お金がありすぎて困っています。 ――その言い方、嫌な女にしか聞こえませんわ』

ふわふわ

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第33話 選ばれる側から、選ぶ側へ

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第33話 選ばれる側から、選ぶ側へ

 王都の空気は、確実に変わっていた。

 それは、劇的な事件が起きたからではない。
 誰かが失脚したとか、処罰されたとか、
 そういう分かりやすい変化ではなかった。

 ただ――
 人々の視線の向きが、静かに変わった。

「……最近、
 相談を受ける内容が変わりましたわ」

 午後の応接室で、
 ホリデイが帳簿を閉じながら言った。

「以前は、
 “どうすれば選ばれるか”
 “どうすればお嬢様に取り入れるか”
 そういう話ばかりでしたのに」

「今は?」

 シグネット・フレッジリン侯爵は、
 書類から顔を上げる。

「“自分は、何を引き受けられるのか”
 “どこまで責任を負えるのか”
 そういう相談が増えています」

 それは、大きな違いだった。

 選ばれたい者は、
 他人の顔色を見る。

 だが、
 引き受ける覚悟を持つ者は、
 自分自身を見る。

「……良い変化ですね」

 シグネットは、
 静かに頷いた。

「ようやく、
 同じ場所に立とうとする人が
 増えてきました」

 その日の午後、
 一人の来客があった。

 地方から来た若い領主。
 まだ正式に爵位を継いで日が浅く、
 経験も浅い。

 だが、
 目だけは落ち着いていた。

「……フレッジリン侯爵」

 彼は、
 深く一礼する。

「本日は、
 お願いではありません」

 その言葉に、
 ホリデイがわずかに目を細めた。

 珍しい切り出し方だ。

「では、
 何でしょうか」

 シグネットは、
 促す。

「確認です」

 若い領主は、
 そう言って資料を差し出した。

「私は、
 この計画を進めるつもりです」

「ですが、
 もし破綻した場合――」

 一瞬、言葉を区切る。

「私は、
 この地位を失う覚悟があります」

 応接室が、
 静まり返った。

 彼は、
 逃げ道を用意していない。

「その上で、
 この計画が
 “無謀ではないか”
 だけを、
 見ていただきたいのです」

 助けを求めていない。
 保証も求めていない。

 判断に対する覚悟だけを、
 示してきた。

 シグネットは、
 ゆっくりと資料を開く。

 数字。
 工程。
 人員配置。

 どれも、
 派手ではない。

 だが、
 誤魔化しもない。

 しばらくして、
 彼女は資料を閉じた。

「……無謀ではありません」

 若い領主の肩が、
 わずかに緩む。

「ですが」

 その一言で、
 再び背筋が伸びる。

「成功するとも、
 言えません」

「それでも、
 進みますか」

 彼は、
 迷わず頷いた。

「はい」

「結果がどうであれ、
 引き受けます」

 その答えに、
 シグネットは、
 初めて小さく微笑んだ。

「でしたら、
 私は何も言いません」

「……え?」

「あなたは、
 もう“選ばれる側”ではありません」

 静かな声だった。

「自分で選び、
 自分で立つ側です」

 若い領主は、
 しばらく言葉を失った後、
 深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」

 それは、
 承認を得たからではない。

 同じ立場に立ったと、
 認められたからだ。

 彼が去った後、
 ホリデイがぽつりと呟く。

「……今の方、
 助けを必要としていませんでしたね」

「ええ」

 シグネットは、
 窓の外を見つめる。

「だからこそ、
 話をする意味がありました」

 夜。

 王都では、
 新たな話題が静かに広がっていた。

「フレッジリン侯爵のところに行くと、
 助けてはもらえない」

「でも、
 覚悟がある者だけは、
 対等に扱われるらしい」

 それは、
 甘い噂ではない。

 だが、
 軽んじられる噂でもなかった。

 一方、
 ベルフラワー公爵邸では、
 プロフィット・ベルフラワー公爵令息が、
 一通の報告書を見つめていた。

 以前なら、
 「選ばれる側」にいると
 疑いもしなかった。

 だが今は違う。

(……私は、
 何を引き受けられる?)

 その問いに、
 まだ答えが出ない。

 それこそが、
 彼と彼女の決定的な差だった。

 夜更け。

 フレッジリン侯爵邸の書斎で、
 シグネットは、
 今日の記録を書き留めていた。

「……選ばれることは、
 目的ではありません」

 静かな独白。

「選ぶ側に立つことも、
 ゴールではない」

「ただ、
 引き受ける覚悟があるかどうか――
 それだけです」

 かつて、
 噂に翻弄され、
 選ばれる立場に縛られていた彼女は、
 もういない。

 今、
 彼女の前に立つ者は、
 誰もが自分で選び、
 自分で立つ者たちだ。

 選ばれる側から、
 選ぶ側へ。

 その境界を越えた時、
 人はようやく、
 他人の評価から自由になる。

 シグネット・フレッジリン侯爵は、
 その場所に、
 静かに立ち続けていた。

 誰かを選ぶためではなく、
 自分の判断に責任を持つために。
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