ、静かに微笑んだ。

「……必要なのは、
 対等に話ができる相手だけ」

 それは、
 過去への未練でも、
 復讐でもない。

 ただ、
 自分の人生を、
 自分で選び取るという意思だった。

 選ばれる側だった女は、
 今、はっきりと――
 選ぶ側として、世界に立っている。

 そしてその差は、
 もう二度と、
 埋まることはなかった。
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