お金がありすぎて困っています。 ――その言い方、嫌な女にしか聞こえませんわ』

ふわふわ

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第26話 値札の付かない信頼

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第26話 値札の付かない信頼

 王都に、静かな違和感が広がり始めていた。

 市場は落ち着きを取り戻し、
 小麦の流通も安定している。
 数字だけを見れば、
 危機はすでに去ったように見えた。

 だが、商人たちは知っている。
 本当の危機は、
 「数字が戻った後」にやってくる。

 ――誰が信用され、
 誰が切り捨てられるのか。

 その線引きが、
 今まさに行われていることを。

 フレッジリン侯爵邸では、
 朝から来客が続いていた。

 豪商の使者。
 地方領主の代理人。
 王宮の下級官僚。

 いずれも、
 明確な目的を持っている。

「……今回の件で、
 フレッジリン侯爵家の判断を、
 ぜひ今後の指針にしたいと」

 ある使者が、
 丁寧に頭を下げた。

 シグネット・フレッジリン侯爵は、
 応接室の中央で静かに話を聞いている。

「指針、ですか」

「はい。
 市場に介入する判断の基準、
 責任の取り方――」

「……それらを、
 共有できればと」

 その言葉には、
 打算が滲んでいた。
 だが、
 露骨ではない。

 それだけで、
 彼らが“選ばれる側”に近いことが分かる。

「申し訳ありませんが」

 シグネットは、
 穏やかに、しかしはっきりと言った。

「私の判断は、
 誰かの真似ができるものではありません」

 使者が、
 戸惑いの表情を浮かべる。

「ですが――」

「基準があるとすれば、
 それは簡単です」

 彼女は、
 一呼吸置いて続けた。

「失敗した時、
 誰が最後まで責任を取るか」

「それだけです」

 言葉は短い。
 だが、
 重い。

 その場にいた者たちは、
 無意識に背筋を正した。

 会合が終わった後、
 ホリデイが小声で言う。

「……皆、
 “真似したい”のですね」

「ええ」

 シグネットは、
 否定も肯定もしない。

「ですが、
 真似をする者ほど、
 同じ失敗をします」

 形だけをなぞり、
 責任だけを避ける。

 それが、
 過去に何度も繰り返されてきた。

 昼過ぎ。
 次の来客は、
 地方の中規模商会の代表だった。

 緊張した面持ちで、
 椅子に腰を下ろす。

「……正直に申し上げます」

 彼は、
 言葉を選びながら話す。

「今回の市場混乱で、
 我が商会も損失を出しました」

「ですが、
 撤退の判断を誤らなかった」

 それは、
 自慢ではなく、
 報告だった。

「その結果、
 大きな利益は得られませんでしたが、
 信用は守れました」

 シグネットは、
 ゆっくりと頷く。

「それは、
 正しい判断です」

 彼女は、
 その場で条件を提示した。

 短期的には、
 大きな旨味はない。
 だが、
 長期的に見れば、
 確実に安定する内容。

 商会代表は、
 迷わず頷いた。

「……ありがとうございます」

「こちらこそ」

 その瞬間、
 彼の中で何かが決まったのが、
 表情から分かる。

 夜。

 侯爵邸の書斎で、
 ホリデイが帳簿を閉じた。

「……今日だけで、
 かなりの話がまとまりましたね」

「ええ」

「ですが、
 金額だけを見れば、
 もっと有利な条件もありました」

 シグネットは、
 書類から目を上げた。

「それは、
 “値札の付く利益”です」

「私は、
 それよりも高いものを選びました」

「……信頼、ですね」

 ホリデイが、
 確認するように言う。

「ええ」

 シグネットは、
 迷いなく頷いた。

「信頼には、
 値札がありません」

「ですが、
 いざという時、
 最も高くつく」

 それを、
 彼女は知っている。

 かつて、
 噂に振り回され、
 軽んじられた時期があった。

 その時、
 彼女を救ったのは、
 契約書でも、
 金額でもない。

 黙って、
 離れなかった者たちの存在だった。

 同じ頃。
 ベルフラワー公爵邸では、
 別の意味での“値札”が突き付けられていた。

「……条件は、
 以前より厳しくなっています」

 金融関係者の言葉に、
 プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、
 唇を噛む。

 信用は、
 一度失えば、
 数字以上に回復が難しい。

 どれだけ資産があっても、
 信頼がなければ、
 値札は吊り上がる。

 それを、
 今になって思い知っていた。

 一方、
 フレッジリン侯爵邸では、
 静かな灯りがともる。

 シグネットは、
 書斎の窓から外を眺めていた。

「……派手な勝利は、
 必要ありません」

 誰に言うでもなく、
 呟く。

「残るのは、
 次も一緒に歩ける相手かどうか――
 それだけです」

 値札の付かない信頼は、
 目には見えない。

 だが、
 それを持つ者だけが、
 次の局面で、
 本当の選択肢を手に入れる。

 シグネット・フレッジリン侯爵は、
 すでにそれを理解していた。

 そしてその理解こそが、
 彼女を、
 “選ぶ側”に立たせ続けていた。
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