お金がありすぎて困っています。 ――その言い方、嫌な女にしか聞こえませんわ』

ふわふわ

文字の大きさ
25 / 40

第25話 噂の価値は、誰が握るかで決まる

しおりを挟む
第25話 噂の価値は、誰が握るかで決まる

 王都の空気が、わずかに変わり始めていた。

 それは突風のような変化ではない。
 気づけば風向きが違っている、そんな程度のものだ。

「……最近、聞かなくなりましたわね」

 昼下がりの茶会で、ある令嬢がぽつりと口にした。

「何を、ですの?」

「フレッジリン侯爵様の……あの噂ですわ」

 曖昧な言い方だったが、誰もが理解した。
 ――金に困っている、借金がある、財産目当てで婚約した。
 かつて、あれほど流れていた噂。

「そういえば……」

 別の貴婦人が、首を傾げる。

「否定されたわけでもないのに、
 不思議と耳にしませんわね」

 その理由を、誰も口にはしない。
 だが、全員が薄々感じている。

 噂は、力のある者のもとに集まる。
 そして――
 価値を失った噂は、自然に消える。

 その日の午後。
 フレッジリン侯爵邸の応接室では、
 小規模ながらも重要な会合が開かれていた。

 参加者は三名。
 いずれも、王都と地方を結ぶ商路に深く関わる者たちだ。

「改めて、本日はありがとうございます」

「こちらこそ」

 シグネット・フレッジリン侯爵は、
 穏やかな笑みで応じた。

 だが、その雰囲気に油断はない。
 彼女が“誰にでも会うわけではない”ことは、
 すでに周知の事実となっている。

「率直に申し上げます」

 商人の一人が、切り出した。

「最近、
 フレッジリン侯爵家に関する噂が、
 不自然なほど沈静化しております」

 試すような言い方だった。

 シグネットは、紅茶に手を伸ばしながら答える。

「噂は、
 放っておいても消えるものではありません」

「ですが――」

「価値がなくなれば、
 自然と誰も口にしなくなります」

 商人たちは、黙って聞いている。

「私は、
 噂を否定しませんでした」

「訂正も、
 釈明も、
 一切していません」

 それが、
 かえって異様だった。

 普通なら、
 噂は否定されて消える。
 だが、
 否定されない噂が消えるのは、
 別の理由がある。

「では……」

 別の商人が、慎重に尋ねる。

「なぜ、
 価値がなくなったのですか?」

 シグネットは、
 少しだけ視線を上げた。

「噂は、
 “利用できる”時に価値を持ちます」

「私が、
 判断の場に呼ばれ、
 意見を求められるようになった時点で」

「その噂は、
 誰の利益にもならなくなりました」

 沈黙。

 それは、
 自慢でも、
 威圧でもない。

 ただの事実だ。

「……なるほど」

 商人の一人が、
 ゆっくりと頷いた。

「つまり、
 噂を流す側が、
 損をする状況になった、と」

「ええ」

 シグネットは、淡々と答える。

「噂は、
 弱い者を縛るために使われます」

「ですが、
 縛れない相手には、
 意味がありません」

 会合は、その後も静かに進んだ。
 条件は慎重に詰められ、
 合意は必要最低限に留められる。

 だが、
 全員が確信していた。

 この場にいること自体が、
 すでに“選ばれた証”なのだと。

 夕刻。

 会合が終わり、
 応接室に残ったのは、
 シグネットとホリデイだけになった。

「……噂について、
 何もおっしゃいませんでしたね」

 ホリデイが、
 控えめに言う。

「ええ」

「いずれ、
 “最初に流したのは誰か”
 という話が出てくるかと」

 シグネットは、
 少しだけ考え、首を振った。

「必要ありません」

「噂の出どころを暴くことは、
 復讐になります」

「私は、
 もうそこには興味がありません」

 ホリデイは、
 一瞬だけ視線を伏せた。

「……それでも、
 リス・クライム令嬢の名は、
 時折、囁かれております」

「そうですか」

 それだけだった。

 逃げた者の名は、
 いずれ忘れられる。
 追いかける価値すら、ない。

 その夜。
 ベルフラワー公爵邸では、
 別の種類の噂が流れていた。

「……フレッジリン侯爵家は、
 実は、
 かなりの資金力を持っているらしい」

「今さら?」

「以前から、
 表に出さなかっただけだとか……」

 囁きは、
 驚きよりも、
 納得に近かった。

 プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、
 その話を耳にしても、
 何も言わなかった。

(……今になって、
 真実が噂になるのか)

 だが、
 その噂を利用できる立場には、
 もういない。

 否定もできない。
 反論も、
 釈明も、
 意味を持たない。

 それこそが、
 彼の立場を物語っていた。

 一方、
 フレッジリン侯爵邸では、
 静かな夜が流れている。

 書斎で書類を整理しながら、
 シグネットは、
 ふと、手を止めた。

「……噂は、
 持つものではありません」

 独り言のように、
 小さく呟く。

「使われるか、
 捨てられるか――
 それだけです」

 そして今、
 彼女の周囲に残っているのは、
 噂ではない。

 判断と、
 責任と、
 結果。

 それらを共有できる者だけが、
 彼女の隣に立っている。

 噂の価値は、
 内容ではなく、
 誰がそれを握っているかで決まる。

 その事実を、
 王都はようやく理解し始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました

香木陽灯
恋愛
 伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。  これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。  実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。 「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」 「自由……」  もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。  ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。  再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。  ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。  一方の元夫は、財政難に陥っていた。 「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」  元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。 「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」 ※ふんわり設定です

拝啓~私に婚約破棄を宣告した公爵様へ~

岡暁舟
恋愛
公爵様に宣言された婚約破棄……。あなたは正気ですか?そうですか。ならば、私も全力で行きましょう。全力で!!!

【完結】悪役令嬢は何故か婚約破棄されない

miniko
恋愛
平凡な女子高生が乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまった。 断罪されて平民に落ちても困らない様に、しっかり手に職つけたり、自立の準備を進める。 家族の為を思うと、出来れば円満に婚約解消をしたいと考え、王子に度々提案するが、王子の反応は思っていたのと違って・・・。 いつの間にやら、王子と悪役令嬢の仲は深まっているみたい。 「僕の心は君だけの物だ」 あれ? どうしてこうなった!? ※物語が本格的に動き出すのは、乙女ゲーム開始後です。 ※ご都合主義の展開があるかもです。 ※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしておりません。本編未読の方はご注意下さい。

とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜

入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済!】 社交界を賑わせた婚約披露の茶会。 令嬢セリーヌ・リュミエールは、婚約者から突きつけられる。 「真実の愛を見つけたんだ」 それは、信じた誠実も、築いてきた未来も踏みにじる裏切りだった。だが、彼女は微笑んだ。 愛よりも冷たく、そして美しく。 笑顔で地獄へお送りいたします――

死にかけ令嬢の逆転

ぽんぽこ狸
恋愛
 難しい顔をしたお医者様に今年も余命一年と宣告され、私はその言葉にも慣れてしまい何も思わずに、彼を見送る。  部屋に戻ってきた侍女には、昨年も、一昨年も余命一年と判断されて死にかけているのにどうしてまだ生きているのかと問われて返す言葉も見つからない。  しかしそれでも、私は必死に生きていて将来を誓っている婚約者のアレクシスもいるし、仕事もしている。  だからこそ生きられるだけ生きなければと気持ちを切り替えた。  けれどもそんな矢先、アレクシスから呼び出され、私の体を理由に婚約破棄を言い渡される。すでに新しい相手は決まっているらしく、それは美しく健康な王女リオノーラだった。  彼女に勝てる要素が一つもない私はそのまま追い出され、実家からも見捨てられ、どうしようもない状況に心が折れかけていると、見覚えのある男性が現れ「私を手助けしたい」と言ったのだった。  こちらの作品は第18回恋愛小説大賞にエントリーさせていただいております。よろしければ投票ボタンをぽちっと押していただけますと、大変うれしいです。

【完結】見えてますよ!

ユユ
恋愛
“何故” 私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。 美少女でもなければ醜くもなく。 優秀でもなければ出来損ないでもなく。 高貴でも無ければ下位貴族でもない。 富豪でなければ貧乏でもない。 中の中。 自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。 唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。 そしてあの言葉が聞こえてくる。 見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。 私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。 ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。 ★注意★ ・閑話にはR18要素を含みます。  読まなくても大丈夫です。 ・作り話です。 ・合わない方はご退出願います。 ・完結しています。

物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜

丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。 与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。 専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、 失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。 そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、 セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。 「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」 彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、 彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。 嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、 広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、 独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。 栄養と愛情を取り戻したセレナは、 誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、 社交界で注目される存在となる。 一方、セレナを失った伯爵家は、 彼女の能力なしでは立ち行かず、 ゆっくりと没落していくのだった――。 虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。

お妃候補に興味はないのですが…なぜか辞退する事が出来ません

Karamimi
恋愛
13歳の侯爵令嬢、ヴィクトリアは体が弱く、空気の綺麗な領地で静かに暮らしていた…というのは表向きの顔。実は彼女、領地の自由な生活がすっかり気に入り、両親を騙してずっと体の弱いふりをしていたのだ。 乗馬や剣の腕は一流、体も鍛えている為今では風邪一つひかない。その上非常に頭の回転が速くずる賢いヴィクトリア。 そんな彼女の元に、両親がお妃候補内定の話を持ってきたのだ。聞けば今年13歳になられたディーノ王太子殿下のお妃候補者として、ヴィクトリアが選ばれたとの事。どのお妃候補者が最も殿下の妃にふさわしいかを見極めるため、半年間王宮で生活をしなければいけないことが告げられた。 最初は抵抗していたヴィクトリアだったが、来年入学予定の面倒な貴族学院に通わなくてもいいという条件で、お妃候補者の話を受け入れたのだった。 “既にお妃には公爵令嬢のマーリン様が決まっているし、王宮では好き勝手しよう” そう決め、軽い気持ちで王宮へと向かったのだが、なぜかディーノ殿下に気に入られてしまい… 何でもありのご都合主義の、ラブコメディです。 よろしくお願いいたします。

処理中です...