婚約破棄されたので、もう私が支えるのはやめます

ふわふわ

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第二十六話 真実の暴露

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第二十六話 真実の暴露

その招待状は、王都でもっとも噂の集まりやすい夜会へのものだった。

王妃セシリア主催の小規模な夜会。
規模は控えめだが、招かれる顔ぶれは軽くない。王家に近い有力貴族、交易祭に関わる家々、そして最近になって妙に名前を聞かれるようになった者たち。

その一人として、エレノア・フェルベルク侯爵令嬢の名も記されていた。

侯爵邸に届いた招待状を見たとき、ヴィオラは露骨に顔をこわばらせた。

「なぜ、あなたが」

思わずそう漏らしてしまうほどには、彼女も余裕を失っていたのだろう。

エレノアは静かに封を閉じた。

「王妃殿下からのご招待ですもの」

「でも……!」

ヴィオラは言いかけて、侯爵の視線に口をつぐんだ。

侯爵自身も、決して面白くはない顔をしていた。だが今は、長女が王妃から直接招かれることに異を唱えられる立場ではない。むしろ王宮側がまだエレノアを切っていないという事実は、侯爵家にとってわずかに残った綱でもある。

「出席なさい」

結局、侯爵はそう言った。

その声には命令というより、苦い諦めが混じっていた。

「かしこまりました」

エレノアは淡々と応じる。

その横で、ミレイユだけが爪の先ほどの声で呟いた。

「どうして……」

誰も拾わなかった。

拾えば、その場でまた歪んだ感情があふれると分かっていたからだ。

夜会当日、王宮の一角にある中広間は、過度な華美を避けた落ち着いた設えで整えられていた。
大規模な舞踏会のような派手さはない。
だが、だからこそ招かれた者同士の距離は近く、誰が誰と何を話したかがよく見える。

エレノアは深い藍色のドレスで現れた。

飾りは最小限。
けれどそのぶん、立ち姿そのものの静かな美しさがよく映える。

広間へ入った瞬間、いくつもの視線が向いた。
以前のような、悪女を見る視線ではない。
もっと静かで、もっと慎重で、そして明らかに値打ちを測る目だ。

その空気を、エレノアはもう怖いとは思わなかった。

むしろ、ようやく正しく見られ始めたのだと、どこか冷静に受け止めている自分がいた。

少し遅れて、レオンハルト・クラウゼン公爵も現れる。

彼はいつものように無駄なく整った礼装姿で、広間へ入るなり一瞬だけエレノアへ視線を向けた。
それだけ。
けれど、その一瞬で十分だった。

ここにいていい。
そう言われたような気がした。

やがて王妃セシリアが姿を見せ、夜会は穏やかに始まった。

立食形式に近い小さな集まりで、招待客たちは緩やかに会話の輪を作る。
その中で、王妃は最初からはっきりとした意図を持って動いていた。

まず彼女は、南方伯夫人と二言三言交わしたあと、自然な流れでエレノアを呼んだ。

「エレノア嬢、こちらへ」

広間の空気がわずかに変わる。

エレノアは静かに一礼して近づいた。

「ごきげんよう、王妃殿下」

「ごきげんよう。南方伯夫人も、久しぶりにきちんとご紹介したかったのです」

久しぶりに、きちんと。

その言い方に、何人かが目を細めたのが分かった。

王妃は続ける。

「エレノア嬢は、昔から人の顔ぶれと空気を読むのが得意でしてね。わたくしも何度か助けられたことがあるのです」

あまりにも自然な口調だった。

けれど、その一言の重みを分からぬ者はこの場にはいない。

王妃が公の場で、エレノアを“助けられたことがある”と言った。
それは単なる社交辞令では済まない。
少なくとも、“冷たいだけの婚約者”という以前の印象を完全に打ち消すには十分だった。

南方伯夫人も穏やかに頷く。

「ええ。わたくしも以前から、そのように存じておりました」

さらに一押しだった。

王妃と南方伯夫人。
最近、王太子側との距離を取り始めている二人が、揃ってエレノアを認める。

それだけで、広間の見え方が変わる。

エレノアは表情を乱さないまま、静かに礼をした。

「もったいないお言葉です」

そのとき、広間の反対側から少し遅れてアルヴィスとミレイユが入ってきた。

二人はすぐに、その場の空気の異変に気づいたらしい。

輪の中心にいるのが自分たちではなく、エレノアだと分かった瞬間、ミレイユの顔が目に見えて強張る。アルヴィスもまた、あからさまに機嫌を悪くした。

だが、ここは先日のように感情だけで動ける場ではない。
王妃主催の夜会で、しかも多くの有力家が見ている。

アルヴィスは何とか顔を作って歩み寄った。

「母上」

「来たのね、アルヴィス」

王妃の声音は穏やかだった。

穏やかすぎて、かえって冷たい。

ミレイユも一礼したが、その動きは明らかに硬かった。
しかも今夜の彼女は、いつものように“可憐さ”で押し切れる空気ではないと分かっている。
だからこそ、余計に表情がぎこちない。

王妃はその二人へ目を向けたあと、あえて何の配慮もなく言った。

「ちょうどよかったわ。南方伯夫人もいらっしゃるし、今宵は皆でゆっくりお話しできそうね」

逃がさないつもりだ、とエレノアは思った。

先日の晩餐会で生じた歪みを、王妃は“なかったこと”にする気がない。
むしろ、ここできちんと見せるつもりなのだ。
誰が場を整え、誰がそれを壊したのかを。

そのあとしばらく、広間ではいくつかの小さな会話が交差した。

交易祭のこと。
南方との交易路のこと。
北部修道院の後援のこと。

話題そのものは柔らかい。
だが、どれも最近の王太子周辺の失態と地続きの内容だった。

その中で、決定的な一言を口にしたのは、東部侯家の夫人だった。

「そういえば、先日フェルベルク侯爵家の昔の招待状に関して、少し妙なお話を耳にいたしましたの」

広間が静まる。

エレノアは表情を変えない。
だがミレイユははっきりと息を止めた。

夫人は続ける。

「お名前を騙って辞退の返事が出されていたことがあったとか。もし本当なら、ずいぶんと陰湿ですこと」

直接名指しはしていない。
けれど誰の話かは、ここにいる者のほとんどが理解していた。

アルヴィスが顔をしかめる。

「……何の話だ」

その声音には、苛立ちと同時に、知らなかったことへの不快が混じっていた。

東部侯夫人は扇を口元に寄せながら、にこやかに言う。

「昔のことですわ。ですが、最近になって証言が出てきたと聞きまして」

南方伯夫人が静かに言葉を継いだ。

「噂は噂にすぎません。けれど、もし積み重ねがあったのだとすれば、舞踏会の夜だけを見て判断していた方々は、考え直さなければなりませんわね」

その一言で、広間の空気が完全に変わった。

舞踏会の夜だけではない。
それ以前から、少しずつ作られていた印象があったのではないか。
義妹は本当に被害者だったのか。
姉は本当に冷たいだけだったのか。

そういう問いが、もはや“噂話”ではなく、かなり現実味のある形で共有され始めたのだ。

ミレイユの顔がみるみる白くなる。

「そ、それは……」

何か言い返そうとした。
だが、この場で何を言えばいいのか本人にも分からないのだろう。
泣けばいいのか。
否定すればいいのか。
怒ればいいのか。

どれを選んでも、もう以前ほど有効ではない。

そのとき、王妃が淡々と言った。

「印象だけで人を裁くのは、愚かなことです」

広間中がその言葉を聞いていた。

それは王太子に向けたものでもあり、貴族たち全員への釘でもあり、そして何より、エレノアの名誉を静かに戻す宣言でもあった。

エレノアは胸の内で、静かに息を整えた。

ここまで来たのだ。

もはや、“可哀想な義妹に婚約者を奪われた悪役姉”という物語は保てない。
真実が全部暴かれたわけではない。
だが十分だった。
少なくとも今夜この場で、舞踏会の夜の構図がひっくり返り始めた。

アルヴィスはその空気の中で、ようやくはっきりと分かったのだろう。

最初に自分が切り捨てたものが、ただの婚約者ではなかったことを。
そして今、その女はもう、自分の隣へ戻るような顔をしていないことを。

彼は無意識に一歩、エレノアのほうへ視線を向けた。

だがエレノアはその視線を受けても、もう以前のように動揺しなかった。

代わりに、別の視線を感じる。

レオンハルトだ。

少し離れた場所から、静かにこちらを見ている。
何も言わない。
けれど、その視線には明確なものがあった。

大丈夫だ。
もう選ばれる側ではない。
そう告げるような静かな強さ。

その瞬間、エレノアの中で何かがはっきり定まった。

王太子に選ばれること。
侯爵家の都合で使われること。
社交界の表向きに居場所を与えられること。

それらは、もう必要ない。

必要なのは、自分で選ぶこと。
そして、自分の意思で誰の隣に立つかを決めることだ。

夜会の終わり際、王妃が小さくエレノアを呼び止めた。

「今宵はよく来てくれたわ」

「お招き、ありがとうございました」

「少しは、正しい位置へ戻り始めたかしらね」

その言葉に、エレノアはわずかに微笑む。

「ええ。少しだけ」

王妃は満足そうに頷いた。

そのやり取りを、アルヴィスは遠くから見ていた。
見ていたが、もう何も言えない。

今さら呼び止める資格も、言葉も持っていないことを、さすがの彼にも分かり始めているのだろう。

夜会を辞したあと、王宮の回廊を歩きながら、エレノアはふと足を止めた。

窓の外には、春の夜風に揺れる庭木。
遠くには灯り。
そして静かな空。

隣にはレオンハルトがいた。

「……公爵様」

「何でしょう」

エレノアは少しだけ目を伏せてから、顔を上げる。

「ようやく、分かった気がいたします」

「何がです」

「私は、誰かに選ばれるために立っていたのではないのですね」

レオンハルトはしばらく何も言わなかった。

やがて、ごく静かに答える。

「ええ」

それだけだった。

けれど、エレノアにはそれで十分だった。

選ばれるのではなく、選ぶ。
その意味が、今夜ようやく本当に腑に落ちたのだ。

王宮の明るい灯りの中で、過去の自分は確かに終わった。
そしてその終わりは、少しも悲しくなかった。
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