お金がありすぎて困っています。 ――その言い方、嫌な女にしか聞こえませんわ』

ふわふわ

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第32話 残された席

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第32話 残された席

 王都の会合は、いつもより静かだった。

 大理石の床に反響する足音も少なく、
 席に着く者たちの表情は、どこか引き締まっている。
 ここは、派手な発言や功績を競う場ではない。
 決定が、そのまま責任になる席だった。

 フレッジリン侯爵――
 シグネットの名は、名簿の中央にあった。

 それは、主役という意味ではない。
 基準という意味だ。

「……では、始めましょう」

 司会役の官僚が、淡々と告げる。

 議題は、地方備蓄の再設計。
 市場が落ち着いた“今”だからこそ、
 次の混乱に備える必要がある。

 だが、会合が進むにつれ、
 奇妙な空白が目につき始めた。

 席が、空いている。

 名家の紋章が刻まれた椅子。
 かつては必ず埋まっていたはずの場所だ。

「……ベルフラワー公爵家は?」

 誰かが、囁くように尋ねた。

 返事は、すぐに返ってこない。
 しばらくして、官僚が小さく答える。

「……今回の会合には、
 招請されておりません」

 理由は、誰も口にしない。
 だが、誰も疑問にも思わない。

 選ばれなかった。
 ただ、それだけだ。

 議論は続く。

 価格の話ではなく、
 流通の透明性。
 責任の所在。
 失敗時の説明義務。

 どれも、
 “失敗しても居続けられるか”を問う内容だった。

「……フレッジリン侯爵」

 若い官僚が、慎重に声をかける。

「今回の設計案について、
 ご意見を」

 シグネットは、すぐには答えない。

 資料に目を通し、
 一行一行を確認してから、口を開く。

「条件が一つ、足りません」

 室内の空気が、引き締まる。

「何でしょうか」

「撤退後の責任者が、
 明記されていません」

 官僚が、息を呑んだ。

「……失敗を想定していない、
 ということですか」

「想定していないのではありません」

 シグネットは、穏やかに言う。

「想定したくないのです」

 その言葉に、
 誰も反論しなかった。

 想定したくない失敗。
 だが、
 想定しない失敗ほど、
 人を傷つけるものはない。

「名前を書いてください」

 彼女は、資料を指で示す。

「失敗した時、
 誰が説明し、
 誰が謝り、
 誰が片付けるのか」

「それが書けない計画は、
 まだ机に出す段階ではありません」

 沈黙の後、
 司会が小さく頷いた。

「……修正案を、
 次回までに」

 それで、決まった。

 会合が終わり、
 人々が席を立ち始める。

 空いていた椅子は、
 最後まで空いたままだった。

 廊下で、
 ホリデイが静かに言う。

「……あの席、
 戻ることはあるのでしょうか」

「分かりません」

 シグネットは、
 歩みを止めずに答える。

「席は、
 与えられるものではありません」

「必要とされた時に、
 自然と用意されるものです」

 その言葉には、
 含みも、皮肉もない。

 ただの事実だった。

 一方、
 ベルフラワー公爵邸では、
 重い沈黙が流れていた。

「……招かれなかった、のですね」

 執事の報告に、
 プロフィット・ベルフラワー公爵令息は、
 何も言えない。

 怒りも、
 悔しさも、
 今は出てこなかった。

 ただ、
 自分の席が、
 もうそこにない
 という現実だけが、
 重くのしかかる。

(……誰も、
 奪ったわけじゃない)

 そうだ。
 追い出されたわけでも、
 排除されたわけでもない。

 自分で立てなかった。
 それだけだ。

 夜。

 フレッジリン侯爵邸の書斎で、
 シグネットは、
 一日の記録を整理していた。

「……席は、
 残されていましたね」

 ホリデイが、
 ぽつりと言う。

「ええ」

 シグネットは、
 ペンを置く。

「空いている席は、
 希望ではありません」

「警告です」

 そこに戻りたければ、
 やるべきことは一つ。

 結果と向き合い、
 責任を引き受け、
 自分の足で立つこと。

 それができた者だけが、
 再び呼ばれる。

 灯りを落とす前、
 シグネットは、
 窓の外を見た。

 王都の夜は、
 静かだった。

 空いた席が示すのは、
 終わりではない。

 選ばれるための条件が、
 明確になっただけだ。

 シグネット・フレッジリン侯爵は、
 今日もまた、
 その条件を、
 言葉ではなく、
 席の配置で示していた。

 ――残された席は、
 誰のものでもない。

 だが、
 誰にでも座れるわけでもない。
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